第1話 進路相談
呼び出しが急なのはいつものことだ。
俺、双海真そして菊池慧思は、武藤美岬の家に行かねばならない。
通常の遊びに行く頻度であれば、人工衛星の監視も気にしない。
むしろ、気にしないほうが不自然でなくなる。「接触の形跡がない仲良し」は不自然だからだ。
待っているのは、美岬の母親で、「つはものとねり」の実働部隊の長である武藤佐だ。
俺は、この家自体には、美岬の父親である武藤さんから囲碁を教えてもらうために何回も来ている。でも、この家の応接で話すのは、もう、数え切れない回数のような気もするけど、それでもきっと十回には満たない。何回かは命のやりとりの話もあって、内容がひたすらに濃いのでそんな気がしているだけだ。
今回も当然、そんな話になるのだろう。
夏休みのアメリカ旅行から帰ってから、文化祭実行委員長として無事にイベントを終えた。その後は、三年生ともなればひたすらに受験一色だし、おそらくは進路の話がそろそろ来ても良い頃だとは思っていた。
慧思と並んで、門扉の横の呼び鈴を押す。
りんこんりんこんと、遠くで音が響く。ちなみに、聞こえてくるこの音は、録音である。この家から漏れてくる生活音はすべて、カムフラージュのための音源があるのだ。
ここは要塞なんだ。
玄関のドアが開いて美岬が顔を出す。
美岬の香りに異常なし。心身ともに健康。
おそらくは、同時に美岬も俺の体温を「見て」いる。
俺は軽く右腕を上げる。
美岬が微笑む。
これで充分。
いつもの応接室。
いつものソファ。
そして、いつものように冷徹な表情の武藤佐。
今日は、武藤さんは席を外しているらしい。「つはものとねり」の、つまり仕事の話だということだ。
目で促されて、いつものように座る。
「あなたたちに、知性という意味での才能はない」
知っている。
そんなことは。
でも、いきなり挨拶もなしにぶつけられると痛い言葉だよな。受験期ではあるし。
一応さ、俺たち頑張っているし、その分の資力も「つはものとねり」から注ぎ込まれているから、東大だって無茶な学部でなければ行けると思う。
でもね、武藤佐の言いたいことも解る。
例えばだけど、去年、俺たちは坪内佐の手の平の上で踊った。
最初から最後まで、坪内佐の筋書きどおりで、そこから出ることはできなかった。俺たちにできたのは、戦術的勝利への貢献だけだ。
他国のプレーヤーと渡りあって、戦略的勝利を確実に得ていくための超絶的な知性を俺たちは持っていない。
美岬と慧思は、それでも坪内佐の80%くらいは行くかもしれない。
俺は無理だ。
事実として認識している。
夏休み、武藤さんから、碁の手ほどきを受けた。
武藤さん、実力はアマ五段以上いくらしいけれど、まだ免状は四段だ。外国住みが長くて、なかなか日本棋院に通えなかったからだ。
今、俺は七目のハンデで戦っている。集中して百五十局くらいは打ったよね。「なかなか筋が良い」と褒めてももらった。
でもね、坪内佐のレベルは、囲碁のルールを理解して、十局以内で武藤さんと互角に戦うってさ。
それを聞いて、世界で戦略的に戦うプレーヤーに要求される資質ってのを、俺は思い知ったよ。
だから、本当に僻んでいないってか、僻みようがない。
それに、真気水鋩流を学び始めた俺は、もう人の上に立つ資格はない。
今いる位置で、嗅覚という特技と併せて、余人を以て代えがたい俺をここで作ろう。そう思っている。
「つはものとねり」最大の戦力である遠藤大尉と小田大尉。俺は、あの二人と同じ位置を目指す。あの二人までの能力はなくても、俺の嗅覚が同じだけのクオリティの仕事をさせてくれるはずだからだ。
あの二人がいて、戦術の武藤佐がいて、戦略の坪内佐がいる。
才能って意味ならば、等価なんだよ。どこも、代替えが利かない。
だから、俺は本当に僻まなくて済んでいるんだ。
グーチョキパーのじゃんけんと同じ構図だ。
遠藤大尉、小田大尉は、武藤佐には敵わないと思っている。戦術指揮において、武藤佐は突出した才能を持っている。
でも、武藤佐は坪内佐に敵わないと思っているだろう。いかに戦術的勝利を積み重ねても、戦略的な勝利の結びつけるための道は果てしなく遠い。
そして、坪内佐は遠藤大尉、小田大尉には敵わないと思っている。いかに戦略的に状況を整えても、それを超えて、相打ちまで視野に入れた潜入・暗殺をこなす相手からは命を守りきれるもんじゃない。
裏を返せば、武藤佐の指示に従っていれば、両大尉は確実に成果を上げ、生きて帰れる。
坪内佐の戦略に沿って戦術を組めば、武藤佐にとっては敗北すらが次に繋がる。
そして、両大尉のレベルが高いからこそ、それを前提とした戦略を坪内佐は組み立てられる。これは、短絡的な戦術的勝利のことではない。核兵器を持つのと同じように、両大尉のような高度な戦闘能力を持つ人間がいること自体が、戦闘そのものの抑止力なのだ。
それぞれの場所で要求される才能は異なる。俺は俺の才のある場所で踏みとどまって戦う。
それだけのことだ。
武藤佐が続ける。
「あなたたちは、キャリア官僚として次官を目指すレースに乗る気もない。また、『つはものとねり』の仕事をしながらでは、そのレースは最初っから無理」
俺たちは黙って頷く。
確かにそうだ。
霞が関は眠らない。それだけキャリアの仕事は過酷なのだ。当然、「つはものとねり」の仕事も過酷だ。その二つを同時にこなせるはずがない。
「となると、東大というのは、実は百害あって一利なしになりかねないのよ。学閥として、面も割れているその一員にいながら、いつも行方不明の同期ってことになってしまうから」
なるほどな。
武藤佐の、言っていることはよく解る。
「最後の選択の機会よ。
いままでの訓練や勉強を活かし、表の世界でキャリア官僚として生きるか、南のご今上に仕え、私たちの一員として生きるか、選びなさい。
そして、残念だけれど、選んだあとの変更はできない」
相も変わらず、厳しいな。
銃口をかいくぐった今では、表の世界でキャリア官僚ってのも、確かに輝いて見える。
どれほど過酷であっても、少なくとも、直接に自分を狙う銃口を覗き込むようなことはない。俺は、すでに二度、そのような経験をしているし、俺の片耳はほんの一ミリほどだけど、弾がかすめて欠けている。
でも、俺にとっての結論は出ている。
美岬がここで戦うと決めている以上、その手を汚させないために俺はここにいる。美岬の手を最後まで綺麗にしておくためならば、この先、俺の手がどれほど血に塗れようが構わないと思っている。
と、思ったところで気がついた。
俺がそう思っていることを美岬が知っている。だから、美岬は「つはものとねり」を選ばない可能性があるかも。
多くはないが、可能性は可能性だ。
そして、それはバディの慧思の人生にも影響する。
うう、どうしよう……。
迷いが俺を縛る。
慧思がこの場を救った。
「結論は、今この場でなくてもいいでしょう? 極端な話、センター試験の後でも問題ないはずです」
「ええ、そのとおり。
だけど、考えなければならないのは今。それは変わらない」
「はい」
返事をする。
慧思も妹との生活があるよな。
三人で腹を割って話したい。日頃から覚悟はできている。でも、最終決断の機会であれば、もう一度きちんと話すべきだと思う。
でも、今、武藤佐に席を外せとは言えない。
明日、学校で話すしかないよな。
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