10章 "悲嘆"

1話 理性の檻 ※若干の残酷描写あり

「グレン? 入るぞ」

 

 連日の魔物討伐と配達の任務を終えて4日ぶりに砦に帰ってきた。

 正直疲れた。飛竜シーザーにも無茶をさせたから、褒美にいい肉を大量に買ってやった。

 

 帰ってすぐに向かったのは砦の医務室。

 今、ここのベッドでグレンが病に伏せっている。

 

「具合はどうだ?」

「……悪い」

「熱は」

「下がらない」

「……そうか。今ちょっと話できるか?」

「ああ……」

「……寝てろよ。しんどいだろ」

「…………」

 

 起き上がろうとしたグレンは俺の言葉に素直に従い、そのまま寝転んだ。

 

 あの日グレンは帰る際「荷造りをしてまた明日来る」と言ったのに、次の日の夕方になっても姿を見せなかった。

 心配した兄がウィルの扉の魔法を使って家に飛んでみると、キッチンの床に倒れ込んでいたという。

 慌てた兄が、旅先にいる俺を呼びに来た。

 水を飲もうとしたのだろう、床にはマグカップが転がり水たまりを作っていた。

 声をかけても返事がない。息をゼイゼイと乱してただうなされるだけ。震えているのに身体は熱かった。

 ベルナデッタが言うには、魔法――おそらく転移魔法の使いすぎで「魔力欠乏症」になったところに、さらに風邪もこじらせてしまったのだろうということだ。

 

 魔力欠乏症のせいで風邪が悪化し、高熱が続いて全く下がらない。

 身体はまず枯渇した魔力を回復することを優先するが、しかし身体が弱っている為に魔力の回復も微量。身体も魔力も回復しないという悪循環だ。

 魔力欠乏症を治すにはそれ用の上級魔力回復薬ハイエーテルが必要だが、それには微量の酒が含まれているため、体質的に酒が駄目なこいつはそれを飲めない。

 そして、酒が含まれていないハイエーテルはポルト市街には流通していなかった。

 ――あれこれと運が悪い。

 

「薬はベルナデッタが王都に買いに行ってくれてるから。今日夕方頃になるかな? それ飲めば魔力欠乏症の方はなんとかなるだろう」

「そうか。……話というのは」

 

「……ああ、2つあって。お前、リューベ村のレスター・バートンって男知ってるよな」

「知ってるが……なぜ」

「配達に行った先で会った。それ以前にもちょっと顔見知りになっててさ。……それで、彼に伝言を頼まれた」

「伝言……?」

「『村を助けてくれてありがとう。ワインセラーは僕が燃やしました、主はここに帰らせません』とさ」

「…………」

「よく分からないけど、聞いたまま伝えたからな。お前は意味分かるのか?」

「……ああ」

 

「あのレスターという彼、大人しそうな顔なのにやること激しいな、ワインセラー燃やすなんて」

「……あれは彼の父親である孤児院の副院長が建てたワインセラーだ」

「副院長?」

 

 確か、ノルデン人を毛嫌いしてグレンを追い出した奴だ。

 

「俺みたいなノルデン孤児の為の助成金を不正に受給して、その金で建てた。蓄えていたワインも全てその金で買っていたらしい」

「…………」

 

 子供をいびってこき下ろして濡れ衣を着せた上に追放、さらに金まで搾取し、その金は嗜好品に。

 ……とんでもないゴミだ。

 

「だから、そこのワインを全部叩き割った」

「…………え? 割った? お前がか?」

「ああ。数百本あったのを全部。やめてくれと泣いていたが無視した」

「…………」

 

 グレンからうっすらと黒い瘴気しょうきが立ち上る。

 こいつは短気ではあるが、自分自身のためにそんな暴力的な行動に出たことはない。

 大体のことをボーッと聞き流して「そういうものだ」みたいな顔をしていた。

 が、恨みの象徴のような相手にはさすがにそうはいかなかったのか。

 

「数百本も? ……酒駄目なくせに無茶するよ。匂いすら無理じゃないかお前」

「……吐きそうだった。それに終わっても何もすっきりしない」

「……反省してるってことか?」

「していない」

「そうか……なんだよ、相談しろよ。そんな楽しそうなこと俺も呼べよ」

「楽しそう? ……お前は止めてくるかと思ったが」

「まあ、止めはするだろうな。でもど――しても憎いからやってやりたいって話だったら俺も一緒に行って割ってやったのに」

「…………」

 

「……次は誘えよ」

「……ああ」

 

 

 ◇

 

 

「……で、もう一つの話なんだが。僧侶ネロの話だ」

「ネロ? ……あのおっさんがどうかしたか」

「死んだって」

「死……?」

「殺されたんだ。……ああ、お前が疑われてるとかじゃないから安心しろ」

 

