20話 それはあまりに浅はかな

「これで、全部返ってきたかな……おや? 今日はレイチェルさんがまだ来ていませんね」

「そうですね。私も見ていません」

 

 月曜日。

 閉館時間になり、貸し出しリストを手に館長が返却された本のチェックをしていた。

 今日返ってきた物を箱に詰めれば、もう貸し出し業務は終わりだ。

 水曜日にこの最後の本をギルドや教会や王立図書館に持っていき、金曜日は業者を呼んで本棚の運び出し、それから掃除。そして次の月曜日で閉館となる。

 

「今日来ないなら、水曜日でもいいのでは? 今彼女が借りてる本は近くの図書館に寄贈するものですし」

「そうですね。そうしましょうか」


 水曜日、俺は王立図書館に本を届けに行くので不在だ。その方が都合がいいだろう。


「では、今日はこれで失礼します」

「はい、お疲れ様」

 

 

 図書館の扉を開けると、しとしとと雨が降り始めていた。


「また雨か……」


 置き傘をしてあるから問題ないが、少し面倒だ。

 

 

 ◇

 

 

 雨足が少し強まってきた。

 

 ――このところ、考えることが多くて疲れてしまう。


 全て投げ出してディオールから逃げてきた。

 半年ばかりあちこちを転々として、ポルト市街のあの部屋にやってきたのは1年半ほど前。

 

 金ばかり腐るほど持っている。

 ほとんど物も買わないし、極端に贅沢しなければ何もしなくても一生涯食っていけるくらいある。

 それでも一応働いておいた方がいいかと思い、フラッと立ち寄ったギルドであの図書館の仕事を見つけた。

 倉庫内で本を整理して、たまに届ける。人と関わりたくないので黙々と出来るこの仕事は楽だった。

 

 やがて泥棒を捕まえたことから、見張り兼司書の仕事をするようになった。

 誰とも会話もしたくないから始めは苦痛だったが、そのうちに慣れた。

 館長と同じく、客ものほほんとして人がいい。

 

 そんな中で特に目立つ客がいた。

 まだ司書でなく、倉庫内の作業をしている頃から見たことがあった。

 

 青い髪を三編みにしてひっつめた、遊びのない髪型。

 エメラルドグリーンの制服を着崩すことなくきっちり着ていて、顔は可愛いが少し野暮ったい印象だった。

 

 目当ての本が見つかった、新しい本が入荷した、たったそれくらいのことで大声で騒ぐ。

 よく通る声は二階まで聞こえるほど。しかもバタバタと走る。……図書館なのにだ。

 高い所にある本を、すぐそこに踏み台があるのに使わず、何の修行なのか絶対に背伸びで取ろうと妙な声を上げていた。

 本を取ってやると真っ赤になってうつむいて、でかい声で礼を言いまたバタバタ走る。

 ――うるさかった。雑音だらけだ。

 

 だが毎日楽しそうだ。

 自分と違ってちゃんと生きている。少し、羨ましく思った。

 

 その後出会った二人とパーティ組むハメになり、あの砦を借りた。まさかそこへ彼女がやってくるとは思いもしなかった。

 

 ――いなくなっちゃったりしませんよね? 急に消えたりなんてしませんよね?

 

「…………」

 

 ――腕をつかまれた。まだ、その感触が残っている。

「飛んでいきそうな気がして」と青い瞳を潤ませながら俺を見上げてきた。

 そこで何も気づかないほど、俺も鈍感じゃない。

 

(なぜ……)

 

 なぜ、俺なんだろうか。

 世の中星の数ほど男がいる。健全な男だってたくさんいるだろうに、よりによってこんなのに目を向けるなんて間違っている。

 もっとふさわしい人間がいるだろう。

 そう思ったから彼女の気持ちを、少しきつい言い方になったが拒絶した。

 傷つけたかもしれないが、これ以上関わり合いになって傷つけてしまうよりはずっといい。

 間違いを、正しただけだ。

 

