第82話 人間は自由の刑に処されている

「もしもし?」

『あ、りんりーん、げんきー?』

「おう、なんだよ?」

『うっわー、愛しの亜衣菜ちゃんからの電話なんだから、もうちょっと喜んでよー』

「はいはい……」


 誰が愛しの亜衣菜ちゃんだよ!

 そりゃ……亜衣菜を選ぶのはスーパー安全牌だろうけど……。

 昔の俺なら亜衣菜を選んでいたかもしれないが、今の俺は、こいつを選べない。


 かといって突き放せないのがね、俺のクズなとこだな!


 昔から、優しいとは言われることが多かった。

 でもそれは結局、誰からも嫌われたくなくて、どうすればそんな自分でいられるかを考えての、優しさだった気がする。

 カントで言うところの、仮言命法かげんめいほうってやつだな。


 だから俺は結局、本当の意味では優しくないんだと思う。

 あー、ネガマイナス思考入りそう。


『もしもーし?』

「ああ、悪い」

『なんかあったのー?』

「いや、何でもないよ。つーか何の用?」

『えー、りんりんの声が聞きたくなったからじゃ、だめ?』

「……甘えた声だすな」

『あ、可愛いって思ったんでしょ~?』

「……うるせぇ」


 亜衣菜の甘えた声は、可愛いと思う。

 この甘えた声は、好き

 あー、今甘えてきてるな、っていうのがはっきり分かる声。

 可愛くて、抱きしめたくなっ声。

 

 第1回オフ会だいを知る前だったら、こんな電話きたら喜んで尻尾振ってたんだろうな。


「で、用件は何?」

『ん~、ちょっとした抵抗というか』

「はぁ?」

『意地というか』

「どういうこと?」

『……べっつにー』

「いや、意味わかんないって」


 文脈なく現れた言葉に、俺の頭には「?」しか浮かばない。

 数センチの境界線の先では包丁で何かを切っている音が聞こえてくる。

 鼻歌は……あんまし聞こえないな。


 俺が亜衣菜と電話してると知ったら、だいはどう思うかな。

 ちょっとくらい嫉妬とか……してくれたらいいのに。

 どうせ「よかったじゃない」とか言われるんだろうけど。


 女々しい妄想が自分の頭を支配してきそうだったので、俺は一人頭を振ってそれらを振り払う。

 今ばかりは見られてなくてよかった。


『あたしも先生になればよかったなー』

「はぁ?」

『そうしたらりんりんと同じギルドに、ううん。同じ世界を共有できたかもしれないのに』


 同じギルドて。こいつ、ほんとLA基準で動いてるんだなー。

 でも同じ職場なる可能性なんてほぼ0だし、同じ世界を共有って、さすがにそれは無理だろ。

 しかし何言い出すんだこいつ。

 

「先生なってたら、今の〈Cecil〉はいなかったぞ?」

『それはっ! ……そうだけどさぁ』

「やりたいときにゲームはできないし」

『ゲームしか……考えてないわけじゃないしー』

「責任ある仕事だし」

『……うん』

「そりゃ、亜衣菜は子どもには好かれるかもしんないけどさ」

『え?』

「あんましオススメはしないかなー」

『自分の仕事くらい好きになってあげなよー』

「勧めるなら人を選ぶね、俺は」

『あ、ひどー』


 電話越しに、亜衣菜が頬を膨らませているのが分かる。

 でもそれは本気じゃなくて、すぐにこいつが笑い出すことも、予想できた。


『ふふっ』


 うん、案の定笑い出し、つられて俺も笑ってしまう。


『……あたしやっぱり、りんりん好きだよ』

「な!? い、今言うことかよ!?」

『べっつにー。あたしの自由じゃん?』


 そう言って、いたずらっぽい亜衣菜の笑い声が聞こえる。

 

 自由、自由か。

 そりゃ、自由だとは思う。

 誰が誰を好きになるとか、それは個人の心の自由だ。

 想いを伝えるも伝えないも自由。

 昔と違って、現代は自由恋愛の時代だ。

 亜衣菜が何を言っても、それは亜衣菜の自由だろう。


 でもだからと言って、言われる側が何も思わないわけではない。

 発せられた言葉には、責任が伴う。責任を伴わない発言なんて、どっかの政治家たちと同じになってしまう。

 無責任な言葉ではないからこそ、亜衣菜の言葉に、俺の心は揺れ動く。

 なぜなら、想いに応えるも応えないも自由だから。


 ほんと、このままこの「好き」を受け入れられたら、どんなに楽なことか。


 好きになるより好きになられる方が、どんなに楽なことだろうか。

 好きになってくれた人を好きになれたら、何の苦しみも葛藤もないのにな。

 

 って、こんなこと考えるとか、ほんと最近の俺はクズだな!


 楽になりたいから亜衣菜を選ぶとか……ただ亜衣菜に失礼なだけだ。


「気持ちは嬉しいよ――」

『あーーーーーーーーー!』

「うおっ!?」


 突如響いた、電話越しの大声シャウト

 俺は思わず電話を耳から離してしまうほどだった。


『それ以上言わないで!』

「え?」

『あたしはりんりんが好き。言いたいだけだから、何も言わないで』

「は、はい……」

『あーもうさー!』

「な、なに?」

『ずるい。天然はずるい! 強い!』

「何の話だよ?」

『べっつにー』


 何なんだこいつも……。

 急に来ただいもそうなら、用件もないのに電話してきた亜衣菜も亜衣菜だ。

 うーん……全然わからん……!


『あ、そだ』

「お、おう?」


 荒れ狂ってた気がしたのに、一瞬で切り替わるテンション。

 その違いに、ちょっとびびった。


『秋に出る拡張データさ』

「うん」

『新情報掴んだんだけど』

「え、マジ?」

『今度うちに来てくれたら教えてあげるよ?』

「結構です」

『うっわ、え、うわー。即答とか、流石に泣くよ?』

 

 あ、やべ、これ声マジだ。


「め、飯くらいならいいけど……」

『ほんと!?』


 え、切り替えはや……って、あ! ハメられた!?

 「泣くよ」と言った時はすごくしょんぼりした感じだったのに、いまの「ほんと!?」はもう全力で喜んでるのが目に見えた。

 尻尾振る犬だな。こいつ猫キャラのくせに。


『えへへー、楽しみー』

「ったく」

『約束だよ?』

「わかったわかった」

『絶対だよ!?』

「わかったって、子どもかお前は」

『えー、恋する乙女?』

「うるせえアラサー」

『あー! 怒るよー!』


 そしてまた、電話越しに俺たちは笑い合う。

 やっぱりこいつ可愛いな。

 いや、純粋な意味でな!


『ん、声聞けてよかった。じゃあ、またねりんりん』

「おう、じゃあな」


 ガチャ

 こいつも「またね」、か。まぁ今の「またね」は、普通の「またね」だよな。

 今度はどこ行くんだろ。って、俺が店探すくらい、してやってもいいかな。

 

 亜衣菜との電話の余韻に浸る俺。

 亜衣菜との電話にすっかり夢中になっていた俺だから。


 たった数センチしかない俺とだいの境界線キッチンへの扉が開いていたことに、全く気付いていないのだった。

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