第4幕

 日時は昭和三年十一月二日の夜、つまり明治帝天長節の前夜。昭和となった今では、明治帝の天長節を祝う者も華冑界の一部を除いてはもはやいない。この日は太陽暦上の晦日や朔日ではないにせよ、旧暦の上でのめぐり合わせによってか、晴れ晴れとして澄んだ夜空に月はない。そのため明るいのは燈火に照らされた室内のみ。闇の中の木々や置き石、人影等は、観客が目を凝らせば見ることができる程度。

 室内には、眠れる西原永護を中央の寝台に据えて、周囲に西原永司・瑠璃子夫妻、黒田玲子、西原倫子、青木俊昭がそれぞれ椅子に座っている。舞踏会の洋装と対比するために、この場面では海軍の制服をまとった青木俊昭以外は、和服に身を包んでいることとする。

 玲子が画策した舞踏会の開催を明日に控え、玲子自身は前夜祭を行う心持ちで、葡萄酒やシャンパンを手ずから皆に酌んでは、明るく振る舞っている。グラスを持った西原夫妻は、玲子に酌まれながら何やら話し掛けられているが、虚ろな応対のままである。倫子と青木も、どこか不自然な様子であり、青木はずっと真顔で何かを沈思している。渡り廊には、黒田頼宗が円柱により掛かっており、誰かが通り掛かるのを待ち構えている。

 屋外は、晴れてはいるが風の強い夜。籬のかたわらに生えた尾花の一叢を風によって波打たせ、それで吹き渡る風を表す。加えて、夜冷えが一段と烈しくなっていることを、渡り廊で待つ頼宗が時折見せる身震いをもって表現する。


●第一場●


玲子 〈さあ、皆さん。いよいよ明日は明治大帝の天長節に当たる日でございますよ。大正を経て昭和となった今の我々の安泰も、偉大なる明治大帝の竜光を濫觴として成り立っているのです。今宵はその前夜として、豪勢に祝い奉ろうではございませんか。明治は遠くになりにけりとおっしゃった御仁がいらっしゃるようですけれど、私たちはせめて、その有終の美を今日明日とで飾ろうではありませんか。ねえ、そうでございましょう?永司さん〉

永司  〈(玲子とは目を合わすことなく)ああ、いつの時代も天長節は、聖寿と天長地久に礼讃を奉ずるものだから。それに、明日のための諸々の準備はひとえに玲子さんの御尽力によっており、それなくば完成しなかった訳で・・・〉

玲子 〈それにしても、皆さん、お顔がやや暗うはございません?皆さん揃いも揃って、一体どう致しましたのかしら。せっかくの吉辰に、これでは玉に瑕と申すものでございますわ。もっと壮麗、優雅なものが理想的でございますのよ。サァ、サァ、皆さん、賑やかに参りましょうではありませんか〉

瑠璃子 〈マァ、これはとても明るく豪勢な前夜祭だこと。いいこと、玲子さん、ドレスや舞踏曲のレコードが揃ったからと申しましても、そんな一朝一夕のうちに様になる程、舞踏会と言うものは安い御物でありましたのかしら?〉

永司 〈でも、あのようにハイカラな御両親を持つ君にとっては、これこそ昔取った杵柄ではないのかい?〉

瑠璃子 〈そんなこと、決してありませんわ。それに、そんなこと・・・今となってはもはや関係も無かろうかと存じます。そうだ、倫子さん、あなたは明日の舞踏会についてはどうお考えになっていらっしゃるの?たしか、玲子さんのドレスから御自分の召す物をお選びになる時も、何か楽しそうな雰囲気でありましたけど、一体何をお考えになっていらっしゃるのでしょう?〉

倫子 〈・・・・・・・・・・・・(ト隣席から話し掛けてくる青木への応対で瑠璃子の呼び掛けに気付かない)〉

瑠璃子 〈ねえ、倫子さん〉

倫子 〈はい、何でしょう?お母様〉

瑠璃子 〈もう、いいです。あなたのような年頃でいらっしゃれば、舞踏会というものはやはり魅惑的なものなのでございましょうから。楽しみにお思いになるのも無理はありませんわ〉

倫子 〈いいえ、明日の舞踏会は、私も多かれ少なかれ不安に思っておりますわ。そして、その不安はなかなか払拭することができませんの〉

青木 〈倫子さん、ダンスに関することなら、どうぞ御心配無く。実は私、将来欧州駐箚武官に任ぜらるやも知れませんので、それに備えて舞踏の習得も課せられているのです。早くも明日役立つようでありますね。したがって、何とか一人のご婦人をリードするまでは、私も心得ておりまするゆえ〉

