第九章 黒船来航、夏(全18回:幕末血風編)

第1話 江戸前の魚



加藤 景悟郎けいごろう     浪人。真気水鋩流伝承者。

美羽みう         間宮林蔵の娘。つはものとねり佐。特殊な視力を持つ。

美緒みお         美羽の娘。特殊な視力を受け継いでいる。

水戸 斉昭      水戸藩藩主。つはものとねり督。

井伊 直弼      近江彦根藩藩主。

加藤の父       浪人。前の真気水鋩流伝承者。手練。


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 嘉永六年五月一日(西暦1853年6月7日)。

 梅雨に入ったはずの空は、雲の隙間から夕方の赤みがかった青空を覘かせており、降り出す気配はない。この年は雨が少なく、干ばつが危ぶまれていた。

 江戸の町は、今日も平穏な日常の営みを続けている。


 加藤景悟郎は、干支が二巡目を迎える浪人だが腕は立つ。家伝の剣を、父に叩き込まれてきたのだ。

 真気水鋩流という。

 知る者は極めて限られ、また、各伝承者の実戦の数は少ないが、未だ無敗である。このような流派は、江戸において少なくない。


 北辰一刀流、玄武館が覇を唱えて久しい江戸ではあるが、派を立てた千葉周作も元を糾せば、北辰夢想流という家伝の流派を元に一刀流を学んだのである。

 この太平の嘉永年間、竹刀の長さこそ統一されてはいなかったが、それを使った剣の修行方法は確立しており、今の剣道につながる流れは完成していると言ってよい。


 その一方で、新たに生み出された流派、戦国の世から、またそれ以前から連綿と繋がる流派も数の多い時代であった。したがって、江戸において、家伝の剣を伝える加藤のような剣客は必ずしも珍しいものではなかった。ただ、玉石混交の中で、玉が玉であることを知らしめるのに世は平和すぎた。他流との試合を禁じている流派であれば尚のことである。

 人斬りの増える、血腥ちなまぐさい時代は予感させられていたものの、その到来まではまだ間があった。


 品川近くを歩く加藤の腰には、当然刀があるが、今のところ中身は竹光である。

 理由は二つある。

 一つは、船釣りの帰りであること。

 船頭を頼んで、少しばかり沖に出たのだ。


 今年は雨が少ないとはいえ、梅雨の時期、刀を潮風に曝すのは避けたかった。雨水が潮を呼び、筵|(むしろ)に包んでおく程度では中子まで濡れる恐れがあった。そうなった後は、刀装自体が塩を含み、いかな手入れをしても錆が防げなくなる。刀装の作り替え、研ぎが高くつくのは当然のことながら、研げば研いだだけ刀身は減るのである。父から譲られた家伝の匂出来の刀は、名刀の部類に属するものの、代々受け継がれ元々に比べてかなり細くなってきたものと加藤は見ている。


 二つ目の理由は、真剣がなくてもほぼ同じだけの働きができるからだ。敵の刀を受け止めることこそできないが、加藤の腕であれば相手が余程の手練れでない限り、竹光との手心を持って振れば相手の首や手首などの急所を斬って、致命の傷を負わせるのは可能なのである。

 左手には、釣り竿と魚籠をまとめて持っている。

 暮色はすでに濃く、新月の今日は、もう一刻(二時間)もすれば真っ暗になるだろう。


 華屋与兵衛が握り寿司を工夫して間もない時代だったが、すでに海に近い人通りのある通りには握り寿司の屋台の数は少なくない。他にも、天ぷら、蕎麦、飴売り、甘酒売り、水売りと一通りの嗜好を満たすものが揃っていた。

 幕末に来日した、デンマーク人のエドゥアルド・スエンソンはこう記している。

 「(屋台の)真ん中の板には料理の逸品が並べてあり、どれも清潔で見事にこしらえていて、思わず食指を動かされる。中でも魚のケーキ(握り鮨)はなんともいえぬほどに見た目に美しく、魅了させられてしまう」

 という状況なのである。


 当然、その中には、流行りと言える盛況を示す屋台もある。

 加藤は、そのうちの一つを覗く。

 「あ、加藤の旦那!」

 店主の三吉が声を掛けた。

 「今日は、アオギスとアジ、マコガレイだ。ハゼは渡さねぇ」

 加藤はそう言って魚籠を渡した。


 「おありがとうございます。

 アジはまだ生きてやがる。相変わらずいい腕ですね。結構数があるんで、明日も食べに来ておくんなさい。そうでないと貰い過ぎちまうことになる」

 「生簀付きの舟を頼んだし、大潮だったからな。おかけで数が稼げた。明日も良いのか?」

 「河岸でだって、ここまでの魚はなかなか手に入らねぇ。ましてや、明日の朝の商売がエビ、穴子、コハダ以外、仕入れしなくて済むんだ。今日明日、腹一杯食ってもらったって、こちとら勘定は合いますぜ」

 「礼を言う」

 「ましてや、旦那、ハゼは横の甚の屋台で天ぷらにして貰うつもりでしょう? 腹一杯と言ったって、そんなにゃ食うめえし」

 三吉が笑う。笑いながらも、手の包丁はアジの鱗をせっせと剥がしだしている。

 加藤も苦笑する。ここのところ、この周囲の屋台の主たちに加藤の行動は見抜かれていた。


 釣った魚は、一人世帯では持て余す。まぁ、釣れない日もあるのだが、江戸湾は実に豊かであった。潮が良く、興が乗れば、百を超える数が釣れるのも瞬く間なのだ。

 そこで、道すがらの寿司の屋台に、「貰ってくれないか」と声をかけたのだが予想外に喜ばれる結果となった。冷蔵庫のないこの時代、寿司ネタはいわゆる仕事をしたネタが中心となる。塩や酢をしない生の魚は、あっという間に腐敗してしまうからだ。

