◆回想―雑音が聞こえる
「ごめんなさい、グレン」
数ヶ月ぶりに会った"彼女"は暗い表情で俺に頭を下げた。内容は既に分かったようなものだ。
「ごめんなさい。私はあなたを愛しているけど、どうしてもあなたのことが理解できない」
「…………」
『厄介な仕事を抱えている、それが片付けばもう少しくらい会えると思う』と言って、そこからどれくらい経ったのだろうか。
ずっと会えずにいた。いや、会わなかった。
「……疲れたの。ごめんなさい、別れてください……」
そう言うと"彼女"はうつむき、涙を流すだけになってしまう。
――当たり前の話だ。
副院長のダン・バートンの素行を調べて、制裁を加える。
どうやって陥れてやろう、何が効果的だろう――ここ最近そのことしか考えていなかった。
あのワインセラーの一件のあとも粘着して仕返しをした。
村の自警団に手紙を送った。副院長からの手紙を封筒に入れただけのものだ。
あれが人目について少しでも恥をかけばいいと思ってそうした。
その後憲兵を差し向けて逮捕させて、それで終わりだ。もう会うことはないだろう。
だが全てが終わった今、充足感は何もなかった――。
「……分かった」
弁明の言葉が見つからない。
ここ数ヶ月、頭の中に"彼女"がいたことはなかった。
"彼女"は数少ない理解者だった。将軍の地位に就く前から付き合っていた。確かに愛していたと思う。支えようとしてくれていたと思う。
1つ年上、明るくよく笑う
俺の短い返事を聞いて、"彼女"の目から更に涙がこぼれる。
「あなたが私を信じてくれていたかどうか、自信がずっと持てなかった」
「……信じていないなんてことは」
「本当にそうかしら?」
「…………」
「私だけじゃないわ……あなたは誰か信じる人がいる? 私は、あなたはあなた自身すら信じていないと思う」
一度言葉を切って、涙を拭いながら"彼女"は俺をまっすぐに見据える。
「……あなたは、ずっと一人だわ……」
「…………」
――誰も信じていない? そんなつもりは決してない。
それに自分を信じるというのはなんだろうか。何一つ、分からない。
だが言葉を発した"彼女"に問うこともできない。
それができるのは、お互いの気持ちが通じ合っている間だけだろう。
彼女はもう俺を理解できない。俺という人間に疲れたのだ。対話はもはや不可能だ。
俺が全て壊した。
過去の妄執に囚われ、今ある大事なはずのものに目を向けなかった。
一体俺は何をやっていたのか――。
◇
それから数週間後、"彼女"の父親の元を訪れた。
"彼女"の父は、とある商会の会長を務めている。跡目は"彼女"の兄が継ぐことになっていた。
何回か顔も合わせてお互いに結婚も意識しはじめていたが、孤児院のことを知ってから全く思考停止していた。
なぜ呼び出されたのだろうか。別れたことを、娘を傷つけたことを糾弾されるのだろうか。
会長は温厚な人だが、もしかしたら殴られるのかもしれない。だが何があっても受け入れるしかない。
「すまないね、グレン君。忙しいのにわざわざ来てもらって」
「いえ……」
「……座ってくれ」
応接に通され椅子に座ると、会長は手を組み合わせて黙り込む。
前に来たのはどれくらい前だっただろうか。あまり覚えていないが、心なしか調度品やインテリアが減っている気がする。
会長も目の下に隈ができており顔色も悪く、どこかやつれて見える。
「実はその……君に、謝りたいことがあって」
「……どういうことでしょう。会長が私に謝ることなど」
「……む、娘と……別れて、欲しいんだ……」
「え……?」
――俺と別れたことを"彼女"は父親にまだ言っていなかったのか。
もうすでに別れた後だが、なぜこんなことを持ちかけられるのか分からない。
「息子が新しく立ち上げた事業が失敗して、損失を補填するために借金を重ねてしまって……もう事業が立ちゆかないんだ」
「…………それと娘さんと、何の関係が」
そう問えば、会長は罪を告白するかのように語り出す。
――たくさんの分野で幅広く商売を営んできた。
今回のことでそのほとんどをたたまなければならないが、会長が亡き妻と始めたガラス小物の事業だけはどうしても残したい。
そしてそれを気に入ってくれて、援助をしてもいいと言ってくれる者がいる。
相手はとある伯爵家の子息。条件は、会長の娘との結婚――。
「…………」
まるで人買いだ。
だが俺達の関係はもう終わったことで、正直俺にはどうしようもない。
無駄に金ばかり持っているから金を貸すことくらいはできる。だが、事業を立て直せるほどには出せない。
それに仮に援助をすれば"貸し"を作ってしまう。"恩"と"義理"という鎖に縛られ、結婚しなければならなくなるかもしれない。
自分を信頼しない、理解できないから疲れる、そんな相手と。
相手がどこぞの伯爵令息とすり替わるだけで、結局人買いと変わらない。
「すまない、グレン君! すまない……!」
「…………!」
会長が立ち上がって素早く俺の座るソファーの前に歩み寄り、地べたに頭をこすりつける。
「すまない、どうか、この通りだ……!」
「…………」
――鐘の音が聞こえる。
正午を告げる、教会の鐘だ。
頭の中にガランガランと反響してくる。
同時に、別れ際に"彼女"が告げた言葉、会長の謝罪の言葉がこだまする。
ああ、嫌だ、うるさい。
鐘の音が、次第にジリリリというけたたましい音に変わっていく。
あのノルデンの孤児院、毎朝この音で起こされた。
音とともに大人の怒鳴り声。それが一日の始まりだった。
やめろ、やめてくれ。……どうして、今。
「顔を…………顔を、上げてください、会長」
正午の鐘がやっと鳴り終わった。酷い頭痛で目の前がふらつく。
「グ、グレン、君」
会長が涙を垂れ流しながら俺を見上げている。
俺は今どういう表情をしているんだろうか。どういう感情なんだろうか、それも分からない。
……なんでもいい、どうでもいい。もう帰らせてくれ。ここにいたくない。
「実はもう、彼女との関係は破綻していたんです。私が彼女を傷つけて……むしろ、謝らなければならないのは、こちらです」
『どうして……』
(…………え?)