倫子 〈・・・・・・・・・・・(ト無言ではあるが愛想のよい笑顔で)〉

永司 〈さすが海兵首席卒業ともなると、将来を嘱目されて居るんですねえ。いずれ、背の高い西欧婦人と背伸びして踊ることができるように仕込まれるのですから。火器だけにとどまらず、舞踏、果ては婦人に関しても操練されるのでしょうかね?うう、寒くなって来た〉

青木 〈ははは、御冗談を、お義父上(ト「お義父上」で語気を強めて言う)

我々海軍軍人が涵養しようと志しているのは、忠君愛国・蹇蹇匪躬・純忠至誠・和魂洋才・君臣水魚・・・挙げれば切りがありませんが、要するにすべては公の為になしていることなのです〉


【永司の皮肉によって、場が白ける。そんな中、玲子は、全体の雰囲気を何とか高揚させようと躍起になって話題を振りまくが、青木がおもむろに退出しようとする】


青木 〈いつものあの場所でお待ちしています(ト倫子の耳元で囁いて立ち去る)

では皆さん、お先に失礼致します。また明日、舞踏会でお目に掛かりましょう。さようなら〉


●第二場●


【青木俊昭は、室を出てから渡り廊へと差し掛かる。倫子を待ち受けていた黒田頼宗と鉢合わせになって、二人の対話が始まる】


頼宗 〈(自らを無視して前を通り過ぎようとする青木に対して)よお、せっかく俺のお袋がホステスを買って出てるのに、ひとりだけ抜け駆けかい、元帥さんよ〉

青木 〈やあ、これはこれは、倫子さんのお友達ではありませんか。このような寒いところで、如何致しましたかな?向こうの室では、明治帝天長節の前夜祭と言った珍しい催しが行われている最中なのですよ。お母様が大変忙しなく働いていらっしゃいますよ、あなたもぜひ参加して下さい〉

頼宗 〈いや、別にそんなのは大したことでは無いんだが。前夜祭なぞ、どうでもいいんだ。ただ、目の前を将来の帝国海軍元帥閣下が通られたんで、畏れ多くも言葉を発してみただけだよ(ト馬鹿にした口調)〉

青木 〈まことに下らない、単なる言い掛かりと言う奴だ。もうよければ行きたいのですが、いいかね?〉

頼宗〈ちょっと待ってくれよ、もう帰りたくなったのかい?まだまだ、もうしばらく御相手なすって下さいよ、閣下。あんたもだいぶ、倫子に入れ込んでるようだけど、どうだい、首尾良く行ってるのかい?この冴えない一人の友人に、ちょっと近況を教えてくれよ〉

青木 〈倫子さんに惚れ込んでいるって?(ト驚いた後、一計をめぐらせて)

いやはや、周囲にも見破られていましたとは、何とも恥ずかしいことですな。マァ、倫子さん程の御方の前では、赤心顕わにせしめらるるは必定・・・きっとあなたも同じ懊悩に苦しんでおられでしょう?どうです?〉

頼宗 〈ははは、御託はいいから、早く倫子とのことを報告しろよ、元帥殿〉

青木 〈はは、いい加減、その劣等の当て付けのようなアイロニーと、無礼な口の聞き方を直してくれないか?非情に不愉快極まりないな〉

頼宗 〈いやいや、これは申し訳ない。この野卑な者を、余り怒らないでやって下さいな。あくまで、無意識に出てしまった言葉なんだから、大目に見てやって下さいよ。それに、あなたがさようなことで向かっ腹を立てるような玉だとは思っていなかったからさ〉

青木 〈以後、気をつけたまえ。僕と倫子さんの間柄について知りたいのか?〉

頼宗 〈ああ、一つ頼みますよ〉

青木 〈しかしながら、まことに遺憾なことに、倫子さんの御母堂が縁談を勝手に進めているだけで、僕達二人の間には特に進展は無いんですよ。君にとっては喜ばしいことかもしれないが。もっとも、倫子さんのお気持ちはまだ繋ぎ留めていると思いますがね。ところで、君は何の目的でかようなことを僕に聞こうと思ったのかね?〉

頼宗 〈別に、ただの賤しき好奇心からですよ。私も漏れなく一廉の、ゴシップ好きですから。マァ、今のを聞いて安心しましたよ。それにしても、皇国の呉起とも言うべき海軍の若き才穎の兵法が、この程度で大丈夫なんでしょうかね?〉

青木 〈つまるところ、何が言いたい?〉

頼宗 〈いや、別に元帥閣下に注進するような畏れ多いことはねえんだけど〉

青木 〈先刻から、人を喰ったような話し方を、それもよりによって帝国軍人に対してするとは、無礼千万。貴様ごときにたぶらかされるような人間ではないから、それをよくわきまえておけ。分かったか?〉