 ただ、冬には、仕事を抑えた生の刺身を乗せた寿司も可能になる。それで味を覚え、夏にも食いたいという無茶を言う客もいるのだ。


 三吉も、基本的にそのような注文は「べらぼうめ」と断るのだが、生きている程の鮮度の魚があれば話は別である。

 加えて、三吉のところは、今年、つ抜けする息子がいる。通常、屋台では一人で一つの屋台の全てをせねばならないが、見習い程度でも仕事を覚えつつある息子がいれば、茶を出したり客の食った後の後片付けをしたりの雑用分でも大きく助かる。

 その浮いた時間で、魚を捌き、即、握る。


 当然、屋台の仕事は外から丸見えで、通りがかりの客も呼び込めるから、握るそばから売れる。それだけでなく、すでに握ってある仕事をしたネタの寿司も合わせて摘んでもらえるから、売上は大きく伸びるのである。忙しさも倍、儲けも倍。これだけならば、得をした気にならないかもしれないが、その鮮魚が仕入れ不要で向こうからやってくるというのだから、これはありがたい。


 また、この加藤と三吉のやり取りからおこぼれをもらう形で売上を伸ばしたのが、隣の天ぷら屋台の甚助と風鈴蕎麦の猿吉である。

 三吉は、加藤に一言筋を通してから、寿司にしにくいギンポのような魚や小さすぎる魚を甚助に渡した。

 天ぷらも事情は同じである。加熱する調理とはいえ、海産物はやはり鮮度がものを言う。江戸前のハゼやアオギスは単体でも天ぷらにするが、小さなものはかき揚げにもなる。したがって、身が拾える程度の大きさでもありがたい。天ぷらネタの活きのいいのを捌いていると、やはり屋台で外から仕事が見えるので、客が付くのだ。


 甚助の隣の風鈴蕎麦の猿吉のところは、甚助のところの天ぷらが旨いと、天ぷら蕎麦にして食うんだという客が増える。一人、天ぷらを乗せた蕎麦を手繰る客がいると、次からきた客が全て蕎麦も注文するのが常になっていた。

 「胡麻の油と出汁が混じるのがたまらなくうめぇ」のだ。

 そして、それらの客は、次からは注文の順番が逆転し、天ぷらの台となる蕎麦から注文をするようになるのだった。屋台の風鈴蕎麦が、通常二十人分の準備なのに対し、猿吉はすでに別の岡持ちにもう二十人分を都合するまでになっていた。


 この三人、基本的に腕が良いので、博打にでもはまらなければ、自分の店を持つ日もそう遠くはないだろう。なので、先々のことを考えれば、浪人といえど侍の加藤と繋がりを持てるのは悪いことではなかった。

 侍、武士は軍人であると同時に、知識階級でもあるからだ。


 甚助は、今年の二月に小田原で起きた大地震の際、父母の安否を問い合わせる行き届いた手紙を書いてもらって以来、加藤へ頭が上がらない思いでいるようだし、猿吉は、床店を持てたらその屋号を看板に揮毫きごうをすることを頼み込んできている。

 おかげで、加藤にしてみれば、釣りに出た日は調理をしなくても寿司と天ぷらには困らない。釣りに出ない日も、猿吉の二八蕎麦に握りの一つか小さな天ぷらくらいは乗ってくるという、独り身には願っても無い状況となっていた。


 「旦那も好きですね。三日から五日に一回は、釣りに出ていらっしゃる」

 鯵の寿司を一つ、穴子の寿司を一つ摘んで、天ぷら屋台に移動した加藤に甚助が声をかける。当時の握り寿司は、一つ一つが大きい。三つも摘めば、天ぷらまで食べられない。

 加藤は、頭から顔に手ぬぐいをかけ、二つ目のハゼの天ぷらの串を摘んでいた。当時の天ぷらは、基本的に串揚げである。そして、侍が屋台で食事をするときは、顔を隠すのが常であった。

 士たる者は下賤な場所での食事を恥として顔を隠す、というのが表向きの理由だが、その一方で、加藤がそのようなポーズを作らないと、町人の他の客が遠慮して入りにくいのだ。


 「釣りはな、これの修行なのだ」

 これ、に合わせて両手を刀を握る形にする。

 「釣りが、ですかい?」

 「ああ、これにとって一番大切なのは、拍子という呼吸でな。相手がどうしたからこうするなどと、考えていたらその間に斬られてしまう。意識しないまま相手のどうしたに最善の対応をする。これは、魚の種類による魚信あたりの違いに、考えることなく合わせを変えていくという、そのままに鍛錬に有効なのだ」

 「へぇ、じゃあ、うちの長屋の隠居も釣り上手ですが、刀を持たせたら強いですかね」

 「若い時にでも、剣の型の一つ二つでも学んでいれば、そして、釣りの呼吸と剣の道の呼吸が同じということに気がついていれば、喧嘩の時にも怪我をせずに逃げる隙くらいは見つけられるだろうよ」

 「そんなもんなんですかねぇ」

 話をしながらも甚助が手に持った菜箸は、せっせと油鍋の中の天ぷらを返していた。


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Twitterに刀の中子の写真を載せました。

よろしかったら、御覧くださいませ。


https://twitter.com/RINKAISITATAR/status/1287203441899474944

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