第62話:夜寝るときは着けない派

 楓さんと混浴を終えて風呂から上がった時には日付はすでに変わっていた。火照った身体のまま布団に入り、俺は英単語帳を開いて暗唱していた。暗記物は寝る前に行うのが記憶のメカニズム的に考えると一番いいからだ。


「フフッ。偉いですね、勇也君。今日一日で結構勉強したはずなのに寝る前にもやるなんて。根を詰め過ぎてもよくないですよ?」


 髪をかしながら楓さんがやってきた。モコモコのパジャマから覗く白磁の肌はまだ熱を帯びているようで。心なしか頬も蒸気していて普段のお風呂上りよりも色香が増している。いや、それだけじゃない。楓さんのあのスク水姿が頭から離れないのがその最たる原因だ。


「フフッ。勇也君、顔が赤いですよ? もしかして……私の水着姿を思い出しているんですか? 色々大きくなってサイズがきつくてぴっちぴっちになっていた私のスク水姿を」


 四つん這いの姿勢で俺の隣に急接近してきた楓さん。舌なめずりが妙に艶めかしく、耳元でのささやきは蕩けるように甘い。


 それだけではない。体勢が体勢なだけに視線を少し下に向けたらパジャマの隙間から谷間が見える。しかもがっつりと。お風呂上り熱いのはわかるけどそこはちゃんと前を閉めてよと思う。と言うか待て。なんか肌色しか見えなかったんだがもしかして―――


「気付きましたか? そうです。勇也君の想像通り、今の私は……ノーブラです」


 ぎゃぁぁぁあぁぁ!!?? やっぱりそうだったぁ!? なんで!? いつもは違うよね!? 普段楓さんと抱き合って寝るときは下着をちゃんと着けているよね!? それなのにどうして!


「お風呂に入っている時間が長かったせいで着けると蒸れちゃいそうで……それに私、本当は寝るときは下着付けない派なんです」

「そういうカミングアウトは出来ればもっと早くしてほしかったよ! どうしてよりにもよって今日なのさ!?」


 衝撃の真実だった。楓さんが就寝時はブラジャーを着けない派だったなんて。いや、それ自体は別にいいんだけど(よくない)、問題はタイミングだ。お互いに水着を着ていたとはいえ身体を流し合い、混浴して湯船で抱きしめたその日に暴露されたら、ただでさえ思い出してドキドキしているところに追い打ちでしかない。


「だって……一緒に暮らしだして間もない頃に夜寝るときは下着を着けない派ですって言ったら勇也君に驚かれるかなって思って……」


 いやいや! あなた同棲初日の夜に普通に風呂に入ってこようとしましたよね!? 翌朝は実際に突撃してきましたよね!? 忘れたとは言わせねぇよ!?


「…………もういいじゃないですか、そんな昔のことは。それよりも大事なのは今です。勇也君と一緒にお風呂に入って身体を流し合ったので私もそろそろ就寝時のノーブラを解禁しようかと思った次第です」


 エッヘンと何故かどや顔で胸を張る楓さん。今が冬で厚手のパジャマでよかった。もしこれが夏でTシャツとかだったら大変なことになっていたぞ。凶器は豊潤な果実そのものだけではないのだから。


「フフッ。ほんと、勇也君は可愛い鳥さんです。ドキドキしているのが手に取るようにわかります。そんな勇也君を見ていると……虐めたくなっちゃいます」

「い、虐める? 何を言っているの楓さn―――!?」

「いただきまぁーーす。はぁーーーむ」 


 俺が言い終わるより早く。楓さんはさらに距離を詰めてペロリと耳たぶを舐めてきた。しかも進撃はそれだけでは終わらない。耳全体を濡れそぼった舌でしっとりと舐めあげると、仕上げにはむっと甘噛みしてきた。その間僅か約5秒。


 びっくりした俺は短い悲鳴を上げて飛び上がり、そのままベッドから転げ落ちた。地味に痛い。


「勇也君!? 大丈夫ですか!?」

「痛たたた……だ、大丈夫……何も問題ないから」


 体を起こして背中をさすりながら答えると楓さんはほっと胸を撫でおろした。一安心している所申し訳ないが一言だけ言わせてもらおうか。


「楓さん、いい加減にしようか?」

「……はい。調子に乗ってごめんなさい」


 しゅんとなって謝る楓さん。もし子犬だったら飼い主に叱られて耳を垂らして尻尾も下がっていることだろう。そんな姿を見るとこっちが申し訳なくなってくるから俺も相当甘いと思う。でも仕方ない。楓さんには笑っていて欲しいから。


「あぁ……その、なんだ。毎日じゃなくてたまになら良いと言うか、別に耳舐めが嫌いとかそういうわけじゃないと言うか……しょげないで、楓さん」

「……怒っていませんか? やりすぎたことを怒っていませんか?」


 上目遣いで尋ねてくる楓さん。なんだよ、やりすぎたって自覚はあるんかい。俺は苦笑いしながら楓さんの頭を優しく撫でた。


「怒ってないから安心して。確かに驚いたけどむしろ俺にとってはご褒美みたいなものだからさ。でもあんまりやり過ぎないでね?」

「はい。わかりました。勇也君が可愛くてもほんのちょっぴりだけ自重するようにします。ほんのちょっぴりだけ」


 ねぇ、楓さん。どうして2回言ったのかな? 大事なことだからかな? ちょっとしか自重してくれないの? はぁ……なんかどっと疲れが押し寄せてきた。暗記どころじゃなくなったからもう寝よう。


「まだ試験まで時間はありますから、今日は寝ましょう。ほら、電気を消すので布団に入ってください」


 いそいそと俺は布団に入る。そして当然のように楓さんがすぅと俺との距離をゼロにして腕に抱き着いてきた。いつも以上に柔らかさを感じて想像以上にヤバイぞこれ。


「ねぇ、勇也君。おやすみのちゅーはないんですか?」


 これが挟まれるということか、最高かよ。とアホな感想を頭の中で呟いていると、瞳をうるうるさせながら楓さんが懇願するように言ってきた。うん、すごく可愛い。


「おやすみ、楓さん」


 身体を反転させて楓さんに覆いかぶさる。まるでベッドに押し倒しているかのようなこの状態で優しくキスをして、俺はゴロリと回って仰向けの体勢に戻った。楓さんは無言だが、俺の腕からぷるぷると震えているのがわかった。どうした?


「勇也君はやっぱりストライカーです。一発で試合をひっくり返されました……」


 照明の消えた真っ暗な中でも楓さんが顔を真っ赤にしているのがわかる。やられたらやり返さないとね。


 こうして、勉強会から始まった長い一日がようやく終わった。

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