頼宗 〈ほらほら、ちょっと揶揄しただけで早くも怒髪冠を衝く勢いだ。これだから嫌になっちゃうよ。俺の啖呵は鉄の玉も撃ち込んじゃ来ないんだぜ〉

青木 〈(襟元に掴み掛かって、柱に押しつけて)貴様、これ以上私を侮辱してみろ、どうなるか分かっているか。ええ?(ト逆上する)〉

頼宗 〈何をしやがる?軍人といえども、お前はただのインテリだろうが。巷で百戦錬磨の俺とやろうってのか?〉

青木 〈ただの場末のゴロツキが。貴様とは人間の根底から違っているんだよ。出過ぎた真似も大概にしろ〉

頼宗 〈ほう、人間の根底ねえ。よしんば俺の父親が、お前の尊崇する西原の爺だったとしてもか?〉

青木 〈何を言い出すかと思えば。将軍と玲子の関係と、お前の齢を照らし合わせて考えても、そんなことがあろうはずがないことは、とっくの昔に計算しているよ。なめるなよ、西原夫妻の言葉を借りれば、たかが私娼窟の女の(ト言い掛けるが頼宗に力尽くで遮られる)〉

頼宗 〈(青木を床に倒し)ふん、いいか、よく聞け。お前の許婚はそいつと明日駆け落ちするんだよ。そうなりゃ、明日でお前も、この家に入りびたる理由が無くなるんだ。とっとと潮臭え港へ失せな〉

青木 〈(起き上がり服を整えながら)下らん、誰がそんな譫言を信ずるか。僕には負け犬の遠吼えにしか聞こえんな〉

頼宗 〈まだ疑うかい?これはほんとうさ。止めれるもんなら止めてみな〉


【青木俊昭は、黒田頼宗を払い退けて、渡り廊から屋内へと消える。黒田頼宗は、また元通り柱により掛かって倫子を待つが、時折自らの左腕を気にする素振りを見せる。青木俊昭との取っ組み合いで痛めてしまった様子】


【依然、室内は玲子の独壇場であり、西原一家は相槌や追従笑いに終始している。ここで、倫子が椅子から立ち上がり、先程青木と約束した場所へ行こうと、室を退出する。倫子、渡り廊まで到りて、頼宗と会う】


頼宗 〈やあ、ここで君を待っていたんだよ。前夜祭とやらは終わったのかい?〉

倫子 〈あ、頼宗さん。いらっしゃらなかったから、一体どこに、と心配しておりましたのよ。御自分のお母様にも従わないで、こんなところにいらしたの?(ト柔和な表情)〉

頼宗 〈ああ、ちょっとした野暮用を済ましてたのさ、ごめんよ。しかし、今日のうちに会ってしまうと言うのも、いささか幻滅しちゃったかい?〉

倫子 〈いいえ、そんなことありませんわ。私の方こそ、一刻も早くお逢いしたかったのよ〉

頼宗 〈そうだね。明日になれば、僕達はもはや、大空を翔てゆく鳥のように自由になれる。もう一夜だけの辛抱さ〉

倫子 〈そうね(トにわかに暗い翳が表情に宿る)〉

頼宗 〈どうかしたのかい?せっかくの君の美貌が、何か憂いのようなものによって曇らされている・・・。僕にはわかる。心配無いから、どうか僕に聞かせてみてはくれないか?〉

倫子 〈やはりあなたには何も隠し通すことはできないわ。愛する者同士、すべてお見通しでいらっしゃるのね〉

頼宗 〈ああ、君が悩んでいることだけは分かったよ。でも、その悩みと言うものの内容までは、いくら君を愛していてもそこまで察することは・・・〉

倫子 〈いいえ、無理もないわ、当然よ。そんなことで、私たち二人の愛がかわってしまうなんてことは絶対に無いわ。ただ・・・(トためらう)〉

頼宗 〈さあ、言ってごらん。何か、君のお父さんお母さんに関することかい?そのことなら、母が僕らの味方をしてくれて、巧くやってくれるから大丈夫なはずだよ〉

倫子 〈いいえ、その事も十分大事ですけれど、それよりももっと、私たちにとって直近の、肝心なことについて悩んでいるの。

(自分と頼宗の血縁について言及しようとして)

それと申しますもの、あなたと私が、実は・・・(ト急に口を手で抑える)

いいえ、今のは何でも・・・。悩みと申しますのは、家を出ました後の私たちの、近い将来が一体どうなってしまいますのでしょうかと心配でなりません〉

頼宗 〈そのことか。マァ、未来のことは誰にも分からないから、何とも言うことができないよ。でも、現在において一歩踏み出さなければ、その先の未来も僕らにやってくることはないだろう?僕達に今必要なのは、一歩踏み出してみることじゃないかな?現時点での最善策はすべて打ってあるから、せめて気持ちだけでも安心しておくれ。明日という日を、明るく迎えようじゃないか〉