 それよりもギルドで馬鹿みたいに依頼を取ろうとしたことの方が問題だ。

 依頼でずっと出ずっぱりになって彼女と顔を合わせないためだった。

 その方がいいだろうと思ってそうした。結局カイルに半分以上却下されたが。

 そもそも俺の方から「そんなに依頼を取りたくない」と言っておきながらこのザマだ。あいつが怒るのも当たり前だろう。

 

 もし却下されずにいたら、このタイミングでそんなことをすれば彼女も「自分を避けるためだ」とすぐに気づいただろう。

 そうなったらきっと、俺が気持ちを拒絶した時以上に傷つくだろうことに、気が回らなかった。

 ……あまりに浅はかだった。

 

 

 ◇

 

 

 いつも通る小さな公園に、見慣れた人影があった。


(レイチェル……?)


 暗くなってきた公園。藤棚の下にあるベンチにレイチェルがポツンと座っていた。

 藤棚は完全に彼女の上を覆っているわけではなく、藤の隙間から落ちる雨の雫でかなり濡れてしまっている。

 明らかに様子がおかしいが、「何かあったのか」と声をかけるのはためらわれる。

 俺が原因である可能性が高いからだ。だが……。

 

「……レイチェル」


 見ていられずレイチェルに傘をさしかけると、彼女はこちらを一瞥して、またプイッとよそを向いた。


「……、風邪引くぞ。傘を持っていないなら――」

「……家、近いから大丈夫です。それにちょっと雨に打たれたい気分なんです」

「…………」


 ちらりと見える彼女の横顔には、笑顔はない。


「……図書館の帰りですか」

「ああ」

「ごめんなさい、本返しそびれちゃって。……ちょっとギルドに薬草を売りに行ってて」

「そうか。……水曜日に返してくれればいいから」

「水曜日は、グレンさんはおられないんですよね」

「ああ……」

「よかった。……顔を合わせなくて、済みますね」


 こちらを一切見ることなく、レイチェルが冷たく言い放った。

 

「……グレンさん」

「ん?」

「わたしは、グレンさんが好きです」

「!」

「グレンさんはそれ気づいてて、だからああいうことを言ったんですよね」

「…………」


 何も返すことができない。うつむく彼女の濡れた前髪から雨の雫がいくつも落ちる。

 

「レイ――」

「ギルドにね、薬草を売りに、行ってたんですよ」


 少し声を荒げて、先程も聞いた台詞を彼女が言う。


「? ああ……、」

「ギルドマスターが、グレンさんの話をしていたんです。『すごいいっぱい依頼を取っていったけどどうしたのかな?』って」

「……!!」

「結局、半分キャンセルしたそうですけど。……『楽な依頼で気楽に稼ぎたい』『魔物退治なんて面倒』って、そう言ってたのに、どうしたんですか。方針転換、ですか? ……急に、今……、わたし、わたしを、避けるため、ですかっ?」


 こちらを見上げて大声でとぎれとぎれに言葉を発し、その途中で彼女は泣き出してしまう。青い瞳から、大粒の涙がボロボロとこぼれる。

 

「わたし、わたしはっ、別に彼女になりたいとか、そんなんじゃなくて、グレンさんがああ言ったのだって、仕方ないって、そう思うようにして……! でもでも、わたしを避けようとするのって、なんですか? わたし、そんな、迷惑っ、でしたか!?」

「ちがう――」

「ちがわないっ!!」


 そう叫びながら立ち上がって俺を睨みあげ、やがて手で顔を覆ってうつむきすすり泣く。

 

「…………」


 ――何も言えない。


 結局、こうなった。

 自分の浅はかな考えが、愚かな行動が彼女を深く傷つけた。取り返しはつかない。

 

 泣く彼女を前に何も言葉が絞り出せず、持っている傘に打ち付ける雨音だけが虚しく響いていた。

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