プロローグ 2まいの花びら②
入学式。座席は指定。
偶然にも、俺の隣にはぶつかった女子。
熱い視線を感じた。地味な女子のもの。
俺はときどき横を向き、女子を見た。
山吹さくらがそこにいないかという淡い期待を寄せて。
でも、1度でもそんなことはなかった。
俺が見る度、そこにいたのは地味な女子。
バッチリ目が合うと、女子は顔を真っ赤にして下を向いた。
はじめは少し気になる程度だった。
いつのまにかどうでもいい存在になっていた。
ぶつかった女子は、俺にとっては地味過ぎた。
教室。ホームルームで自己紹介。
席順は出席番号順。
入学式での席をマイナーチェンジしただけ。
俺の隣にはぶつかった女子。
相変わらず視線を感じる。
けど、自己紹介が終わったあと、俺の興味は完全に失せていた。
だって、ぶつかった女子の自己紹介が、あまりにも地味だったから。
山吹さくらだったら、演技でもそこまで地味じゃないと思った。
本名が、佐倉菜花というらしい。
今後、積極的に関わろうとは思わない。
それよりも、他の友達を作ろうと思った。
放課後。
帰り支度をしていたとき、佐倉が俺のところにきた。
「あのぉ、坂本くん……ちょっと、いい、かな……。」
思い詰めたような表情をしていた。
不可抗力とはいえ、キスはキス。
しっかり謝って、お互い忘れて、後腐れなくする。
俺には、それくらいのことをする義務がる。
「……ちょうど良い。俺も、佐倉さんに言わないといけないことがあるから……。」
「じゃあ、こっち……。」
佐倉について移動。
佐倉のステルス性能を見せつけられた。
職員室に難なく忍び込み、屋上の鍵をゲットしたのだ。
「こっちです」
「あっ、あぁ……。」
佐倉って、存在は地味だけど、行動は大胆。
俺は、ただ黙ってついて行った。
屋上。青春のイベントスペース。
かなり密室に近い状態だ。
こんなところに人を連れ込むなんて。
ひょっとして佐倉は俺に惚れたんだろうか。
入学式でもホームルームでも、俺に熱い視線を投げかけていたし。
それならそれで行動を変えねばならない。
佐倉の言うことを聞きつつ、しばらくは様子を見よう。
「確かめたいことがあるの……2つ……。」
「なっ、なんだ? 言ってみて……。」
予想と少し違うのは、2つってところ。
キスしたかどうかは確かめて当然。
そのあとに俺が謝ればすむ。楽勝楽勝。
あと1つ確かめたいことって何だろう。
俺は割と真剣に考えていた。
でも、思いつかなかった。
佐倉はほっと一息吐いたあと、意外な1つ目を言った。
「どうして私の正体を見破ったの?」
「正体って……。」
何のこと?
「と、とぼけないで。私が山吹さくらだってこと……。」
今、なんて言った?