頭の中に、またあの子供の声が聞こえる。
『どう、して……おれが、あやまるんだ……』
「…………っ」
「……グレン君? どうした……」
『おまえはウソつきだ……どうして、どうして……!』
「グレン君、大丈夫か……」
「…………っ、大丈夫です、すみません。そういうわけで会長が私に負い目を感じることはありません」
「グレン――」
「失礼します」
◇
その日から、さらに頭の中に声が響くようになった。
『どうして、どうして、どうして』
『いやだ、いやだ、いやだ』
『ウソつき、どうして』
『どうして助けた、あんなやつら、助からなければよかったのに』
『どうして。おれはあいつを殺したかったのに』
『ずっとあいつを殺す練習してたのに、どうして』
(やめろ……!)
――それは昔の話だ。
行き場所をなくして、名前も名乗らず全てを憎んでいた時の話。
確かに殺してやりたかった。ズタズタにしたうえで消し炭にしてやりたかった。
魔物の"命の火"――あれを副院長だと思って術を放てば全部命中した。
だが今はそんな不毛な術の使い方はしていない。
あんなクズでも人間だ。
賊のように命を取ろうと襲いかかってきたわけでもない人間を殺してしまえばどうなる?
あんなののために一生をふいにするのはごめんだ。
それに俺が殺人など犯せば、親方とおかみさんは街に住めなくなってしまう。
「やはりカラスなどを拾ったのは間違いだった」と糾弾されるだろう。
俺は今社会的な立場がある。恐れられて陰口を叩かれるが、わずかながら信頼してくれる人間もいる。
"彼女"から見ればまるで足りなかったのかもしれないが、信頼する人間だって一応いるんだ。
そのわずかな存在を裏切る訳にはいかない。
憎いからといって、あの男の命と引き換えにそれら全てを捨てることはできない。憎んでばかりなどいられない。
過去の清算はあれで十分だ。あれ以上のことはしてはいけない。だから奴に直接の暴力も振るわなかった。
――どうして"お前"は、それを理解してくれないんだ……!
◇
「……将軍、マクロード将軍!」
「……え?」
「……すみません、あの、この書類なんですが」
「書類? ……ここは……」
気がつけば、そこは自分の執務室だった。
いつから呼ばれていたんだろうか。前に立っているエリオットが困ったような顔で紙を俺に差し出していた。
しまった、頭の中の声のせいで意識が飛んでいた。
――頭の中の声? 何を考えているんだろう、そんなもの聞こえるはずがないのに……俺は馬鹿だな。
「あの……大丈夫でしょうか? 顔色が随分悪いです」
「ああ……あまり寝てないからかもな。忙しいし」
「そう、ですね……」
ここ数日、俺の管轄区域で魔物が増えていて、出撃が続いていた。
魔物を斬っている時は声も音も頭に響いてこないし、"彼女"との一件も忘れていられる。
ちょうどいい……といってはいけないか。
それにしても将軍というのは面倒だ。あれこれ指揮をしなければならないし、あまり前線に立てない。
命令を聞いて斬っているだけの方が楽だったな。――急に一般兵に格下げにならないだろうか。
「将軍! 将軍!」
「え……? ああすまない、ボーッとしていた。なんだったか……ああ、書類だ」
「はい。あの……ここが間違っていまして。修正をお願いしたく」
「ああ……書くところ間違ってたか。すまない、すぐ直す」
「お願いします」
「……これ書き終わったら、俺は"見晴らしの塔"に行くから」
ペンを走らせながら、パッと思いついたことを口にした。
見晴らしの塔というのは、俺が今いる「ベガ要塞」の見張り台の通称。
唐突に、そこに行こうと思った。
「見晴らしの塔……? なぜ、ですか?」
「え? なぜって、決まっているだろう」
「…………」
「……あそこ、高いから」
「な、しょ、将軍……」
エリオットは怯えたような顔で俺を見て肩を震わせる。
――驚いてばかりだなあ、こいつは。
見晴らしの塔は高い。高いから昇る。
ただそれだけのことなのに何をそんなに驚いているんだろう?
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