7話 イライラが募る副隊長
「ええと……副隊長」
「あれ、どうしたの」
「実は、ですね」
今日また新メンバーとして立候補してきた、ノルデン貴族のアーテ・デュスノミアという女性。
仲間入りを断りベルナデッタとともに立ち去ったはずだったのに、ベルナデッタが彼女を連れてまた戻ってきた。
ベルナデッタの少し後ろで優雅に微笑んでいる。
「申し訳ありません。わたくしったら財布を無くしてしまったようで……しばらくここに泊めていただきたいんですの」
「……それは、お困りでしょう。部屋はいくらでも空きがありますので、使っていただいて構いませんが……しかし貴族令嬢の貴女にはかなり不便を強いると思います。それでよろしければ」
「ありがとう。もちろん、構いませんわ。使用人に手紙を飛ばしたのですが、1週間ほどかかるという話で。それまでお願いいたしますわね」
「ええ」
(1週間かぁ……)
笑顔で応対しながら、心の中で盛大に溜息をつく。
最初の訪問時ほんの数十分話しただけだが、彼女の印象ははっきり言ってよくなかった。
ノルデン貴族は貴族の中でも選民思想が強く高慢で、自国民からはもちろん他国の人間や貴族からすら評判が悪いと聞く。
彼女も例に漏れず、言葉の端々から滲み出る「私優秀なんです」感というか……ナチュラルに魔法を使えない者を下に見て、そういう者のためにこの私がやってやってる感というか……。
――うーん、斜めに見すぎかな?
いや、最初にいきなり「この砦素敵ですわね。街もカラスが少なくて過ごしやすいですわ」とかかましてきたしな……。
カラスというのは十中八九グレンのような黒髪ノルデン人を蔑む意味の方だろう。
そこ突っ込んだら「私は鳥のことを言ったのにひどいこと言いますね」とかなりそうだから流したけど。
ちなみに鳥の方だとしたら「どこもそんな変わらねーよ」と言いたい。
◇
「失礼します。大事な話ってなんでしょう、カイルさん」
「ああ……実はグレンから通達があって」
「隊長から?」
「うん。あの、君の先輩についてなんだ」
「アーテ様、ですか??」
「あっ……その名前を言っちゃ駄目なんだってさ」
「え?」
あのノルデン貴族の事を世間話としてグレンに軽いノリで伝えたつもりだったが、その反応は思わぬものだった。
すぐに追い出せ、追い出すのが無理なら「アーテ」という名前を極力言うな、唱えるな。それは名前じゃない、呪文だ――。
奴がそこまで言うのなら相当に警戒をした方がいいだろう。
兄の使い魔のウィルといい、名前というのは魔法界では存外重要な意味があるようだ。
話を聞いたベルナデッタは珍しく神妙そうな顔つきで黙り込んだ。
「名前が呪文……」
「何か心当たり的なものはないの?」
「いいえ……一つ年上でしたし、授業が同じになることはありませんでしたので。悩み事をよく聞いてくださいましたし、田舎育ちで世間知らずのあたしは頼りにしていました」
「そう。……その割には苦手そうだったけど?」
「え、えええ……まさかそんな」
完全に図星をつかれたようでベルナデッタは巻毛をせわしなくいじる。
「実際どうなのかな?」
「ええと……うう、なんと言いますか、お、お世話には確かになっていたのですが、今考えると話した後にいつも不穏な気持ちになっていたような気がして……具体的なことは言葉にできないのですが……そうですね、例えるなら」
「例えるなら?」
「それと知らずに、蜘蛛の巣を通ってしまったような……その後糸がずっと取れない、みたいな……うーん」
「なるほど……」
「ご、ごめんなさい、比喩が下手で」
「いや、なんとなく分かるよ。……で、俺からも一つ頼みがあって」
「なんでしょう?」
「俺の名前もね、呼ばないで欲しいんだ。彼女の前ではクライブ・ディクソンで通して欲しい。無理なら『副隊長』とかでいいから」
「分かりました。……でもあの方に関しては、あたしが呼ばないのは難しいですわ」
「確かに。迎えの者が早く来るのを祈るしかないね」
◇
夕食を終えて隊長室でグレンに連絡を取ろうとしていたら遠慮がちにノックの音がした。
「はい」
「失礼いたします……」
入ってきたのは、アーテだった。
「ああ、どうかしましたか?」
「実はお話がありまして」
「話?」
