第13話
登は目覚める。
「おはよう」
登の顔を覗き込むのは、ヘルヴィウム……じゃない。
「え!?」
登は飛び起きた。
「アンネマリー?」
「そ。今日は、ヘルヴィウムに依頼されて現実世界に来てるのよ」
異世界時のアンネマリーとは形が違う。悪役令嬢が清楚なお嬢さんになっていた。それでも、アンネマリーだと分かるのは、登が異世界マスター候補だからだろう。感覚とか肌で感じるものとしか言いようがない。
「えっと?」
登はいつものように冷蔵庫へ行き、ポーションを取り出して飲む。
「うん、ヘルヴィウムから施設に同行しろって頼まれたのよ」
今日の登は、施設に行き例の世界を回収してくることが仕事だ。施設を出るとき、全ての物を持って出たが、あの紙芝居風の物語だけは置いてきていた。
「一人で行けるけど?」
「あー、うん……」
アンネマリーが言い淀む。
「何かあるわけ?」
「……うん。あのね、言いづらいのだけど」
そう言って、アンネマリーが説明する。
どうやら、元カノと元親友がこの部屋を何度も訪問しており、登の安否が心配になりマンションの管理会社に連絡したらしい。
登は狭間世界でその情報は得ていたが、もう登には関係のないことだし放っておいた。元より、親族でもない者に管理会社が融通を利かせることはないから安心なわけだ。
「それが、施設行きとどう繋がるわけ?」
「うん。その二人は施設長に登の安否が確認できないから、マンションの管理会社に頼んでほしいって連絡したみたいなの」
「あーなるほどね。確かに緊急連絡先を施設にしてた。そういうことか」
つまり、親族以外で管理会社を頷かせるために、施設長に話がいったのだろう。
「参ったな」
登は少し脱力しながら言った。
「それで、この部屋はもうヘルヴィウム管理になっているし、管理会社から連絡があって『ヘルカンパニー』の寮扱いで登が居住していることを、施設に報告してほしいらしいの」
「『ヘルカンパニー』って?」
登は初めての語句に反応する。
「ヘルヴィウムの現実世界での会社よ。こっちでも活動するには会社が必要でしょ?」
登は一瞬脳内で『フロント会社かよ』と突っ込んだ。
「で、これ」
アンネマリーが登に何やら四角い小さな箱を手渡す。
登は、箱を開けて確信した。
「名刺か」
登は名刺の一行に眉を寄せる。
「この開発部長って役職なんだよ!?」
登の肩書きは、ヘルカンパニーの開発部長になっていた。
「これから異世界開発するから、間違いはないでしょ?」
アンネマリーが笑って言った。
登は頭を掻きながら、部長の肩書きに内心嬉しい気持ちになる。
「それで、アンネマリーが同行する理由は?」
「私、登の秘書設定らしいわ。怪しい会社じゃないって見せるためらしいの」
「は?」
登は一拍おいて声が出た。
「いや、反対に秘書同行の方が怪しまれるから」
登は気が遠くなる。入社したてで部長になっているのもおかしいのに、秘書までいたら怪しさ満点だ。
「ていうか、二人も施設に来るのかよ?」
「登が施設に行けば、施設長が二人に連絡するだろうって、ヘルヴィウムの予測。だから、私も同行するの。これ以上登に関わらないようにするためにね」
異世界のことを知られるわけにはいかないからだ。
登に二人がつきまとえば、どこかで綻びが出るだろう。
登はもう現実世界で普通には生きられない。
「分かった」
登はため息をついたのだった。
久しぶりに施設に足を運んだ。
登は、幼い頃の記憶を呼び戻す。
「よく、あの縁側で描いていたっけ」
登は古ぼけた施設を眺める。昔も今も変わらず、古ぼけたままだ。だからこそ、温かみを感じる。
そっと懐を確かめた。帯封の一本が入っている。
アンネマリーは少し離れたパーキングで待機中だ。
現実世界の『ヘルカンパニー』は実際に存在するらしく、運転手付きの社用車でここまで来た。運転手は浦島友也だった。
