scene3
ソファーで丸まっているオスカーの耳がピクピクとしきりに動いている。寝入っているように見せかけて、こっちを気にしているみたい。久しぶりのお客さんだものね。
ほおばっていた白飯をごくんと飲み込んでから、花の女子大生には似つかわしくない客人に視線を戻す。
「犬を止め忘れた?」
「そう、犬を対象に入れるの忘れちまってな。時が止まってんのに犬だけ動いているんだ」
「あ、そういうの見たことあるよ。いくつかあるけどあの中にも本物があるの?」
「ああ。納期がギリギリだったせいで、録ったシーンをそのまま使った作品があるんだよ」
「まぁ観る人はそこがガバガバでも気にしないしね。そもそも作り物だって思っているんだし」
食卓を囲んでの団欒はアダルト談義で花が咲いていた。
めくるめく裏話に時には胸を躍らせ、時にはショックを受けながら、穏やかで卑猥なひと時を過ごす。
話題はここで能力者の件に移る。
「それにしても時を止めるってとんでもない力だよね。世界の理に干渉しているんだもん。力を行使している間、世界全体の動きが止まっている訳でしょ?」
「あーそれについては少し話が長くなるかもな」
「良いよ。私、長いの好き」
「ではざっくりだが説明しよう」
私のささやかなボケを無視して康さんは説明に移る。
どうやら康さんの能力は厳密には時間停止ではないらしい。では何かと言うと、空間跳躍や次元転移の類の力だそうだ。
何故それが時間停止になり得るのか。それは能力の行使者が一時的に空間跳躍しているからだと彼は話す。
「実際の撮影のケースを例に出そう」
男優とスタッフと撮影機材、いわゆる静止した世界で動く側が別位相に飛ぶ。この別位相というのは私達の世界とほど近いけれども、知覚されない世界のことで、時間の流れからして違うのだそうだ。
これにより、転移した男優達は別位相から元の世界の「状態」を観測しているような状況になっているという。それ故に映像では時が止まっているように見えるという訳だ。
「時間に干渉しているのではなく、別世界に飛んで、そこから元の世界の一瞬を切り取って見ているってこと? でも、それじゃ静止世界の物に触れられるのはおかしくない?」
「それに関しては理由はわからんが、次元の壁を越えて干渉できちまうんだ。本来の世界とほど近い世界ってのがミソっつー所までは判明しているんだがな」
「うーん……要するに停止している生放送の映像に、手を突っ込んで物に触れているのね?」
「論理的には破綻しているが、まぁそんな感じだ。俺もこのメカニズムについて感覚的に捉えているだけで、理屈では完全には理解していない。家電と同じで知らなくても使えればそれで十分だ」
たしかに聞いているだけで頭がこんがらがるし、そこまで深く知ろうとしない方が良いかもしれない。
「ちなみに俺の透明化も複雑怪奇にして深山幽谷の如しだよ。聞く?」
「いや、いい」
「その冷酷無比な眼差し、たまらないね」
どうせ露出体験談を聞かされるだけだ。今はムフフでいやらしい話題よりも、この不思議な話の方が気になっていた。オカルトとか超能力とかそんなに好きだったかな、私。
「能力はどうやって?」
「遺伝だな。この業界の俺達みたいなもんは全員そうだ。俺の場合は父親からだな」
「じゃあ康さんのお父さんも同じ能力を?」
「いや、親父は違う能力をもっていた。受け継がれるのは「能力を拓く因子」なんだ。ただ、それも絶対受け継がれる訳でもないし、因子を受け継いでも能力が発現するとも限らない。子世代が非能力者でも、孫以降の世代で能力者が現れる場合もある」
さらにどのような能力を発現するかは本人の資質よりもむしろ運によるという。実用的な力を得られた者はかなり幸運なのだとか。
「その実用的な力をエロに使っているのはどうかと思うけど」と呟くと、うすにんが「いやいやそれは違う」とすかさず反論する。
「俺達はそのエロのおかげで飯が食えて税金も納められているのよ。やろうと思えば犯罪し放題なんだよ? 俺は露出しているけど」
たしかにそれは言えている。逆に生活に支障さえきたさなければ、それで幸運と言えるのかもしれない。
「そうそう。俺達はこの力のおかげで生きていけている。昔はちょっと不運、いや、ある意味幸運だったのかな。それはともかく、能力の発覚が転機になった子もいたらしいよ」
「へぇ、それはどんな?」と次を促す。男優にいるなら女優さんにも能力持ちがいるのは不思議ではない。その人はどんな人だったんだろう?
