◆回想―誇り高き海の男 ※暴力・過酷な描写あり

 イリアスがいなくなって数日後の自由時間。

 ふと思い立って、イリアスが言っていた「海」「船」というのを探しに行くことにした。

 

(水がたくさん……水が、たくさん……)

 

 方角は分からない。その街に海があるかどうかも知らない。ただただ、水がたくさんある所を探し歩いた。

 

「!」

 

 キョロキョロしながら歩いていると、誰かとぶつかった。

 大人の男だった。男は俺を見ると、眉間に皺を寄せて俺を睨んだ。

 

「なんだお前……"カラス"じゃないだろうな」

(カラス……?)

「おい、財布盗ってないだろうな」

「さいふ……って、なに、ですか」

「とぼけるな!!」

「!!」

 

 男は腕を振りかぶる。

 殴られる――! そう思ってクロスさせた手を頭の上に持って行き防御の姿勢を取るが、拳が落ちてくることはなかった。

 

「……?」


 恐る恐る目を開けると、男の腕を別の男が掴んでいた。


「何をやってんだ、バカ」

「あ……す、すんませんキャプテン。このカラスが財布を――」

「なくなったのか? まずは探せ」

「あ、う……は、はい」

 

 男が服をあれこれまさぐる。やがて胸ポケットから薄い革の入れ物が出てきた。

 

「あ、ありまし、た……」

「バカヤロウが。そのガキンチョに謝れ」

「う……わ、悪かった。ぶつかってきたもんだから、つい……」

「ガキンチョにも非があるみてえな言い方するな、アホが。ちゃんと謝れぇ」

「う、うう……。ごめんよ……お、おじさんが、悪かった」

 

 男は俺に頭を下げて、頭を掻きながら去って行った。

 後には俺と「キャプテン」だけが残った。

 

「悪かったなボウズ。アイツは悪いやつじゃないんだが、ちょっと前にも財布を盗られたことがあって気が立ってたんだ」

「!!」

 

 キャプテンの手が頭の上に来たので、俺はとっさに頭を押さえる。

 頭の上に来た手は俺の頭と髪を円を描くようにくしゃくしゃにした。よく分からない行動だが、殴られるのではなかったようで安心した。

 俺の反応を見てキャプテンは怒っているのかなんだか分からない、不思議な笑顔を見せた。

 

「……こんな所に子供が一人で何の用だ?」

「……ふね、と、うみ、が、みたくて……それで、さがしています」

「船と海? それならもうちょっと行きゃあ飽きるほどあるぜ。連れてってやるよ」

 

 キャプテンについて行くと、そのうちに目の前に大きな水たまりが出現した。海というやつだった。変な匂いがする。

 その上に、何か大きい物が浮いている。イリアスが作った「船」に似ていた。

 

「これ、これが、ふね……」

 

 すごかった。大きいのに、どうして沈まず浮いているんだろう。

 大きい上にヒトがたくさん乗っている。みんな色んな色で、きらめいている。

 

「きれい……」

「んん? キレイかぁ? 客船なら分かるけど、ただの貨物船だぞ?」

 

 キャプテンが顔を掻きながら首をかしげる。

 

「……お前、どこから来た? 孤児院かどっかか? 名前は?」

「21番」

「……そいつは名前じゃねえぞ」

「神様にいのって、おこないをよくしていると名前がもらえる、です。そうしたら、おれたちは、ゴミからニンゲンになれる……のです」

「……色々気になるが、何だぁ? そのヘンな言葉遣いは」

「おとなには、ケイゴをつかわないとだめだって、神父さまがいいました」

「胡散臭ぇ神父だな。名前をもらったらゴミから人間になれる? バカめ、ゴミは人間にならない」

「おれは、ニンゲンになれない?」

「お前はゴミじゃない、人間だ。人間は生まれた時から人間だ。それ以上でもそれ以下でもねえ……まあ、ゴミになる人間はいるがな」

「……??」

 

 キャプテンの言うことは一つも理解できなかった。神父と全く違うことを言うから。


 ――おれはゴミじゃない?

 でも孤児院にいる神父達はみんな、「親に捨てられたからお前はゴミだ」と言う。ゴミは捨てる物、捨てられたからゴミ――そっちの方がよく分かる。

 キャプテンはヒトなんだ、だからおかしなことを言うんだ……そう思った。

 

 ボーッと船を眺めていたら、パキンという音が聞こえた。キャプテンが指を鳴らしたらしい。

 

「いいこと考えたぜ。おいボウズ、お前に俺の名前をくれてやろうじゃないか」

「名前を? ……キャプテンは神様じゃないからそんなことしちゃダメだよ」

「おい、お前のとこはどういう宗教だ? 意味分かんねえなぁ……いいから受け取れ。いいかよく聞け、俺様の名前は"グレン・マクロード"という。最強に渋い誇り高き海の男の名前だ、誇れ!」

「おれがキャプテンの名前になると、キャプテンの名前はなくなっちゃうの」

「なくならねえから安心しろぉ。ほれ胸を張って言ってみろ『俺様の名前はグレン・マクロードです』!」

「おれさまの、なまえ、は……、グ、グ」

 

 ――なぜか喉につっかえて、言うことが出来ない。

 

「なんだぁ、恥ずかしいのか? ……まあいきなりは名乗れねえか。ホレ、紙に書いといてやるから持って帰れ。よーく覚えろ。書いて書いて書きまくれ。それで堂々と名乗りまくれ」

 

 ガハハと笑いながら、キャプテンは自分の名前を書いた紙を俺に渡してきた。

 キャプテンの"火"は赤や青や緑がチカチカとゆらめいていてキレイだ。

 