異世界人が、現実世界で普通に暮らすためのクッション会社なのだろう。
「さてと」
登は、『光の家』の扉を開けた。
「まあ!」
「お久しぶりです」
開けて早々、施設長が洗濯物を両手で抱えて立っていた。
「登なの!?」
「ええ、ちょっと忙しくてなかなか来られずじまいですみません」
施設長が、洗濯物をどこに下ろそうかと魚竿している。
「俺が持ちますよ」
登は玄関を上がり、洗濯物を抱えた。
「ありがとうね。それは下の子たちのだから、梅に持っていって。お茶を用意するわね」
施設には松竹梅と名付けられた自由部屋があり、幼児、小学生、中学生で分かれて使っていた。いわゆる共同の自習部屋である。
高校生からは、図書館で自習が増えるので共同部屋はない。というか、そんなスペースはないし、高校生が松竹梅の部屋で先生代わりをしていた。
登は梅部屋に洗濯物を運んだ。
「あら、珍しい」
職員が登に気づく。
「ご無沙汰しています」
「ええ、あなた大変だったわ」
つまり、あの二人のことだろう。だが、登は知らない体で首を傾げた。
「ミサちゃんとサトル君が心配して」
そこで施設長が入ってくる。
「二人には今連絡したわ」
職員が頷いて、仕事に戻っていく。
「ねえ、登」
「はい?」
「あなた、何か良からぬことをしていない?」
施設長が優しく話しかける。その瞳は、高価なスーツを着こなしている登を全身確認していた。
「そうですね。懸命に働き過ぎるのは良くないですね」
登は力なく笑い、髪を掻き上げた。
「リストラされてから、あの二人とも疎遠になりました。自分を見つめ直し、一念発起と言いますか……今はこういう結果です」
登は、『ヘルカンパニー』の名刺を施設長に出した。
「……怪しい会社じゃないでしょうね?」
「ペーパーカンパニーでもフロント会社でもないです」
登は、アンネマリーとの質疑応答練習の成果でスラスラと答える。
「海外で展開している法人のホリデーツアーをマネジメントする会社で、今度日本にも進出してきて……この前まで出張で一カ月以上飛び回っていました」
施設長が何やら納得したのか『なるほどね』と頷いている。
あの二人が、登と連絡できない背景に納得できたようだ。
登の説明もあながち嘘だらけではない。勇者ご一行のホリデーツアーは確かにあった。浦島友也の日本進出にも付き合ったようなものだ。
「でも、いきなり『部長』って……」
施設長が名刺を怪しげに見つめている。
「海外では普通らしいですよ。現場に権限を与えるためと、日本では肩書きが重要だって分かってのことらしいです。まあ、世界は成果主義ですし」
「そう、なの?」
若干、疑わしかっただろうが、施設長は納得したのだろう。名刺をエプロンのポケットにしまった。
登は、このタイミングを逃さず懐の厚みを取り出す。
「これ、施設運営に使ってください」
施設長が目を見開いた。
「こんな大金」
「いえ、成果が入って。だから、こんな形になったわけで。本当に自分の力で稼いだお金ですから」
登は、施設長の手を取って一本を握らせた。
神獣飼育で入った最初の成果である。
「そんな、貰えないわ!」
押し返そうとする施設長から少し離れ手を広げた。
「これから、重要なプロジェクトを任される予定です。もっと稼いで、施設に返していこうって思っています」
登はそこで深々と頭を下げた。
「今まで、育ててくれた感謝なので」
ゆっくりと顔を上げると、施設長が感極まっている。
「ありがとね、登。実は……ここね、火の車なの。本当にありがとうね」
施設運営では普通のことだろう。どの施設もギリギリで運営しているのだ。
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