 ネロ・ラングリッジ 39歳。独身、子供なし。

 神に仕えて25年の大ベテランの神官だった。法力ほうりきも高く、仕事の腕も確か。しかし位は低い。

 言動が全く神に仕える者のそれじゃない……どころか、人としてのモラルが備わっていないんじゃないかというほどだったからだ。

 とにかくタチの悪い冗談を言う。容姿や職業や収入など、人の事情やコンプレックスにズケズケと踏み込む。

 俺も一度あの男に絡まれてキレそうになったことがあったが、「冗談なのに」とヘラヘラ笑いながらかわされた。

 言い合うのは時間の無駄と痛感して、以降は無視することに決めた。

 そういうわけで常に人間関係のトラブルが絶えない男だった。

 ボコボコに殴られたこともあったらしいが、しかし……。

 

「例の、魂を抜かれた変死体となって見つかったんだ。しかも今回は特殊だ……いつも外傷はないのに今回は胸部を刺された上、心臓がえぐり取られていたらしい」

「…………!」

 

 さすがのグレンも戦慄し、青ざめる。

 ――そうだ。ネロと暴力沙汰のトラブルになり、奴を嫌う人間は数知れず。

 だが殺してやろうというほどではない。ましてや、そんな残忍な方法で。

 

「何故、そんな」

「ミランダ教の司祭によると『魂を抜こうとしたが相手の法力が高いため思うようにいかず肉体を傷つけたのではないか』って話だ」

「……弱らせてから、魂を……? しかし心臓を取るのは何のためだ……?」

「詳細は省くが、術師の心臓も禁呪に使えるらしい」

「…………」

「悪いな、体調悪いのにこんな話」

「……いや」

 

 病人にこんな話をすべきじゃない。この医務室に入った当初よりもグレンの顔色は悪くなっていた。

 

「何が言いたいかというと……ネロの惨殺事件を、今手配書が回っている"赤眼の男"と結びつけて考える奴が増えてしまっている。眼の色を紋章で一時的にごまかせるとはいっても、お前は街を歩かない方がいいかもしれない。ノルデン人だし」

「……そう、だな……」

 

 手配書の男は黒髪のノルデン人。

 グレンを見れば、それだけで怪しいと思ってしまう奴が出てくるだろう。

 屈強な見た目で実際に強いグレンだが、病気で弱っている状態なら勝てると思って強く出てくる人間が必ずいる。

 先の話に出た副院長や、昔こいつに放火の濡れ衣を着せたおっさんのような奴だ。

 嫌な予測だ……しかし近いうちにこの予測は事実になるだろう。

 

「ベルナデッタを拉致した連中の仕業だろうか? また"血の宝玉"に……」

「……そうかもな。お前も気をつけろよ」

「俺が? なぜ」

「紋章使いは禁呪の"極上の素材"らしいし、今お前弱ってるから魂取りやすそうだ」

「……やめろ、気持ち悪い……だが、確かにそうだ」

 

「話はこれで終わり。長くなって悪いな」

「いや……」

「何か食うか?」

「いい。ここ数日食欲がわかない」

「……一大事じゃないか。とりあえず、ベルナデッタが薬持ってくるまで寝てろよ」

「眠れないんだ」

「睡眠導入剤あっただろ、あれ飲めば――」

「……寝るのは嫌だ。神経がすり減る」

「……そうか。……まあ、無理せず横になってろよ」

「……すまない」

「謝るなよ」

「……ああ」

 

 それきりグレンは何も言わず、荒い呼吸を繰り返しながら枕元に置いてある白いマフラーを手に取り見つめるだけになってしまう。

 あれは、レイチェルが編んだものだろうか……。

 

 

 ◇

 

 

(ちくしょう……)

 

 苛立ちばかり募る。なんでこんなことになるんだ。

 

 理性に歯止めがきかず、押し込めていた欲望や衝動を抑えられなくなる"赤眼あかめ"。

「ほとんど全部が憎い」「謝らせたい奴が山ほどいる」――あいつはずっと、理性の檻の中に憎しみに燃える獰猛な獣を閉じ込めて生きていたんだろう。こうなることは必然だったのかもしれない。

 だが、なぜ今なんだ。その"檻"を完全に開け放ったものは何だ?

 確かに昔からずっと不必要に悪意をぶつけられてきた。

 副院長とやらをはじめ、身勝手な誹謗中傷や攻撃を繰り返す連中――やり返すことも謝らせることもままならず、さぞかし憎んでいただろう。だが闇堕ちまではしなかった。

 今ここでは奴の心の闇を煽り立てるようなものはないはずだ。

 何があいつを急激に赤眼そこまで堕とした? ……きっかけが分からないなら、対処のしようがない。

 

 例えば今、あの状態のグレンを攻撃する輩が現れたらどうなるのだろう。

 鍵が開け放たれている猛獣の檻を、それと知らず蹴りつけたり中の獣を傷つけようとする馬鹿が現れたら?

 怒り狂った獣が檻から出て暴れ出してしまえばきっと俺でも止められない。

 剣の腕は五分かもしれないが、あいつには火の術がある。本当に殺す気で襲いかかってきたらひとたまりもないだろう。

 

 この先どうなってしまうんだ。

 頼むから本当に、何事も起こらないでくれ。

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