◆エピソード―カイル:街のカラス(中)

 ――カラスというのは孤児となり盗みを働くようになった黒髪ノルデン人のこと。

 元々銀髪ノルデン貴族が黒髪のノルデン人を蔑んで言う言葉だったらしいが、年月をかけてその意味は変わってきていた。

 

「ノルデンの子供を見たら泥棒と思え」――ディオールに初めて出かける際、先輩の騎士に言われた。

「みんながそうなわけじゃないだろう」なんて言えればよかったが、でも実際「カラス」とされる者の行いは悪かった。

 スリに置き引き、かっぱらいに空き巣。捕まえてみればそれは大体ノルデン人の子供だ。

 

 ノルデンの災害から8年。

 当時小さかった子供は成長し、しかし働く術を持たない、知らない彼らは野盗・盗賊・山賊に身をやつし徒党を組むようになる。

 

 ――時に、彼らを率いるのは大人のノルデン人だったりする。こちらもまた問題だった。

 戦乱と災害によりノルデンという国自体が滅び、国家としての機能を失くしてしまった。

 子供はもちろんのこと、大人もまた全てを失い満足な社会保障も得られず路頭に迷うことになる。

 働き口を失くし家族もうしなった彼らは絶望して自ら命を絶ったり闇堕ちをしたり、賊に身を落とし略奪に走る者も少なくなかった。

 

 山賊となった彼らは行き場のない孤児を仲間に引き入れ、やがて自分を中心とした疑似家族を作り出す。

 家族を知らない孤児は偽の絆にしがみつき、お頭を信奉し結束は高まる――厄介な相手だった。

 彼らはノルデンの国境に近いディオール、そして竜騎士団領の山間を根城にして、人を襲い財を奪う。

 その被害に遭った者もいるから、子供どころかノルデン人自体が忌避の目で見られていた。

 

 賊に身を落とした孤児の更生は不可能に近い。

 賊とはいえ自分をかくまってくれたお頭を殺された彼らは、世の中に対する憎しみに満ちている。

 それに善悪の判断もつかない頃から生きるために盗みを繰り返してきた彼らには、法律で縛り節制を強いる市井など苦痛でしかない。

 施設から金目の物を盗んで脱走して、多くは戻らず……そのまま”カラス”を続ける。

 

「ある日全部奪って逃げるかもしれない」――武器屋に来たあの男の言葉は、残念ながら真実だった。

 

 

 ◇

 

 

「くっそぉ……」

 

 ――イライラが止まらない。

 料金はいらないと言われたが、二人分の飲食代を叩きつけて店をあとにした。

 領収書も書かせた。あとで「料金を払わなかった」と食い逃げ扱いされちゃたまらないからだ。

 一丁前に店の名前と日付の刻印が押してある。これなら偽造とか言われないだろう。

 ちらりと後ろを歩くグレンを見てみると、どこに視線があるのか分からない目でついてきていた。

 

 自分だけがムカムカイライラしているのかと思うとこれもまた腹が立ってしまう。

 俺が店主や店員と言い合いしている時もこいつは無表情でただ押し黙っていた。


 ――なんでなんだよ、お前悔しくないのかよ。


 よっぽどそう言ってやりたかったが、武器屋に来たあのおっさんといいこいつにとってはこれが日常なんだろう。


 ――悔しい、腹が立つ。魔物なら斬って捨ててしまえるのに……。


 でも、こいつを蝕むのは「差別」という社会が作り出した毒だ。

 実際にこいつは「マードック武器工房」に盗みに入ったのだから、泥棒ではあるかもしれない。

 だけど姿を見ただけで厄介者扱いされて、差別を受け続けていいはずがないじゃないか。

 ハラワタが煮えくり返る。

 

 ハラワタが……、


 ハラワタ……。

 

「ん?」

 

 ハラワタがどうのと考えていたらいびきのような音が聞こえてきた。

 

「……腹が減った」

「……ああ」

 

 グレンの腹の音だった。

 さっきの店で料理が来なかったので俺の分を少し分けてやっていたが、満たされるはずがない。

 俺もまだ少し腹が減っていた。腹が減ってるから余計にムカつくのかもしれない。

 

「しょうがないな、どっか別の所で食おう」


 またあんな扱いされちゃたまらない。今度はパンとか買って外で食べればいいや。


「でももう休憩が終わる」

「はあ? 何言ってんだよ。まだメシ食ってないだろ」

「時間が――」

「バッカヤロー! 俺たちの休憩はこれからだろ!」

「ふ……、何言ってるんだあんた……フフッ」

「!」

「何」

「あ、いや……」

 

 俺が変な反応をしたからか、少し笑顔を見せたグレンはまた仏頂面に戻ってしまう。

 

「悪い。お前ちゃんと笑うんだなーって思って」

「笑ってない」

「いや、フフッて笑ったじゃん」

「笑ってない。腹の音だ」

「絶対違うじゃん」

 

 ……と言った所で、またグレンの腹が鳴った。

 

