◆エピソード―メリア:"あの子"(前)

 また夫のガストンが厄介ごとを持ってきた。

 

 泥棒のノルデン人の子供を住み込みで働かせるなんてどういうつもりだろう?

 そうやって引き取られた子が家財を持って逃げ出す事例を山ほど聞いているはずなのに。

 犬猫を拾う感覚で人間の面倒なんて見られるはずがないじゃない。

 あんたが見るならいいけど、どうせ私が世話するハメになるんでしょうが。全く、面倒だ――最初は確かにそういう風に思っていた。

 

 自宅に忍び込んできたその子供はみずぼらしく汚い風貌だった。

 長い黒髪はバサバサ。時折川などで水浴びをしていたらしいけど、風呂に入っていないので頭も身体も臭い。

 着ていた服は元は白かったらしいが、茶色く変色してこれも異臭を放っていた。

 ほとんど全く喋らないが、捕まえた際に夫が事情聴取をして一言二言発したその声はまだ高かった。年齢は11、12歳程だろうか?

 表情は少ないけれど、目だけがギョロリとして――ノルデンに限らず、多くの身寄りのない子供と同じ。

 大人や世の中に対する不信と憎しみに満ち満ちたそういう目だった。

 

 

 ◇

 

 

「ちょっと……何してるの?」

「!」

 

 夕飯の時間例の少年を呼びに行くと、あてがった屋根裏部屋におらず、私の部屋に入り込んでいた。

 まさか何か盗る気じゃないだろうかと思って一瞬身構えたが……。

 

「何……本読んでたの?」

「…………」

 

 怒られると思っているのか少年は目を伏せて視線を横にそらし、肩を強ばらせる。

 手に持っているのは、ロレーヌ国の美術館の展示品の図録。数年前に夫と旅行に行った際に買ったものだった。

 

「……本が見たいんだったらそう言いな、どうでもいいことを疑われたくないだろ。それ持ってっていいから、夕飯のあとにでも見な」

「…………」

 

 必要最低限の言葉しか喋らない少年。

 いくら聞いても名前を絶対に名乗らない。

 言われたことには従うが、自分から何か希望を言うことはない。

「カラスと言われるから黒い服は嫌だ」という主張だけしたので、それには従って淡い色の服を用意してやった。


 何の躾もされていないわけではないようで、背筋は常に伸びていて食事を取るときも行儀がいい。

 特に指示もしていないのに、早朝から起きて掃除をする。どこか規律の厳しい所にでもいたのだろうか?


 夫はよその街に素材を買い付けに行くことも多く、必然的にこの少年と私だけの空間ができてしまう。

 

 ――なんなのよ。

 

 私は家事全般が苦手で、特に料理が苦手だ。

 夫が出かけている時はこれ幸いといつも適当なものを食べていた。

 でもこの子がいるならそうもいかない。ああもう、面倒だ。

 

 一度、それならこの子に料理を覚えてもらえばいいじゃないかと思い目玉焼きを作らせてみたことがあった。

 黄身を半熟に、とかそういうこともない、ただフライパンに卵を落としただけのシンプルなものだ。

 力の加減が分からず、卵を割るのもなかなかうまくいかない。それでもやっと作り上げた一品を、何故かテーブルからなぎ払って落としてしまった。

 何事かと問うても返事はなく、息を大きく乱して体中をかきむしるのみ。そして程なく、床に膝をついて吐き戻してしまう。

 そして「ごめん、掃除をするから」なんて言いだす。

「俺は料理とか、モノ作りはどうしてもできない。それ以外ならできるから」とも。

 

「……分かった、分かったよ。私が片付けておくから、あんたは早く風呂に入りな」

「でも」

「いいから! あんたは自分の身体の具合だけ考えてな! 今あんたがすることは着替えて風呂に入ること。分かった!?」

「…………」

 

 思わず大声を出してしまった。すると少年はようやく立ち上がり風呂場へよろよろと歩いて行った。

 

 モノ作り云々は全く分からないけど、ともかくあの子は床に吐いた時『ごめん』と謝らなければいけない環境に身を置いていた。よほどに虐げられ、否定されて生きていたのだろう。

 だから何の希望も言わない――きっと、叶えられたことがないから。

 

(ガストン……あんた、とんでもないのを拾ってくれたね)

 