「すごい綺麗な子でこの子は絶対売れるって子だったんだけど、撮影直前になって相手役の男優が役立たずになっちゃうってことが立て続けに起こってさ。それでその子が「男の機能を殺す」というえげつない能力持ちって発覚したのよ。当時のベテラン男優を絶望の引退に叩き落したとも言われている」
「その女優さんは選ぶ職業を間違えちゃったんだね」
オスカーが振り返って、こちらを凝視している。お腹でも空いたのかな。「カリカリあるよー」と皿を指し示してやるが、プイと視線を逸らして無視された。何じゃい。
その女の子はもうけっこうな歳になっているだろうけど、幸せに暮らせているのだろうか。その能力なら少なくとも子どもはいないはず。
「デビュー作の撮影をセッティングする度にそれだったし、発覚してからは結局女優さんにならなかったそうだけどね。まぁこの話は眉唾だね。業界も昔は今よりずっと黒かったし、ブローカーが女の子を無理くり連れてきたとかで、ひと悶着あったのが都市伝説化したんじゃないかと言われている」
「なぁんだ。実話かどうかはっきりしないのね」
「でも嘘ではないかもしれない。俺らみたいのがこうして存在しているようにな」
康さんがニヤリと笑みをオスカーに送ると、びっくりしたのかそそくさと部屋を出て行ってしまった。怖いよね。人間でもビビるもん。
「次は嬢ちゃんの話を聞きてえな。お袋さんが入院して、嬢ちゃんがここで一人となると親父さんも心配してんじゃねえか?」
「んふー、どうなんだろうね」
父は単身赴任だ。それなりの役職に就いているらしく、自粛中も仕事を休めない。そもそも感染のリスクを考えると帰省なんてできない。
たまに連絡を取っても、向こうは私達に弱い所を見せたくないのか、えらく事務的なメッセージしか送ってこないし、私達も「心配ないよ」のニュアンスの言葉をいくつか返すだけだった。
「母さんは「父さんはちゃんと見てくれてるよ」なんて言うけど、よくわかんないんだよね」
思えば父は昔から忙しくて、家にいた記憶がほとんどない。でも、母から色々聞いていたのか、私が勉強で何が得意で何が苦手なのかとか、部活の試合で悔しかった出来事とか、友達と喧嘩したとか、仲の良い男子がいたとか、普段は家にいないのにも関わらず、会話すると不思議と色々知っていた。よくわからないけどそういう人だった。
私は父のことを何も知らない。でも、父は私のことを知っている。私はそれがたまらなく嫌だった。全てを見透かされているようで、父が恐ろしかった。
「男は不器用だからねぇ」
「そんなの言い訳よ。自分が突っ込んだ穴に撒いた種なんだから、少しは自分の気持ちも出してほしいものだわ。精子だけ出して済む関係じゃないのよ。家族は」
「嬢ちゃんも色々あんだな。まあいつか家族の時間を持てると良いな」
家族の時間か……。この感染症の騒動によって、結束が固まった家族と綻びが生じた家族とで明暗がわかれている。私達はどちらになるのかな。
行き場を失った視線が空になった皿に向けられる。暢気に暮らしていたつもりだったけど、知れずと不安が蓄積していたみたいだ。
「大丈夫?」とうすにんが気がかりそうに見つめる。あーあ露出狂じゃなかったらコロッと落ちていたんだけど……。
「そういや随分と露出家を嫌っているけど何かトラウマでも? あ、嫌だったら言わなくていいから」
「露出家」と界隈の人は言うのか。これは一つ勉強になった。
「ベタな出来事よ。小さい頃に遭遇したの。母さんとの買い物帰りだかに」
「子どもに見せつけるなんて変態の風上にも置けないね。誰にもバレないように楽しむという紳士協定に著しく反している。俺達は紙一重で犯罪者だという意識を持たなくてはならないのに」
「その紙で股間をシュッと切れば良いのに」
「ゾッとすることを言ってくれるね。想像しただけで血の気が引いたよ」
「その露出魔はどうなったんだ?」と康さんが問うてきた。「露出魔」という呼び方もあるのか。
うーむ、そういえばたしかに……。
「どうなったんだろう? 逃げたのかな」
母が大の男を組み伏せるなんてできないし、大方通報したら逃げ去ったのだろう。何せ昔のことだからはっきり覚えていない。
「まぁ幼心にかなりショッキングだったのかもな。心を守る為に記憶から消去しちまったんだろう」
「……なのかな?」
何だか妙に引っかかる。よくよく振り返ってみると、母とこの事件について話した記憶がない。忘れてしまっているのか、それとも私を思いやって、胸の中に押し留めてくれているのだろうか。
「会いに行くんだし、気になるならその時にでも聞いてみたらどうだ?」
「うーん……。今思うとうちの家族、謎だね」
「俺達と関わりがある時点でそう思えよ」
「えへへ、それはごもっとも」
思えば私は母のことも父のこともよく知らない。時が止まった空間でならいくらでも語り合える。この際、気になることは全て聞こう。
時計を見ると夜も大分更けていた。あまり長居させるのも二人に悪い。
「おっ? もうこんな時間か。悪いな嬢ちゃん。ご馳走になったな」
「ううん。私も色々話せて楽しかったよ」
ちらっと時計を見たのを察してくれたのかな。不器用に見えてマメな人だなぁ。たしかに女優さんに好かれるのがわかる。テクだけじゃない、「この人になら」と身を委ねられる安心感があるんだろうな。
「女の子の相手ならお手の物さ。どうかな? 今度は二人きりで……」
……こちらの方は空気扱いされる理由がよくわかるわ。
いつの間にかオスカーも玄関まで出てきていた。人懐っこく「ナーナー」と鳴いて二人を見送ってくれている。
「おろろ? オスカーどうしたの? 怖いおじ――」
「お兄さん」
「――さんを見送ってくれるのかにゃー?」
「うわ、今の良いね。俺にもそういう感じで接してくれない?」
「豚は豚小屋に帰れ」
「それもグッドだね」と悦に浸るうすにんは無視して、康さんと今後の予定を確認してその夜は別れた。
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