「ああ、悪い。腹減ったよな。パン屋とか行こうぜ……そうだ、とりあえずこれでも食えよ」


 道具袋から板チョコを取り出しパキッと割ってひとかけら渡してやると、グレンは眉間にしわを寄せた。


「何、これ」

「チョコレートだよ。知らないか?」

「知らない」

「まあ、食えよ。うまいからさ」


 俺が促すとグレンは訝しみながらも茶色い未知の物体を口に放り込む――そして数秒経たないうちに目を見開いて口元に手を当てた。


「……うまい」

「はは、そりゃよかっ――」

「こんなうまいもの、初めて食べた」

「……」

 

 それは駄菓子屋で買った20リエールのチョコだった。

 子供のおこづかいで買ってもお釣りがくる、安価なもの。特別にうまいものでもなんでもない。

『初めて食べたおいしいもの』だなんて大げさだ っていつもなら言うところだ。

 でもきっとこいつは本当に初めて食べたんだ。

 たった20リエールの小さいチョコレートすら食べられる環境にいなかったんだ。

 

「……気に入ったんなら、食えよ」

「いいのか」

「いいよ。俺はまた買うし」

「……ありが、とう」

 

 板チョコをまるごと渡すとグレンはそのまま顔を赤くしながらチョコを頬張った。

 

「これ、うまい。……あれとどっちがうまいんだろう」

「あれ?」

「孤児院で出る、紫のだんご」

「紫のだんご?」


 紅いもかなんか使ってるんだろうか? なんで紫……。

 

「食い物少なくて毎日野菜のくずが浮いたみたいなスープ食ってたけど、行いが良い奴はそれが褒美にもらえるんだ。すごいおいしくて、数日腹が減らないっていうんだ。俺は食べたことない、けど――?」

「…………」

「どうかしたか?」

「……っ、なんで……」

 

 ――いつもいつも表情が少なくて何考えてるか分からないくせに、そんな訳のわからない食べ物のことをちょっと楽しそうに話すんだよ。

 

 こいつは「カラス」として蔑まれるよりも前から、悲惨な境遇を生きてきたんだ。

 野菜のくずが浮いたスープって何だよ。紫のだんごって何だよ。

 安いチョコレートが今まで食った中で一番おいしいって、何なんだよ。

 そんなのが当たり前だなんて、あっていいはずがないだろう。

 

「ちくしょう……」

 

 顔を伏せて目頭を押さえるが、涙は止められなかった。

 

「また、泣いて怒ってる。……疲れないのか」

「あああもうっ、訳分かんないんだよおっ……!」

「俺の方が分からない」

「なんなんだよ、ちくしょう……」

 

 時間を超えて家族から引き離されて、それだって俺は十分辛い、しんどい。

 だけど衣食住は保障されていたし、路頭に迷ったりはしていない。

 なんだかんだで育ちがめでたい自分には今日のことは衝撃だった。

 

 故郷のカルムの街はロレーヌの南部で、ノルデンやディオールからは遠く離れていた。

「ノルデンの内乱」も「ノルデンの大災害」も授業で習う。……教科書に載っている、紙の上の出来事。

 差別や犯罪が横行していることなんて、騎士になるまで知らなかった。

 何もしていなくても忌み嫌われて無碍に扱われ続けるどころか、最初から大切にされずそれを当たり前と思う環境にいる人間が存在することも、今の今まで知らなかった。

 

 頭がぐちゃぐちゃだ。自分でも今何に怒って泣いているのかわからない。

 世間知らずの自分に腹が立つ――それもあるけど、こいつの境遇も扱いもあんまりひどい、悔しい。

 だけどそれらは同情でしかない。そんなの、何の救いにもなりはしない。

 一方的に思ってるかもしれないけど、友達なのに。

 友達を哀れんで泣くなんて、何様のつもりでいるんだろうか。

 

「……これって俺、どうすればいいんだ」


 だらだら涙流して泣く俺を目の前にして、グレンはドン引きしている。


「ううっ……何が紫のだんごだよ、もっとうまいもん食わしてやるからさあっ……そんなの、忘れろよおっ……」

「え、ああ……うまいもんは食いたいけど……全然意味が分からない……」

 

「……何か食いたいものあるか?」

「チョコレート」

「それは主食じゃない」

「そうなのか。うまいのに」

「うまくても、主食じゃない」

「うまいのに」

「……おい、食い過ぎだよ」

「うまいから」

「そうか……」

 

 グレンは板チョコをボリボリと食っている。

 その後パン屋に行って、板チョコとクリームがはさまったデニッシュパンを買って渡した。

 ――パン屋の店員もやはりグレンを見て怪訝な顔をしていたが、俺からパンを受け取ったグレンが宝物を受け取ったみたいにキラキラしていたのでほだされたようだった。

 こんな風にちょっとでも関わって相手のことが知ることができれば、少しずつでも状況はよくなっていくのに。

 

 もちろんそれは若造の青臭い理想にしか過ぎないことを、会いに来るたび何度となく思い知ることになる――。

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