 この場にいない夫に心の中で悪態をつく。

 

 自分は慈愛に満ちた女じゃない。

 数年前にうしなった我が子にも満足に愛を注げなかった。

 ――ある日友達とその親と川へ遊びに行って、溺れてしまった我が子。

「晩ご飯は食べるのかい?」――それが、最後に交わした会話だった。

「食べる」と返ってきて、「ああ、作らないといけないのか」なんて思っていた。

 我が子にすらそうだったのに血のつながりもないよその子、それも心に重大な傷を負っている泥棒の孤児だなんて私には荷が重すぎる。

 

 

 数ヶ月後、少年はやっと名前を名乗った。

「グレン・マクロード」という名前――数ヶ月前常連になった新米竜騎士のクライブ君が聞き出してくれた。

 それから誕生日は1537年の5月16日。

 どういう経緯か分からないけど、これもクライブ君がミランダ教会に連れて行って調べてくれたようだ。

 私と夫だけだったらこの先もコミュニケーションが取れなかっただろうから助かった。

 年齢は15歳。生きていたら私達の子供と同じ年だ――。

 

 

 ◇

 

 

「おかみさん。俺、黒天騎士団に入るから」

「え?」

 

 数年後のある日、グレンが私にそう告げた。

 背が伸びて声も変わった。夫に言われてケンカをふっかけられても大丈夫なようにと体を鍛えて剣術も習って……そんな矢先のことだった。

 私はこの子の戦いを見たことがないけれど、クライブ君が言うには「すごい技術だ。短期間で強くなってるし、天才じゃないのかな?」とのこと。

 そんなグレンの剣術を見た黒天騎士団の将軍の一人が、自らスカウトしてきたらしい。

 名誉なことだ。喜ぶべきだろう。

 

「騎士団に? それはいいけど、でも訓練は相当にきついって言うよ? それに――」

「大丈夫。多少きついくらい」

「…………」

 

 はっきり言って私は喜べない。

 訓練はきつい。魔物と戦うのだから死の危険だってある。

 何より、この子には戦いを仕事にして欲しくなかった。

 

 ――だってあんたは、本を読むのや絵を見るのが好きだったじゃないか。

 ただ夫やクライブ君と打ち合いをするだけのものなら楽しみながらできるけれど、騎士になってしまうとそうもいかない。

 それに黒天騎士団の制服は全身真っ黒だ。あんた「黒い服は着たくない」って、そう言っていたじゃない――。

 

「……そう。それなら、いいけど……頑張りなよ」

 

 言いたい言葉を全部飲み込んでそう言うと、あの子は目を伏せて少し笑い「うん」と言った。

 

 

 ◇

 

 

 クライブ君の言った通りあの子は本当に強かったらしく、トントン拍子で出世して将軍にまでなってしまった。

 黒天騎士団の将軍は3人。東軍将とうぐんしょう西軍将さいぐんしょう北軍将ほくぐんしょう

 その中でも特に精鋭が集まる北軍のトップである北軍将だ。

 強すぎて「炎の化身」「死神」「魔王」なんて異名までついている。

 

 ――馬鹿馬鹿しい。「北軍将」で十分でしょう、勝手に変なあだ名をつけないでよ。

 何もかもあの子を普通じゃないと区別するための言葉。「カラス」と何が違うって言うの。

 

 激務の為か、騎士になってからはこちらへ来ることがほとんどなくなった。

 時折「武器の調整を頼みたい」と店にやってくるのみ。どれだけ「いい」と言っても必ず料金を払っていく。

 まるで"客"だ――こんな古くて綺麗とはいえない所なんて、用がないのかもしれない。


 もうあの子は自立したんだ。

 将軍ともなれば、この先何も困らないだろう。

 店で下働きしている時なんかよりもよっぽどいい生活をしているはずだ。

 

 だけどあんた、疲れた顔をしているよ。ちゃんと休んでいる?

 仕事が大変なのは分かるけど、休めるときは休みなよ。

 今も本や絵は好きなの? 美術館の図録、新しいのを買ったんだ。持って行きなよ。

 

 親でもない口が悪いばかりの無愛想な中年女にあれこれ言われても鬱陶しいだけだろうと思い、私はまた全ての言葉を飲み込む。

 馬鹿だった。都度都度思ったことを言っていればきっと、あんなことにはならなかった。

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