12話 静寂のひととき
――盗み聞きするつもりなんかなかった。
いつものように図書館に来たら、紫の髪の男の人が見えた。
紫の髪、ディオール人……この前の泥棒の人かと思って本棚の陰に咄嗟に隠れてしまった。
話し声が聞こえた。相手はグレンさんで、何か深刻な話をしていた。
その紫の髪の男の人――アルノーという人は紋章使いだけれど魔法が使えないことを悩んでいたみたいで、グレンさんはその人に「君が魔法を使えないのは君のせいじゃない」っていつになく真剣に言葉をかけていた。
だから、今ここにいちゃいけないかも……って、退散しようとしていたところだった。
それなのに、グレンさんのそんな話を聞いてしまって、ましてや鉢合わせしてしまうなんて……。
「あ……あの、あの、ごめんなさい、わたし、わたしその……」
どうしよう。言葉が出てこない。
「……ああ、いや……」
グレンさんもさすがに動揺した様子で、目を細めて言葉に詰まっている。
けれどすぐに後ろを振り向き、そこに立っているアルノーという人に声をかけた。
「そういうことで――お客さんが来たから、今日はここまでにしてくれないか」
「はい……ありがとうございました。……あの、本当に申し訳――」
「謝るな。……また、今度」
「はい……失礼します」
小声でそう言ったあと、彼はグレンさんに頭を下げて去っていった。
◇
あの男の人が帰って、図書館にはいつもの静寂が訪れる。
――いつもと同じはずだけど、心なしか少し重苦しい。今来館者はおらず、グレンさんとわたしの二人きり。
グレンさんは別の本棚に行って、箱に本をしまいこんでいる。
カイルが『クライブ』という偽名を名乗っていたときのことを思い出す。
偽名を名乗っているカイルに『あなた変』と言ったルカにグレンさんは『事実だからって明らかにする必要はない、指摘する必要はない』って言った。
納得がいかないルカにわたしは『偽名だからって言うものじゃない、どんな名前を名乗っていたって関係ない』となだめようとした。
そしたらグレンさんも同じことを言っていたって驚いて……。
あれはカイルをかばうためだったかもしれないけど、きっとグレンさんは、自分の名前のことがあるからそう言ったんだ。
あの時「クライブさんが偽名だって知ってどうすればいいのか」と聞いたら、グレンさんは「別に普通にしてればいい」って言ってた。
だから今回も、何も言わずに普通に接するのがきっと一番いいんだ。
それがいい、そうしよう。
そして今日は適当な本を借りて立ち去ろう……うん。
(あ……あの本、『精霊と使い魔』かぁ……)
ジャミルが連れてる使い魔の小鳥、ウィル。どういうものなのかな~? ちょっと読んでみようかな……。
でも一番上段にある。わたしの身長だと、ギリギリ届かないやつ。踏み台は、少し向こうの方……。
「…………」
「くっ……ううう~~~!」
ちょっと大きいサイズの本、それで本棚の
いける、いける、いけ……。
「――これ?」
「あっ!」
グレンさんが、その本をスッと取ってくれた。
「わ、わ、ありがとうございます……あはは」
春、初めて会った時と同じだ。……ドキドキしてしまう。
「前も思ったけど、なんで踏み台を使わないんだ? すぐそこにあるのに」
「う……あの、気合で取れるかと、思いまして……」
「気合で」
「ふ、踏み台取るのが、めんどくさくてですね……」
ついつい本音を白状してしまうと、グレンさんは少し驚いたように目を見開いてから
「……意外と、ものぐさだよな」
と、フッと鼻で笑った。
さっきの張り詰めた空気がゆるんだ気がして、ホッとしてしまうと同時にわたしの心臓が跳ね上がる。
笑顔は見たことあるけど、その
「あのぉ、ところで『前も思ったけど』って、いつの……」
「ああ、春頃もこんなことがあっただろ?」
「えっ! 憶えてらしたんですか」
初めて会った時のことを憶えていてくれて、胸が躍る。
「……来館者は1日に10人にも満たないんだ。顔ぶれもほとんど決まってて自然と憶える。その中でもレイチェルは目立ってたからな」
「目立って……?」
「さっきみたいに本を取ろうとして、『うぐぐ』とか『ふぬぬぬ』とか言って頑張ってたから」
「ええええええっ!!」
顔が一気に熱くなる。
そう、あの時も踏み台取るのめんどくさくて、気合で取ろうとしてた。それ見られてたんだ。
本を取ってもらって「こんなかっこいい人がいたの!?」とか思って、それで取ってもらった時にヘンな声出ちゃって「恥ずかしー!」なんて思ってたけど、そんなレベルじゃない恥ずかしさ……!
「俺はその様子を見て」
「は、はい」
「『踏み台使えよ』と思った」
「う……」
で、ですよね~~~~。
グレンさんは少し笑い、何かの紙を見ながらわたしのそばの本棚から本を抜き取り箱にしまい込む。
そして上段の、踏み台を使わないと取れない本達が中段より下に並べられていく。
「背伸びしなくてもいいように並べておくから」
「ど、どうも」
本を並べるグレンさんの横顔は穏やかに見えて、怒っているような様子はない。
(……今なら話しやすいかも……?)
「あの、グレンさん――」
「さっきのことなら、別に怒っていないから」
「えっ」
「ここは図書館で、公共の場だからな。そんな所で深刻な話をしていた俺に落ち度がある。謝る必要はないから」
「はい……」
「さっきの彼にも話したが、俺みたいに名前のない奴はノルデンにはたくさんいて、珍しいことじゃないんだ。なので特にコメントも必要なし。『あー、このおっさんそうなんだ』程度に思ってくれればいい」
「…………」
言葉が出ない。そして彼は特にコメントも求めていない。
だけど何も言えないのがひどくもどかしく思う。
「お……」
「ん?」
「おっさんて、そんな……」
「……そっちか?」
思わずひっかかった言葉を復唱すると、グレンさんは少し吹き出した。
――こうやって何か脱線してしまうのが、彼との会話の常。他愛のない話をして……今は、それがいいのかもしれない。
「今日はそれ借りていくのか?」
「はい」
「分かった。これ置いてくるから、ちょっと待っててくれ」
本が詰まった箱を持って、グレンさんは歩き出した。倉庫かどこかへ持っていくのかもしれない。
「……レイチェル」
「あ、はい」
「……今日聞いたことは、誰にも言わないで欲しい。これは誰も……カイルも、知らないことなんだ」
「も、もちろんです」
「ありがとう」
ぽつりと呟いたあとグレンさんはおそらく倉庫の方へ行き、扉を開けて入っていった。
後ろ姿で、彼の表情は伺い知れない。
(グレンさん……)
名前のことは10年来の付き合いのカイルにも話していないこと。
それなのに、同じ紋章使いのあの男の人には話した。
彼がグレンさんの名前を呼べないからその代替案を出したにしても、自分からわざわざ明かした意図は分からない。
グレンさんは背が高くて体格もいい、大人の男の人だ。
だけれど今はその後ろ姿が……小さい子供が重い荷物を背負わされているかのように見えて、ひどく悲しい気持ちになってしまった。
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