8話 暗くて、苦い(前)

 

「あら! あらあら! 誰かと思えば! ジャミル・レッドフォード君じゃない!?」

「――お久しぶりです、ジョアンナ先生」

 

 考えた末、オレはヒルデガルト薬学校に足を運んだ。

 ジョアンナ先生はオレが通っていた学校で魔法学を教えていた先生だ。オレ達が卒業してからはここで教鞭をとっているらしい。

 

「実は、先生にお願いがあって。……これの成分を調べてもらいたいんです」

「なあに、これ?」

「あっ……直接臭わない方が!」


 オレが言うよりも早く、先生がだんごに接近してニオイをダイレクトに嗅ぐ。ヤバい。刺激臭は手で仰いでそ~っと嗅がないとダメだ。

 

「ぐはぁっ! ク――――ッサ! 何これ毒物!?」

「ハハッ! 先生、直球すぎ」


 正直すぎるリアクションにオレは吹き出してしまう。先生の鼻ん中は今下水道のニオイでいっぱいだろう。


「いや――、えっと、行きずりの冒険者に押し付けられて。なんか怪しいし、どういうモンか知りたくて……」

「ふうん、分かったわ。モノによっては時間がかかるけど、いい?」

「いつでもイイっすよ」

「りょーかい。先生に任せなさいっ! ……ふふっ、でも、嬉しいわ~」

「何がっすか」

「キミは成績はとても良かったけれど、いつもちょっとつまらなさそうにしていたから。今は少し眼に活力があるなあって思って」

「……そう、ですかね」

 

 ヘンな剣拾ってヘンな奴らとつるむことになったが、好きなこと――料理を好きなだけやっているから正直楽しくはなってきている。そのせいだろうか。

 

「そう、そういえばね、ジャミル君。アルノー君について知っている?」

「アルノー、ですか? いや……オレもずっと連絡は取れてなくて」

「そうなのね……彼も、元気にしていてくれるといいのだけど」

「…………」

 

(アルノー……か) 

 ……久しぶりに聞いた名前に、暗い気持ちが押し寄せる。

 

 

 ◇

 

 

 ――弟がいなくなって別の町に引っ越してからというもの、オレはそれまで以上に勉強をしまくって中等学校から王都の高等学校へ進学した。

 そこは全寮制の学校で、親も最初難色を示したが「もっと勉強したいから」と言うと最終的には同意した。

 

「勉強したいから」――それはウソじゃない。けど本音は親から離れたかったからだ。

 

 オレがバカなウソついたばっかりに、弟は何らかの事故に遭ってしまい生死が分からない。

 親は、特にオフクロは死んだと思ってしまっている。

 

 オヤジは表向きは普通だが、弟がいなくなってからオレに剣の手合わせを持ちかけることが多くなった。

 剣術は楽しいし身体を動かすのも好きだ。引きこもってばかりでも仕方がないし、誘われれば応じていた。

 オヤジは「やっぱりお前は筋がいい」なんて言っていつもオレを褒める。

 ……けどオレは素直に喜べなくなっていた。

 

 ――本当は分かっているんだ。

 弟はずっとオヤジに剣を習いたがっていた。けどまだチビだからって言って習わせてもらえなかった。

「もっと小さいヤツも、小さい頃から剣習ってるのに」と言っていつもふくれていた。

 オヤジが本当に手合わせをしたいのは、弟だ。

 

 オヤジもオフクロも、オレの前で弟の話はしない。

 楽しい思い出も何もかも、あの日に塗り替えられてしまった。

 両親はオレを責めない。それが辛かった。「お前のせいだ」と責められた方が何倍もマシだった。

 

 だからオレは全寮制の学校を選んで、家から逃げ出した――。

 

 

 ◇

 

 

 そんな経緯で選んだ学校だが、授業の内容は楽しく充実していた。

 あの事故を知らない人間しかいないから変に気を使われることもなく、友達もできたし楽しい世間話なんかもできた。

「弟が見つかってないのになんで引っ越すんだ」とか言っておきながら、なんて現金で自分勝手なんだと自分でも思う。

 

 そんな中、特に仲のいい友達がいた。

 アルノー・ワイアットという名前で、寮で同部屋だった。

 コイツは本当に頭が良くて、将来は「橋の設計士になりたい」と言っていた。

 学校に行きながら設計の勉強もしていて、こんな橋がいいとか言って理想の橋の図面やスケッチを書いたりしていた。

 オレは目標もなく勉強しているだけだったから、そんな風に楽しそうに将来の夢を語るソイツが羨ましかった。

 

 だけどある日、ソイツが「学校をやめる」と言い出した。

 学校に通い始めて2年。そろそろ進路を考え出す頃のことだった。

 

「ジャミル……僕、学校をやめるんだ」

「えっ? なんで」

「うん。……魔術学院にね、編入するんだよ」

「魔術学院? けどオマエ魔法使えないだろ?」

「うん……そうなんだけど、実は、実はね」

 

 そう言いながらアルノーは左手の甲をスッとかざす。

 風が吹いているのを示すような絵が浮かび上がり、淡く緑色に光りはじめる。

 

「それ……それって、紋章ってやつか?」

「そうなんだ。急にね、これが光り始めて……魔法使いになっちゃったんだ。ほら」


 アルノーが自分の机を指さすと、その上に置いてある紙がふわっと飛んだ。


「うわっ……マジで魔器ルーンなしで出るんだな! すげえ――」

「…………」


 オレのテンションに反して、アルノーは浮かない顔だった。


「どうした? 大丈夫か?」

「うん……ごめん。……なんでだろなぁ、僕、魔法の資質なんてゼロのはずだったのにさ」

 

 ミランダ教会にある水鏡で魔法の資質を調べることができる。血を垂らせば使える属性が光るというアレだ。

 光と闇は必ず光る。火水土風のどれかが光れば魔法の資質があるそうだ。大抵は、水が光れば水の魔法、風が光れば風の魔法の資質がある。

 ちなみにオレもオレの家族も魔法の資質はない。先祖まで遡っても悲しいくらいの一般人だった。

 

「紋章が発現したら、魔術学院に特待生として迎えられるんだって。それで、親が張り切っちゃってさ……うち、あまり裕福じゃないから」

「…………」

 

 魔術学院を卒業した人間――それも特待生ともなれば、貴族や宮廷お抱えの魔術師になれる。そうすれば、将来食いっぱぐれない。

 橋の設計士だってそれなりだろうが、宮廷魔術師ほどじゃない。

『橋の設計士になりたいんだろ、イヤならやめろよ。夢を諦めるなよ』なんて、そんなセリフが頭をよぎる。

 だけど人の家の経済状況や家庭の事情なんか知らないのにそんな無責任な事は言えなかった。

 

「わりい……なんて言えばいいか、オレ……」

「いいんだ。ジャミルと話すの、楽しかったよ」

「いつから行くんだ?」

「4月から」

「そっか。……手紙、書くから」

「ありがとう」

 

 そう言ってアルノーは笑ってみせた。苦い笑顔だった。

 オレは残念だった。

 やりたいことがあるのに、あんなに夢に燃えていたのに、きっとそれを叶える力があるのに、捨てなければいけない。

 魔法っていうのは、紋章っていうのは、そこまで価値があるもんなのか。

『女神の祝福』なんていうけど、少なくともアルノーにとっては祝福なんかじゃなかった。

 

 今なら分かる気がする。

 この剣と同じ。あれは人を縛り付ける呪いだ――。

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