第18話

 見た目でなく、心情的に登は完全に浮いている。

 キラキラの店内に目が眩む。

 それでも、どんな色の宝石が青龍に合うのかと、店内を見て回る。


「あっれー」

 聞き覚えのある声に、登の眉間にしわが寄った。


「ヤマァダじゃん」


 登は舌打ちしそうになるのを堪えた。

 振り返り、奴の顔を見る。


「おいおい、ヤマァダ君、間違えて入っちまったのか? ここはお前みたいな奴が入れるところじゃないぞ」


 元上司が、ニヤニヤしながら登に絡む。

 この元上司のせいで、登は職を失ったのだ。いや、元々この上司用のいたぶり人員として登は採用されていた。

 登以前にも、いたぶられて退職していった者が多い。

 施設出の登がそれなりの会社に就職できた理由はそこにある。


 元上司は、会社の創建者の血縁なのだ。いわゆる縁故入社というあれだ。横暴で仕事ができない。だが、首は切れない。そんな不条理な者の部下として、登は採用されていた。


「お久しぶりです」


 登は社会人として、最低限の挨拶をする。

 元上司は、登を上から下まで舐めるように眺める。


「無理しちゃって、ヤマァダのくせに」


 元上司が登のスーツの襟をギュッと掴む。

 わざとしわがつくように力任せに握っているのだ。

 登は能面でその手を眺めるだけだ。


「ボロアパートに引っ越ししたか? こんな上等な服着る金なんてあるわけ?」


 元上司がバッと手を離す。


「以前のマンション住まいです。スーツは制服として支給されたので」


 登は淡々と答えた。


「あのマンションにまだしがみついているわけか」


 登の住んでいるマンションは、前の会社が用意したものだ。家賃の五割補助が出て、登は三万五千円ほど払っていた。都心からちょっとだけ離れたワンルームマンションの相場だろう。


 その住居も、元上司はいたぶる要因にしていた。仕事を辞めたら、家賃が払えなくなるぞと、いたぶり人員を簡単に退職できないように追いつめるために、会社も承知で用意していたのだ。


 だが、今はヘルカンパニーの寮扱いに変更されており、登に家賃の支払いはない。

 それも、登の知らぬうちにヘルヴィウムが手配していた。


「普通に住んでいます」


 登はあくまで、質問に端的に答える。

 それがこの元上司の癪に障るのだろう。元上司にしてみれば、いたぶる対象が無反応なのだから。


「たぁくーん」


 元上司の背後から、なんとも耳障りな声がする。


「ああ、のぞみん、ごめんな」


 元上司たぁくんに、たぶん連れだろうのぞみんの腕が絡まった。

 なんとなく、登は既視感を覚えた。


『あれだ、リリーだな』


 それは、登が初めて乙女世界で出会った令嬢に似ていた。


「あっれー? のぞみんに一目惚れとかか。ウケるー。こんないい女がお前如きの手に入るわけがないのに、ご愁傷様」

「いえ、手に入れたくない部類です。人それぞれ好みはありますから」


 登は即座に答えた。

 会社にいたときは、そんな反論はしなかった。

 だからだろう、元上司が瞬時に怒りを上らせる。今でもいびる対象として登を見ているからだ。


「てめぇ」

「部長、ご準備ができたようです」


 元上司の声を遮るように、アンネマリーが登に声をかけた。

『石』の準備ができたのだろう。サロンから登を呼びにきたのだ。

 元上司の振り上げられた手が、アンネマリーの声かけで止まった。

 舌打ちしながら下ろされた手を確認して、登は口を開く。


「ああ、今行く」


 登は、元上司たぁくんと連れののぞみんを一瞥し、踵を返した。

 しかし、登の肩を元上司がガシッと掴む。


「何、勝手に行こうとしてんの?」

「私はもうあなたの部下ではありませんが?」


 登は、元上司の手をギュッと掴み放り投げる。

 さらなる反撃に、元上司が登の胸ぐらを掴んだ。


「てめぇ、俺にこんなことしてただで済むと思ってんのか!?」

「お好きなように。できるのであれば」


 元上司の怒声に答えたのは、アンネマリーだ。

 すぐに警備の者が現れ、元上司を登から剥がす。

 登は、スーツをパンパンと払った。


「山田様、大変失礼致しました」


 慌てて出てきただろう店長らしき者が、登とアンネマリーに深々頭を下げる。


「どうぞ、あちらへ」


 登とアンネマリーはサロンの方に促される。


「離せ!」


 元上司が叫んでいる。

「俺は銀だぞ!」


 登は、さっきのアンネマリーの説明を思い出す。

 きっと、元上司は法人用のカードを言っているのだろう。

 アンネマリーが元上司を『フン』と鼻で笑ってあしらう。


「部長、こちらを」


 ここぞと金色のカードを、元上司の目の前で登に手渡す。ヘルヴィウムが手配していたものだろう。

 元上司が目を見開いて固まった。


「お、お前がなんで?」


 登が部長と呼ばれていることにも気づいていないようだ。


「失礼」


 登はそこでやっと感情を瞳に宿して、元上司を一瞬睨みサロンへと向かった。




「大変でしたね」


 アンネマリーがジュエリーショップの方を振り返って言った。

 もう扉は閉まっていて、元上司の姿は見えない。


「まあ、あれが通常だから、奴は」


 登は気にも止めない。横暴には慣れっこだ。ただ、会社内ならまだしも、外でもああなのかと呆れている。


「ご迷惑をおかけしました。お知り合いでしたか?」


 さっきの店長らしき者が、サロンに入ってきて登らに声をかけた。


「彼はまだ私の上司の気分だったのでしょう」


 登は肩を竦めた。


「そうでしたか。あの会社であの方の」


 そう呟いて、口を滑らせたことに気づいたのか店長がハッとする。


「申し訳ありません」

「いや、だいたい察することができるから」


 登は苦笑いを返した。




 サロン奥の個室で、登は青い『石』を眺める。

 ジュエリーに加工される前の『石』が並べられている。どれも青い色なのに、同じ色は存在しない。

 登は、その中の一つを手に取った。


「そちらは非加熱のタンザナイトです。いわゆる深い単色の青とは違い『多色性ブルー』と言いまして、自然光、蛍光灯や白熱灯など、それぞれの光の下で青や紫、群青など色を変える輝きを持っています。産地はタンザニア、夜に向かっていく空を現しているかのようなブルーから、タンザナイト。素敵な『石』ですね」


 登は数ある青い石の中で、このタンザナイトに目を奪われていた。


「これを」


 この部屋に入ってからまだ十分も経っていないだろう。いや、店長が宝石を並べて五分といったところか。


「ぶ、部長、よろしいので?」


 アンネマリーがびっくりして問う。


「これがいい」


 登は即答した。


「『石』とは巡り会うものです。私も安心してその子を送出せます」


 店長が愛おしげに『石』を眺めたのだった。


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