名前の魔法


「えっと……えっと」

「ウィル」

「うっ……うう……ダメだ――!」

 

 わたしは頭を抱えて首をブンブンと振った。

 ジャミルの使い魔になった小鳥、ウィル。

 そう、ウィル。ウィルなの! 頭の中ではちゃんと分かっているのに、なぜかその名前が口から出ない。

 

「どーしてダメなのかな――? フランツはどう?」

「えっと……えっと……、ダメだよ。なんか分かんないけど言葉が口から出ないよ」

「そ、そうだよね!? ……ルカは?」

「……ウィル」

「あっ! 言えるんだ!? すごいね!」

 

「へえ……おもしれーな」


 そう言いながらジャミルは、何かの本をペラペラめくりだした。


「なあに? その本」

「『精霊・使い魔の手引』。ミランダ教会でもらってきた」

「そんな本あるんだ……」

「奥が深えよな」

「ホントだね」

 

「おっ、これかな?『使い魔の名前はよく考えましょう。知人などと同じ名前にすると、他の人がその名前を呼べなくなるケースがあります』だってよ」

「へえ……制約っていうやつかな?」

「『名前それそのものが呪文』とかって言ってたっけな」

「呪文を唱えられるのはジャミルだけってこと? でもルカは言えたよね?」

「紋章あるからか? ……けどグレンの奴は言えなかったけどな」

「……わたしの方が、グレンよりも優れているから」

「大きく出たな」

「ホントだ……」


 最近何かの心境の変化なのか、ルカはグレンさんを名前で呼ぶようになった。

 あと、なんかキツくなったかも……?

 

 ジャミルはさらに手引書をパラパラめくる。


「『あなたと繋がりのある人が知らない単語、名前にしましょう』か。ふーん……。そういやオレ最初『タラバ』か『ズワイ』って付けようとしてめっちゃ止められたなー」

「『タラバ』『ズワイ』ってカニ? なんでそんな……」

「好きだから」

「知ってるよ……だからって、そんな」

「でも『あなたの知り合いがその名前言えなくなります』ってよ。だから知り合いにもいねえ名前にしたんだ」

「ええ――! じゃあわたし達、危うく『タラバガニ』『ズワイガニ』って言えなくなるところだったの?」

「まあそういうことだよな」

「だ、大迷惑……。ええっと、うーん……その名前で良かったね」

「だな」

 

 ――やっぱり、わたしは『ウィル』という名前を言えない。

 そんなわけで、フランツとわたしは『小鳥ちゃん』とか『鳥さん』と呼ぶことにした。

 ……それにしてもこれ、どこかで覚えがあるような……?

 

 

 ◇

 

 

「ああ、兄貴の鳥。俺も言えないんだよな」

「カイルもかぁ」

 

 配達の仕事から帰ってきたカイルと小鳥の話。

 カイルはお手製の「ナスの辛味噌炒め」を食べていた。

 

「面白いよね。名前そのものが呪文か……『真名まな』ってやつなのかな」

「魔術学で『魂に直結するもの』ってやつだっけ?」

「そう。あの鳥の魂に直結する名前を、兄貴と限られた人間だけが呼ぶことができる……。なんか、選ばれし者みたいだよね」

「ほんとだね。……あ!」

「ん?」

「そうだ、思い出した! わたしがあの子の名前をどうしても言えないのって、グレンさんが『クライブさん』を呼べないのと一緒だ」

「ああ! ……はは、そういえば、そうだね。あいつどうやっても『クライブ・ディクソン』が言えなくてさ。そもそも覚えないし」

「覚えないんだ?」

「フルネームは教えてなかったけど、一度『カイル』でインプットされたら、もう全然出てこないんだってさ」

「宿屋で呼び出す時もなんか変な名前言ってたなぁ……」

 

 やがてカイルは食べ終わったお皿を厨房に持っていって洗いはじめる。


「『クラ』だけ出てくるんだよな。『クラッカー』とか『クララ』とかさ」

「あはは……でもその次呼び出した時は呼んでたよね」

「ああ。実はあれが初めてでさ……」

「え、そうなんだ……」

「まあめちゃくちゃ怒ってたってことだよな」

「うん……槍とか出てきたし」

「俺も頭に血が登ったなぁ。何いきなり『クライブ・ディクソンさん』呼ばわりしてんだよカイルって呼べよってさ」

「そ、そういう怒りなの……? 変わった方向の怒りだね」

「あいつは人前以外では、俺のことをカイルとしか呼ばなかったから。俺にとってはそれは『救い』だったんだよね」

「『救い』……?」

「俺が過去に飛ばされて4年くらい経った頃……その時には『クライブ・ディクソン』って呼ばれ慣れてきてはいたけど、やっぱりすごい疲れちゃってさ」

「……」

 

 ――一体今誰が呼ばれてるんだろう? そもそも俺は時間なんか超えてなくて、アタマ打ってカイルとかいうどっかの子供の記憶を作り出してるおかしい人間なんじゃないか って思うようにすらなって――

 

 以前彼が言っていたセリフを思い出した。

 時間の流れも、国も違う。家族とは会えず、しかも違う名前を名乗らなければいけない……きっとものすごいストレスだろう。

 

「グレンと出会ったのはそんな時だったんだけど、なぜか『クライブ・ディクソン』という名前を言えないし、覚えない。俺の本当の名前――カイルとしか呼べない。俺はそれで本当に救われたんだよ。自分を見失わないでいられたっていうか」

「カイル……」


 洗い終わったお皿を拭きながら、カイルは伏し目がちに笑う。


「――いい話だと思って聞いてる?」

「ええっ? いい話でしょ、普通に……」

「まあ、結果的にはそうだけど、始まりはもっとこう……」

「…………?」

「……やっぱやめよ」

「なっ なんでー!? 聞きたい!!」

「駄目だよ。俺が性格悪いのがこれ以上露呈しちゃ困るからな」

「なにそれー! 匂わせはずるいよー!」

「ふふ、ごめんね。じゃ!」

 

 カイルは人差し指と中指だけ立てた手を額にやって、スチャッとやってから去っていった。しかもウインクした。

 ――さわやかだ。キザだ。


(グレンさんとのエピソード知りたかったなぁ……)


 でもあんまり突っ込むとわたしの気持ちがバレちゃうかも……もやもやもやもや。

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