第1738話 ミスズの表情

 一触即発となったこの場の空気を抑えるかの如く、歪完は右手を軽く挙げると玉稿に向けて口を開いた。


「やれやれ……。後悔しますよ? 玉稿殿」


 そう言い残すと歪完はちらりとソフィ達を一瞥した後、この場に居た天狗達を連れて空へと浮き上がり、来た時のようにそのまま空を飛んで引き返していった。


 そしてその場には玉稿とソフィ達だけが残されるのであった。


「ふーむ……。良かったのか、玉稿殿? あの様子では天狗とやらは再びここに攻め込んでくるだろう。奴らが一度退いてみせたのは、どうやらあやつより位が上の者に報告と本当の襲撃の許可を得にいったと見えるが」


 ソフィがそう口にすると玉稿は複雑そうな表情を浮かべながら、小さく首を縦に振るのだった。


「ソフィ殿、それに他の方々も……。申し訳ないが酒宴はここまでのようだ。奴らが戻って来る前に急いでこの集落から離れて頂きたい。あやつらの目的は貴方がただ。ワシらも出来る限り時間を稼ぐつもりだが、天狗共が本気になれば、主力を欠いた今のワシらではどうにもできまい……。一刻も早く遠くへ身をお隠しなされ」


 先程の両種族のやり取りを見る限り、同じ妖魔達といえども関係が良好というわけではなさそうである。それはつまり表向きは昔から続く『三大妖魔』として山での体裁を守っていたに過ぎないという事だろう。


 その言葉を聴いたソフィは少しだけ眉間に皺を寄せた後、ちらりとシゲンやミスズ達に視線を向けるのだった。


 あくまでこの一行の主導権は『妖魔退魔師』組織が握っている。エイジやゲンロクは『妖魔退魔師』組織が行う調査に同行しているだけに過ぎず、またソフィ達も『エヴィ』を探すという目的が最優先ではあるが、ここにはシゲン達に協力をする事で『妖魔山』に入る事が出来ている。


 ひとまずはソフィもシゲン達のやり方に従おうと考えてはいる。


 ――しかしソフィの胸の内だが、普段の彼からしてみれば今の彼は存外に穏やかではなかった。


 この騒動となった原因がこの山を登ってきた自分達であるという事もあるが、それを度外視してもあのように大勢を引き連れてきて従わざるを得ないような状況を作り上げた上で、一方的に自分達の言いたい事を告げてきた天狗達に対して、ソフィは相当に思うところがあったようである。


 そして普段であれば一番に文句を口にする筈のヌーは、腕を組んだままでシゲン達に視線を向けているソフィを見てだんまりを決め込んでいた。


(ちっ! 成程な……。コイツが機嫌を損ねるパターンってのが俺にも分かってきたぜ。こいつ自身の部下や仲間が直接襲われたわけじゃねぇから、今みてぇな不機嫌って感じなだけですんでいやがるが、それでもあと一息こいつに対して更に気に入らねぇ事を行えば、間違いなくこいつは動くだろうよ。魔界全土戦争の時も中央大陸の連中は今の俺のような面持ちでコイツを見ていたんだろう。そりゃ『魔界』の魔族連中もさっさとソフィの機嫌を直させようとする筈だ。直接関係がねぇっていうのに、今のこいつが何をしでかすか分からねぇ。だというのにこんな近くに居させられたら、確かにたまったもんじゃねぇよ。コイツに心臓を握られているような感覚だ。くそっ、全く最悪の気分だぜ……っ!)


 今更ながらによくこんな奴を相手に戦争を起こしたもんだと、過去の自分が如何に危険な状態であったのかを考えて薄ら寒さすら覚える大魔王ヌーであった。


 そしてこの場の主導権を握っている『妖魔退魔師』側の副総長の立場に居るミスズは、ソフィから視線を向けられた事に当然に気づいているが、彼女は普段のように快活に言葉を吐き出す真似が出来ない。


 妖魔退魔師組織は『禁止区域』の調査が名目で妖魔山に訪れている。もちろんその前提に妖魔山で起きている出来事を把握するという意味では、今回の鬼人族と天狗族の互いの種族間でのやり取りを最後まで注視する事は間違ってはいないだろう。


 だが、ここで人間である自分が二種族の行いに介入する事になれば、それはもう調査の枠組みから外れて、妖魔山で一悶着を起こして今後の立ち位置を明確に決めざるを得なくなってしまうだろう。


 先程の鬼人族の族長である玉稿と、歪完と呼ばれていた天狗達とのやり取りを見る限り、ここで自分達が退けば間違いなく、鬼人族は天狗達に潰されてしまうだろうし、かといってここで鬼人族に加勢を行う形で介入してしまえば、今度こそ天狗族を敵に回して人類を危険な目に遭わせてしまう可能性が出て来る。


 あくまで妖魔から襲撃される危険性が如何ほどか、それをはかる為に調査を行いにきたというのに、自分達から火種を作って妖魔達と戦争状態に突入してしまえば、一体何をしに来たのか分からなくなってしまう。


 ――そして副総長のミスズは、普段であれば絶対に見せない表情をシゲンに向けてしまうのだった。

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