第921話 旅籠とミルク

 声を掛けてきた男の案内先の宿は、表通りの軒並み断られた宿からは随分と遠くにあった。

 案内された宿はそこそこ広く庭もあるが、見た感じは寂れていて窓もそこらかしこが割れていて、あまり泊まりたいと思えるような宿ではなかった。


「こちらですよ、さぁさぁ入ってください」


 そういって男は戸を開けてソフィ達を中へ招き入れた。


「いらっしゃい、おっと、ミヤジがまた新たに客を連れてきてくれたぞ」


 店の中にソフィ達が入ると手ぬぐいを頭に巻いた男が、宿の入り口にあるカウンターの中から声を掛けてきた。


「あんちゃん、一泊の客が四人だ。酒場の方でいつもの頼むぜ」


「あいよ」


「それじゃあ、ごゆっくりしていってくれ」


 ここまで案内してくれた客引きの役割を担っていた従業員らしき男は、ソフィ達に頭を下げて再び外へ出て行った。他の客をまた探しに行ったのだろうか。


「おーい、こっちこっち」


 ソフィが若者の後ろ姿を見送っていると手ぬぐいを巻いた男が、エイジ達に声を掛けながら手招きをする。どうやらこっちへ来いと言っているのだろう。


「いらっしゃい、よく来てくれた。四名様だな」


 どうやらこの男が店の主人なのだろう。ソフィ達が近寄ると、直ぐに笑顔で声を掛けて来るのだった。


「ああ、ミヤジから話は聞いてくれたかい?」


「ああ、裏通りの酒場を利用するなら、泊めてくれるという事なのだろう?」


 交渉をしていたエイジがそう言うと、鉢巻を巻いた主人はニヤリと笑った。


「この町の旅籠はどこも物売り連中が多く泊まっていてね。こんな時間から利用しようとしても、どこも空いていないよ。うちはさっきの男の店を利用するならば、という条件付きで部屋を貸し付けているからまだ少し泊めれる余裕があるのさ。それで本当に泊まるって事でいいんだよな?」


「料金がまともであるなら、利用させてもらいたい」


 ここに来る前にさっきの男の話では、少し相場より割高のような事を言っていた。それがどのくらいの値段なのか分からない内は安易には決めにくい。エイジはそういう意味で、男に一泊いくらなのか聞いてみる事にした。


「ああ、宿代は相場とほとんど変わらんよ。単に酒場を利用してもらうから、その分他の宿より高くつくかもしれんがな」


 そう言う事かとエイジは頷いた。


「部屋は悪いが四人同じ部屋って事でいいかい? 流石に今の時間からだと、空きも少ないんだが」


 エイジはソフィ達に同じ部屋でいいかと視線を送る。ソフィもヌーもエイジの長屋ですでに雑魚寝している。別に同じ部屋でも問題は無いと頷いて見せる。


「分かった、それでいい。一泊頼もうか」


「それじゃあ四人分で銀貨8枚だ」


 エイジは問題無いと判断したのか頷いて懐から巾着袋を取り出して銀貨を主人に支払った。


「毎度! それじゃあ部屋に案内するよ」


 そう言って宿賃を受け取った店の主人は、後ろにつるしてあった鍵を一つとって、カウンターの外側へと出て来る。どうやら主人自らが部屋まで案内してくれるようだ。


 ソフィは不用心だなと思いながらも特にそれ以上は気にすることなく、エイジ達と共に主人の後をついて行くのだった。


 ……

 ……

 ……


 ソフィ達の部屋はどうやら二階のようで、主人の後をついて階段を昇っていった。そしてソフィ達が居なくなった一階で、その様子を見ていた数人の男たちが、宿の入り口の陰から出て来る。数人の男たちは互いの顔を見てにやにやと笑い始めるのだった。


 ……

 ……

 ……


 案内された部屋の中は畳張りで十畳くらいの広さに、折り畳みのテーブルが真ん中に置かれていた。


「押し入れに布団があるから、悪いが自分達で出してくれ。さっき言った通り酒場は利用してくれよ? まぁ別に全員絶対に呑めとは言わないが、多く呑んでくれた方が有難いからな」