山吹さくら。
ハッキリそう言わなかったか。
随分あっさりと。
俺、どうすればいい。
ここは、絶対に嫌われないようにするってのが鉄則。
でも、どう答えていいか分からない。正解があるのかも分からない。
だから、思ったままに答えた。
「あー、それね。ほら、キスのあとの佐倉は、山吹さくらそのものだったから」
「やっぱり、そうだったんですね……。」
「いやー、ごめんなさい。不可抗力とはいえキスなんかしてしまいまして……。」
「うん……。」
「ほっ、ほら。このことは誰にも言わな……。」
「……あのっ。もう1回、キスしませんか? ダメですか?」
えっ? 今、なんて……。
目の前にいるのは地味な佐倉菜花。
だけど、超絶人気アイドルの山吹さくら。
俺の憧れの人。
俺を東京へと引っ張り出した人。
俺はその女体の口からキスの催促をされている。
それも、俺の謝罪を食い気味に遮って。
俺は混乱してしまい、何も言えなかった。
「……。」
「お願いです。試してみたいんです。キスを!」
佐倉は鬼気迫る勢いで俺に唇を突き出していた。
それは山吹さくらの持つさくらリップとは違う。
今朝のことを無かったことにするどころか、再現しようとしていた。
こうなると俺は弱い。
佐倉菜花の申し出を受けることにした。
「じゃあ、とりあえず1回」
「はい。ありがとう」
佐倉の声は何故かかわいらしかった。
「あっ、時間測っていい? 30秒……。」
「えっ?」
一瞬、意味が分からなかったが、佐倉に同意した。
佐倉のガラケーが、30秒毎にときを知らせた。
俺の正面に佐倉が立った。
だけどその瞳は真剣。
少し涙目で、深く黒く輝いていた。
表情は相変わらずかたい。
キスするときくらい笑ってくれてもいいのに。
さくらスマイルとはいわないまでも、少しはかわいくなると思う。
でも佐倉はそんなに器用に振る舞えないのかもしれない。
あるいは一生懸命笑っているのかもしれない。
そういう意味では俺も同類。
俺は、文句を全部押し殺して、佐倉にしっかり向き合った。
そして次のピッのときにキスをした。
佐倉との30秒のキスのお味は、やっぱり地味。
この日の朝にそれを経験しているから、特別な感情は抱かなかった。
30秒は、地味に長い。
途中でそっと目を開けると、佐倉は佐倉のまま。
さくらスマイルではないし、さくらスメルもしてこない。
乾燥した唇はおそらくさくらリップとは別物。
ときどき、んんっていう息継ぎをするが、さくらブレスとは思えない。
同意の上で行った本格的な最初のキス。
何故か俺は冷静に、さくらではない佐倉を見ていた。
正直言ってあまり良いものではない。
まだかまだかとピッとなるのを待った。
そして遂にそのときがきた。
佐倉は、ピッという音とともに俺から一目散に離れた。
俺は、そのときになって気付いた。
良いものじゃないというのもお互い様。
俺は地味に心を痛めた。
けど、そんな傷は直ぐに塞がれた。
今、俺は世界中の幸せを独占している。
さくらスメルは俺の鼻を激しく、
さくらスマイルは俺の目をかわいく、
さくらブレスは俺の耳を華やかに刺激した。
さっきまでの地味な乾燥唇も変わっていた。
決して触れてはいけないもののように輝くさくらリップ。
見るだけで充分に刺激的だった。
変わったのが全てとならないのは、目の輝き。
佐倉のときからそれだけは一級品。
さくらになっても当然一級品。
「坂本くんっ。キスしてくれて、ありがとうっ!」
山吹さくらが俺にキスのお礼を言った。
何か言葉を返さなきゃって思う。
これがなかなか難しくって、俺にはそれができなかった。
入学初日に訪れた、幸せの絶頂期。
けどそれは、あまりにも儚かった。
「あっ……やっぱり、戻っちゃった……。」
次にピッとなったのと同時に、佐倉が言った。
「でも、予想の範囲内でした……。」
予想って何だろう。
俺がそう思っていると、佐倉が続けた。
「こんな実験に付き合っていただき、本当にありがとうございます」
「いっ、いいえ。こちらこそ、どうも……。」
俺が体験したことの凄さを考えれば、俺の方がお礼を言いたい。
目の前にいるのは佐倉であって、さくらではない。
佐倉とさくらは、決して二重人格というわけではなさそう。
少なくとも佐倉はさくらだったときのことを自覚している。
だが、佐倉がさくらになるのは自由ではない。
制約がある。俺とのキスと何か関係がある。
佐倉はそれを確かめたんだろう。
「あっ、あのーっ……。」
佐倉が、申し訳なさそうに言った。
「はっ、はい……。」
「もしよろしかったら、実験の続きをさせてもらえませんか?」
地味だ。佐倉は本当に地味だ。それだけに真剣。
俺も真剣に応えるべき。
だから、俺は言った。
「おっ俺、独り暮らしでさ。今日は何の用事もないから、とことん付き合うよ」
「ほっ、本当ですか? うれしい! ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして」
「じゃあ、私の家に行きましょう! 今はホテル暮らしなんだけど……。」
「はっはひーっ!」
こうして、俺は佐倉の暮らすホテルに行くことになった。
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