第895話 種族の壁を越えて通じ合う

 鷺の妖魔である『劉鷺りゅうさぎ』はイバキが結界を張り直した後、イダラマがイバキに背を向けて離れて行ったのを確認して木陰から飛び出してその姿を見せる。


 『妖魔召士ようましょうし』や『特別退魔士とくたいま』は『印行』を操る存在の為、僅か一秒でも意識が離れている状態で行動したほうがいいという『劉鷺』の妖魔として戦ってきた、これまでの人間達に対する経験則で、このタイミングがベストだと判断したようであった。


 この場に集まっているイダラマ一派の護衛剣士たちは、流石に一流どころの集まりというべきか。何の前触れも無く現れた『劉鷺りゅうさぎ』に驚くよりも先に抜いていた刀で、妖魔に対処をするように構える。


 地面に横たわるイバキの元まで、まだかなりの距離がある。これだけのを潜り抜けてイバキの元まで向かうのは、かなりの困難であるといえた。


 しかしそれはランク『2』までの妖魔であればの話である。

 『劉鷺りゅうさぎ』はランク『3』の妖魔であり、更にいえば速度に自信を持つ鷺の妖魔なのである。


 突如として現れた劉鷺が恐るべき速度で向かってくるのを見て、イダラマ一派は一斉に劉鷺に襲い掛かっていく。一番前に居た剣士の一振りを難なく躱して、その護衛剣士の剣の上を足場にして、更に前方高くへ跳びあがる。跳躍を見せた『劉鷺りゅうさぎ』に、今度は三人の剣士が払い落そうと空を舞う劉鷺に刀を横凪ぎに振り切った。


 器用に羽を羽搏かせながら剣士達の刀を掻い潜って見事に躱す。二人の影に隠れて三人目の剣士が、姿をすっと見せる。


「とったぁっ!」


 三人目の剣士が声を高々にあげながら劉鷺に向けて刀を振り切る。流石に回避が出来ない状況を生み出された劉鷺は、舌打ちをしながらその剣士の迫りくる刀を睨みつける。


 『劉鷺りゅうさぎ』は回避を諦めて自分の左手を盾にまわす。イバキという主を助ける為ならば、たかが腕の一本惜しくはない。


 その覚悟をもって『イダラマ』の護衛剣士の迫りくる刀を見据える。劉鷺の頭の中では、この後の行動を既に張り巡らせている。この襲い掛かってきた三人を抜ければ一直線に道が開く。直ぐに他の者達がその穴を埋めようとしてくるだろうが『劉鷺りゅうさぎ』の速度であれば、難なくイバキの元に辿り着けるだろう。


 ――だからこの一撃で持っていかれる左手は、イバキを助けるための必要な代償なのだ。


 そう言い聞かせた劉鷺は、数秒後に来るであろう激痛に耐える為、身体に力を入れて覚悟を決める。


 ――どすっ。


 刃物が刺さる音が聞こえてきた。覚悟をしていた以上は止まるつもりは無い劉鷺だったが、予想より痛みが無いなと感じて、僅かながらに視線を自分の左手に向ける。


 だが、まだ自分の腕の先が繋がったままであった。


「?」


 自分が斬られた訳ではないと気づいた劉鷺は、そのまま襲い掛かってきた筈の目の前に居る剣士の顔を見る。


 その剣士の首に刀が刺さっている。中々に長い刀が深く深く突き刺さっていて、その男の頭の上に居る劉鷺の視線の先では、反対側から貫通している刃の切先が姿を出していた。余程力のあるものが押し込まなければこんなに深く刺さる筈が無いだろう。


 しかし自分の周りには『敵』しかいないはずなのに何故? と劉鷺は僅かな時間の間に考えながら右側の木陰で立っている人間を見つける。


 ――ああ、成程……。


 劉鷺は空中で何が起きたかを把握した後、地面に着地してそのままそちらの方を向かずに、自分の主の元へと走り出して向かうのだった。


 劉鷺は先程空中に飛んだ時に、視界の端に見つけたのは『本鵺ほんぬえ』の呪詛をその身に受けて『スー』が、最後の力を振り絞って、自分の愛刀をその場から投擲して、劉鷺を遮る障害物を取り除いてくれたのであった。


 ――劉鷺はスーと特別親しかったわけではない。


 会話も一度か二度したくらいの間柄であっただろう。だがそれでも、先程空中で一度だけ目が合ったスーからその必死の声なき言葉を受け取った。


 ――もうそちらに視線を向ける必要はない。


 イバキの護衛剣士『スー』と、イバキの『式神』の妖魔である自分。種族間という壁など互いの間には無かった。


 ――心は既に通じ合えた。


 『


 彼の目は助けに向かっている自分にそう告げたのである。劉鷺は先程木陰から飛び出した時よりも、もっと大きな感情が胸いっぱいに広がっていくのを感じた。


 ――今の自分は無敵だ。

 志を同じくとする物が贈ってくれた信頼をその身に内包した自分が、裏切ってなるものかよ。


 ――親愛なる同志よ、安心してくれ。必ず私が主殿イバキを助けてみせるから――。


「と、止めろ! 誰か止めろ!!」


 慌ててイダラマ一派の者達が声をあげるが、まるで神風の如く恐るべき速度で駆け抜けていく劉鷺を止めに入ろうとしていたイダラマ一派の護衛達は、驚いた様子で見つめる事しか出来なかった。


 …………


(イバキを頼んだぞ……)


 必死に立ち上がって、唇を噛み切るほどに力を込めて、自分の『同志』の『劉鷺りゅうさぎ』を遮る障害物を取り除いたスーは、その愛刀を投擲をしたままの態勢のままで意識を失うのだった。


 そしてその直後、アコウとウガマの両名によって、前と後ろから同時に剣を体に深く突き入れられて、


 ――ガッチリと固められていた彼のオールバックの前髪の一部が、少しだけ前に垂れてくる。


 いつもであれば、ご自慢の艶やかな櫛で整えるその手は――。


 ――

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