 その後キャプテンはまた、最初に出会った地点まで案内してくれた。

 キャプテンは「俺の船で働かないか」と言ってきたが、俺は戻った。

 

 ――だって、神父が言っていた。「ヒトの世界は苦しみしかない」と。

 ヒトの世界は色で満ちあふれてキレイだけど、イリアスをみんなで鞭で打つよりも苦しい世界が広がっている……そう思っていた。

 

 

 ◇

 

 

「21番……何を、しているんです」

「!!」

 

 ある日孤児院で、もらった名前をキャプテンの言うとおりに書いて練習していたら、神父に見つかった。

 

「それは、なんですか?」

「あ……あ……の」

 

 目が血走っている。イリアスが船を作った時と同じだ。

 罰せられる――そう直感した。

 

「それは名前ではありませんか?」

「は、はい……」

「よもや、お前の名前ではありませんよね?」

「あ……あ……」

 

 声が震える。神父は最大限に怒っている。……どうして。

 

「あ……なまえ、です。おれ、なまえ、もらった……」

「捨てなさい」

「え……?」

「捨てなさいと言っているんです。お前はヒトですか? それとも、ゴミの分際で人間のフリをするのか!!」

「ヒッ……」

 

 声が低くて大きい。耳が壊れそうだ。

 イリアスを打った神父とは別の神父。この人もやはり怖かった。

 子供と話す時決してしゃがむことなく、目線だけで俺達を見下ろす。その目が本当に恐ろしかった。

 それに手の甲や腕に傷がたくさんあるのも怖かった。手の甲に十字の傷があり「これは若い頃に自分でやった」と威張っていた。

 

 ――どうして。なんで。名前を書く練習していただけなのに。

 まだ名乗っていない、だって口から出ないんだ。

 捨てたくない。だってせっかくもらった名前なんだ。

 胸を張れって言った。誇れって言った。いやだ、どうして。捨てたくない。人間のフリってなんなんだ。

 

 ちぎれそうなくらいに首を振って拒否した。すると、頬に衝撃が走った。無防備な所に大人の本気の張り手を食らった俺は吹き飛ばされ、床に思い切り身体を打ち付けた。

 神父がじりじりと歩み寄ってくる。――こいつほど怖い生き物を、俺は知らない。

 神父は俺の胸ぐらを掴み「懲罰房へ来い」と言った。

 

 きっと俺も、散々鞭で打たれたあとに、イリアスみたいにみんなから鞭で打たれるんだ。

 

 ――どうして。

 そんなに、そんなに悪いことをしている? ヒトとか人間とかゴミとか分からない。なんで、なんで、どうして。



 ◇ 

 


「早く、名前を捨てると言え!!」

 

 懲罰房で一人、神父に殴られている。イリアスの時と違って、周りに人はいない。

 何度も何度も殴られてそのうち気絶すると、神父は回復魔法で傷を癒やしてから水をかける。そしてまた、大声で罵倒しながら殴る。その繰り返しだった。

 懲罰房にはみんな、まず神父に散々ぶたれてから連れて行かれる。

 だけど帰ってきた者はみんな傷一つないキレイな顔だった。つまりこういうことだったんだろう。

 痛い、怖い、辛い……でも、どうしても捨てたくなかった。だって名前を捨てたら、またゴミになってしまう。

 

「クソゴミが……一言、うんと言えばいいだけなのに、逆らいやがって……っ!!」

「うぐ……っ、うう……」

 

 しびれを切らした神父が両手で俺の首を持ち、思い切り力を込める。

 ――痛い、苦しい、息が出来ない。なんで、どうして。もうダメだ。目が霞む。

 

 その時だった。


 ドン、という音がして、その音に気を取られた神父は俺から手を離し、辺りを見回した。

 

 ――ああ、息ができる。できるけど、涙と咳が止まらない。口の奥からよく分からない液体がこぼれる。

 

 神父が立ち上がり、懲罰房の階段を上っていった。

「ここでじっとしていろ。逃げようものならどこまでも追いかけてお前を罰してやる」と言い残して――。

 

 神父が出て行ったほんの数秒後、またゴゴゴ、ドドドという音がした。

 懲罰房全体が小刻みに揺れ、天井から砂がパラパラと落ちる。

 何が起きているのか分からない。なんで急に揺れるのか分からない。怖い。どうして。

 

 しばらくしてから揺れが収まり、辺りがしんと静まりかえる。

 どれくらい待っていたか分からないが、神父は帰ってこない。

 出口は階段を上って、すぐそこ。意を決して、少し出てみることにした。

 

 

 ◇

 

 

 地上に出ると異様な光景が広がっていた。

 孤児院を始め、たくさんの建物がぺしゃんこになっていた。平らだった地面が割れて、自分の身長よりも高い大きな段差ができている。

 階段から出てすぐ、崩れた建物の下に、赤い水たまりができていた。

 手が少しだけ見えた――十字傷がある。あの神父だ。ぺしゃんこになったんだ。もう、火は点いていない。

 孤児院だった所も、ちらほらと誰かの火が視える。少しずつ色が黒くなって、やがて消えていく。

 

 ――後に言う、ノルデンの大災害。その一番始めの、大地震。

 王様が、反乱軍を鎮圧するために禁呪を使って起こしたとかなんとか言われている。

 でもそんなこと俺には関係ない。

 

 ――どうして。神様は、どうして助けてくれない。

 ずっとずっと祈っていたのに、光の塾に連れて行ってくれないし、ここから助け出してもくれない――。

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