 そう言って主人は色々と説明をした後、エイジに鍵を渡してそのまま一階へと戻っていった。


「ふー……。しかしまぁ何とか部屋を取れてよかった」


 自分で旅籠に誘っておいて、宿が空いてないという事態になるとは思わなかったようで、どうやら相当に気に病んでいたらしい。


「クックック。まぁ最悪は我の魔法で『ケイノト』に戻ってお主の長屋に行っても良かったのだがな?」


「何と、そんな便利な魔法があったのか……」


 どうやらこの世界では、精霊族も居ないのか、はたまた過去には居たが『ことわり』ごと存在が消えてしまっていたのか。そこまでは分からないが、どうやら四元素の魔法や『魔』を使う為の『ことわり』等は存在していないらしく、ソフィの言葉に驚くエイジであった。


「おい、ここまでだいぶ歩かされたんだ。そろそろ酒の一杯でも呑ませろや。こっちは疲れてんだぞ」


 どうやらヌーは相当に酒が呑みたいらしく、ちらちらと部屋の窓から外を見下ろして裏道通りの灯りの灯った提灯を見つめていた。


「クックック、余程お主は酒が好きとみえる」


 しかしそこでテアは嫌な顔を浮かべるのだった。


「――!」 (私は酒が嫌いだ、店には行かないぞ!)


「ああっ!? 何言っていやがる!」


「――!」(絶対に行かないからな! 別にヌー達が呑みに行くのは構わないが、私は絶対行かない、部屋に居てるから好きに呑んでくればいい!)


「何だ? お主達は何を揉めておるのだ?」


 突然『テア』と会話をしていたヌーが大声をあげだしたことで、エイジもソフィも何事かと二人に視線を向けながらソフィはそう口にする。


「チッ! こいつが酒が嫌いだから、店には行かないだとよ、だったらお前ひとりでここに残るっていうのか? さっきの野郎が飯は酒場で出すって言ってただろうが」


「――」(私は酒が大嫌いなんだ、ご飯は別にいい。食べなくても死神は別に死なないし平気だ)


「ちっ! 融通が利かないガキだぜ。てめぇはちったぁ、話しの分かる奴だと思っていたが、お子ちゃまだな、お子ちゃま」


「――!」(うるせぇっ! 誰がお子ちゃまだ、クソ野郎!!)


 徐々に二人の言い争いがヒートアップしていく様を見ていたソフィは、そこで二人を諫めようと口を開いた。


「まぁまぁ、落ち着け。我も別に呑まなくても構わぬ。我が残ってこやつの面倒を見ておいてやろう。酒場は利用するようにと店主が言っておったし、お主とエイジの二人で行ってくるがよかろう」


「そうだな……。どちらにしろ店へ行くのが条件だ。酒は小生が付き合おうぞ、ヌー殿」


「わぁったよ、全く話の分かる死神だと思ったらこれだ。クソガキは、ママのミルクでも呑んでいやがれ!」


 ボロクソに言い散らかして、ヌーは外に出て行った。エイジは苦笑いを浮かべてその後をついて行こうとするが、部屋を出る時にソフィを一瞥する。


「すまぬな、エイジ殿。あやつに付き合ってやってくれ」


「ああ、ヌー殿の事は小生に任されよ。何かつまめるものを持って帰って来るから、テア殿を頼む」


 そう言ってエイジは慌ててヌーの後を追っていった。


「――!」(誰がクソガキだ!! 何がママのミルクでも呑んでろだ!!)


「まぁお主も落ち着け、あやつもお主と一緒に酒を呑むのを相当に楽しみにしておったのだろう。テアよ、お主も少し落ち着いてあやつを許してやるのだ」



 地団太を踏みながら死神のテアはぷりぷりと怒っていたが、ソフィが何かを自分に告げているのを理解したのか、ソフィの方をじっとみながら、ちょこんと足を動かして正座をするのであった。


 その様子を見たソフィは、ひとまず会話が出来るようにしなければと『魔神』を呼び出す準備を始めようとするのだった。


 ……

 ……

 ……

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