「ええ、ベルナデッタのことなんです」
「ベルナデッタ? 彼女が何か」
「あの子……うまくやっていますでしょうか? わたくしとても心配で」
「彼女の作る料理は美味しいですし、あまり出番はないですが回復魔法も優秀です。私も以前治療してもらったことがありますが――」
「あ、いえ。そうではなく……」
彼女は頬に手をやり、気まずそうに視線を斜めにやる。やがて憂いを含んだような目でこちらを見上げてくると一拍置き、思い切ったように口を開いた。
「あの子、少し自由奔放な所があって……色々な男性と遊び歩いているようなんです」
「えっ」
「もちろん、恋愛は自由ですわ。けれど彼女は故郷に婚約者もいる身なのに……」
うるうるとした悲しげに俺の目を見て、またまつ毛をふせて顔をそらす。
「……はあ、そうなんですか」
としか言えない。……っていうか、なぜ俺に。何の真似だ。
「以前所属していたパーティーも、一つ解散しているようですし……」
「解散?」
俺が復唱すると、アーテは「しまった」という顔をしてから、申し訳無さそうに口を手で覆う。
「ああ……ごめんなさい。わたくしったら、余計なことだったわ」
(ほんとだよ)
――余計なこととか言いながら絶対聞かせるつもりだったろ。どういうつもりだ?
「詳しく聞かせて下さいますか」
「ええ、でも……」
ため息一つ、彼女はまた銀のまつ毛を伏せてゆるく握った拳を胸元に当てる。
「分かりました。あの子を売ることになってしまいますけど……それで間違いを正してくれるなら、お話ししますわ」
「……」
目を瞑りしばしの沈黙。裁判の証言を頼まれたかのような、悲壮な決意……?
……なんだこれ。早く喋れよ腹の立つ。
「そのパーティは、男性3人と女性1人のパーティーだったらしいんですが、その女性1人を置いて男性3人がベルナデッタと食事に行く様子がよく見られ……そのことで女性と男性3人が揉めたりもしたそうで。そのうちに女性がパーティーを離脱して、そのあとベルナデッタもやめて最終的に解散してしまったそうなんですの」
「へえ……」
――先日崩壊したロブのパーティーと状況は似ている。似ているが……。
(ベルナデッタがクラッシャー? ……ありえないよな)
数ヶ月一緒にいる程度だが、彼女は腹芸できるタイプではないと思う。
気持ちがめちゃくちゃ分かりやすく態度に出る。このアーテと顔を合わせた時もそうだし、兄と揉めていた時にラーメン屋でばったり会った時も「なんでよりによってこいつと」って顔に書いてあった。あれ割と傷ついたよな。
「男と遊び歩いている、というのは?」
「ええ……下町の少し汚い店から男性と二人で出てくる所を見た、とわたくしの召使いが」
「……いつ頃の話です?」
「確か、今年の夏頃ですわ」
「……汚い店というのはどういう店でしょう」
「申し訳ありません。そこまでは存じませんわ」
「そうですか……いえ、言いにくい情報をどうもありがとうございます。今後も何かあれば教えていただけると幸いです」
「はい。わたくしも本当は心苦しいですけれど、あの子のためですもの」
悲しげな顔で踵を返し、彼女は隊長室を後にした。
「……ウソつけよな」
心に留めておけず、ボソリと
『夏頃下町の汚い店から男と出てきた』……きっとラーメン屋だ。そしてその男というのは、多分俺だろう。一度一緒になったことがある。
物は言いようだ。肝心な部分をぼやかせば、男にだらしない女に思わせることができる。
何が『心苦しい』だ――随分積極的にベルナデッタを貶めるじゃないか。
目的は何だ。彼女の悪評流して信用を失わせて追放させる……とか? ある種のクラッシャー?
「知らずに蜘蛛の巣を通って、糸が取れない」――ここに巣を作ろうとして、糸を吐いている途中なんだろうか。
「気持ち悪いな~~~」
――というか俺、ああいう奥歯に物の挟まったような言い方大嫌いなんだよな。
グレンの言う不吉な名前云々よりも、俺自身が何かあの女を受け付けない。
またあの調子で何か密告してくるのかな。
1週間いる気か……正直カンベンしてほしい。明日にでも来いよ、迎えの者。
俺はそんなに気が長い方じゃないぞ……。
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