9.いつものコンビニ

「いらっしゃいませ~」


 明るくハキハキとした戸井田さんの声が俺を迎えてくれた。


 身体は清潔になり、頭に詰まっていた鉛も軽くなって、代わりに空っぽの胃袋が食べ物を寄越せと音を立てていた。ほぼ1日食べていない。こんなに空腹を感じることが大人になってからあっただろうか。


 思えば私服でこの夕方の時間に来るのは初めてかもしれない。


「今日は疲れたからちょっとお高いアイス買っちまおうぜ!」


「お前、昨日と同じこと言ってるぞ」


「雑誌、どれ? …付録ついてるやつ? 付録ついてるの、3種類あるんだけど……」


「あったー! 粘って回った甲斐あったね! これTwitterで流行ってたから、どこのコンビニも売り切れだったし」


「インスタも上げちゃおうよ。早く買お」


「進路、決めた?」


「まだ悩んでる」


 いつもと同じような人間たちが日常の風景を繰り広げているのに、俺だけが日常と違うことをしている。


 なんとなく肩身が狭い気がして、勝手に背中が丸まっていく。何もやましいことなどないはずなのに、後ろめたさが付き纏って離れない。ただスーツを着ていないだけ、今日は会社に行っていないだけ、それだけのことがこんなにも切り離されたように感じるとは。


 居心地が悪くなって、早く帰ろうとミネラルウォーターとサラダ、おにぎりやサンドイッチを適当にカゴに放り込み、レジへ向かった。


 待っている間、ポケットの紙切れを触る。聞こえる訳はないが、そのカサリとした紙の擦れ合う音が俺の耳に届いた気がした。


「いらっしゃいませ!」


 今日も戸井田さんのレジになって、ホッと胸を撫でおろした。


 なんとなく気まずくて、視線が泳いだ。今日も髪の毛を上げていて、ほっそりとした白い首が綺麗だった。バーコードの読み取りや袋詰めの動作に合わせてサラサラと首を撫でていく黒髪。そして目元の泣き黒子。


 思えばこのコンビニに愛着が湧いたのも、戸井田さんのことをFORKで話したのが最初だった。それまではなんとも思っていなかった日常が、ちょっとした発見やワクワクに変わったのはあの頃だった。


 感謝している。感謝以外の感情も。


「お会計、1536円になります」


 戸井田さんの声で我に返った。財布を取り出し、小銭を数え、ちょうど1536円をトレーに置いた。


「ちょうどのお預かりですね。レシートはいりますか?」


 ここだ、言え、俺。


「レシートは大丈夫です。あの、その……、この前は、迷惑も考えず強引に食事に誘っちゃって、その、すみませんでした。いつも、このコンビニで買い物してて、疲れた時とか、なんか勝手に元気をもらってて。あなたのレジに当たると、それだけで、明日も少しがんばろうって思えたりするんです。これ、ほんと、あとで捨てちゃってもいいんで、受け取ってください」


 ポケットから慎重に取り出したメモ紙を戸井田さんの前にそっと置いた。


 折り目の隙間からは、俺の書いた汚い数字とアルファベットが少しだけ顔をのぞかせていた。


「え、ちょっと、困ります」


 心底困ったような顔で、戸井田さんは俺を見ていた。おろおろと落ち着きなく視線が泳いで、眉がㇵの字に下がっている。


 迷惑をかけている、困らせている。やっぱり言わない方が良かったかもしれない。でも。


「ご迷惑になるのは、分かってます。でも、とりあえずでいいので受け取ってください。……ほんとにあとで捨ててもらっても構わないので。勝手なお願いで申し訳ないです。どうしても、そう、気持ちを伝えたくて。すみません、お願いします」


 もっと気の利いたことが言えればいいのに。我ながらダサい、ダサすぎる。でも、これが取り繕わない自分の精一杯なのだから仕方がない。


「……わかりました。ひとまず受け取っておきますね。ありがとうございました」


 戸井田さんはもっと困った表情になっていたが、紙切れをそっと受け取ってくれた。


「ありがとうございます」


 それだけ言うと俺はコンビニからそそくさと立ち去った。


 やっぱり迷惑だよな。気持ち悪い奴だとか思われただろうか。そりゃただの客と店員の立場でしかないけど、俺にとっては俺の生活を変えたそのど真ん中にあったことだ。だから、ちゃんとFORKとは関係ないところで何か行動を起こしたかった。


 これがこれからどうなるのかは分からない。分からないけれど、心はスッキリしていた。いつの間にか涼しくなってきた空が高かった。

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