倫子 〈ええ、おかげでだいぶ落ち着くことができましたわ〉

頼宗 〈そうだ、君をより安心させたいから、僕の拙い頭だけど、僕なりに考えたことを聞いておくれ。当面の間はここから近くも遠くもない所に住んで、僕の母は僕達の味方だから、逐一連絡を取りながら暮らしてゆこう。ただ・・・御夫妻、つまり君の御両親とはしばらく・・・それも僕らの仲を認めてくれるであろう近い将来までだろうけど、会うことはできない〉

倫子 〈(頼宗にとって意外なほど平然と)両親のことなら気になさらないで。これからは頼宗さんと私の二人だけで生きてゆく決心でございますもの。万が一、連れ戻されてこの家に帰らざるを得ないような時が来ましたら、その時こそ私はほんとうの不帰の客となる覚悟なのです〉

頼宗 〈君がかくも真摯に思い詰めていたとは想像だにしていなくって、申し訳無かったなあ。でも、きっと大丈夫、その根拠はと言われたら分からないけど、二人ならきっとやって行けると、なぜかしら思うんだ(ト倫子を抱き寄せて自らの腕の中へ)

だから、明日の舞踏会では、必ずや途中で抜け出して、夜へと融けて逃げようじゃないか〉

倫子 〈ええ、必ず。ドレスのままでいいかしら〉

頼宗 〈ああ、すぐ近くに車を用意するから、大丈夫さ〉

倫子 〈分かりました。では、あなたはあと一夜の辛抱とおっしゃったけれど、まだ私はもう一つ辛抱することができてしまいましたの。俊昭さんに呼び出されてしまいましたから。今からちょっと行って参ります。ああ、あとわずかばかりの辛抱だわ〉

頼宗 〈頑張るんだ。ほんとうに、あと少しの辛抱さ。明日になれば・・・明日になればきっと〉

倫子 〈(頼宗から離れた後、自分に言い聞かせるようにして)いいのよ、これで。ええ、よかったはず。玲子さんのおっしゃったことは・・・頼宗さんもご存知ない御様子・・・。ああ、言えない。ああ、苦しいけれど、今は〉


●第三場●


【庭に、倫子を待つ青木が闇から浮かび上がる。彼が左見右見していると、倫子がやってくる】


倫子 〈俊昭さん、お待たせしてしまって、申し訳ありません。玲子さんがひとりお元気でいらして、なかなか帰らせては下さいませんで、かくも遅くなってしまいました〉

青木 〈いや、私のことなら、御気になさらないで下さい。私の方がお呼び出ししたのですから。虚しくとも、偽られていても、私は待つべきなのだから〉

倫子 〈えっ、今何とおっしゃいました?〉

青木 〈いえ、別に大したことではありません。軽く聞き流してやって下さい。そんなことより、今日ここまで来て頂いたのは・・・実は、ここで一度私達の関係をはっきりさせて置きたいと思ったからなのです。私が何を言いたいか、賢くていらっしゃるあなたならお解り頂けるとは思いますが〉

倫子 〈マァ、またそんなことを。つい先日、いさかいとも形容するに値しないような、小さな小さな揉め事がありましたけれど、あの時は私も、そしてあなたも、二人して冷静さを失ってしまっていたのですわ。今となっては、私自身、自分が申しましたことさえも覚えていないくらいでございまして〉

青木 〈ならばなおさら、私達二人の関係を確認して置きたいのです。あの時、あなたは、この関係にはあなた自身の御意思はまったくあらざるというようなことをおっしゃりました。いいえ、あなたが覚えていらっしゃらなくとも、私がしかと記憶しております。されば、あなたは、末は私との結婚といったことも思い描いていらっしゃらないのでしょうか?さらには、母君からそれを勧められましたような時にも、あなたは断固拒絶するおつもりですか?〉

倫子 〈そんなこと決してありませんわ。あなたは私の気持ちを正確に斟酌して下さってはおりませんわ。あの時はきっと、卑しい意地を張ってしまって、本心とは異なることを口走ってしまいましたの〉

青木 〈(しばらく黙り)ようやく、確信できました。まったく、おかしい話じゃありませんか。今の今まで、あれほど反抗していらっしゃった御仁が、かくの如く豹変なさるとは〉

倫子 〈何てことをおっしゃるの?私は、あなたとの縁談に前向きでいると申しているではありませんか〉

青木 〈あなたが、明日いなくなるとしても、ですか?〉

倫子 〈・・・・・・・・・・なぜ、それを?(ト絶句する)〉

青木 〈あなた方は、揃いも揃ってこの私を侮辱する。頼宗のような、出生から下衆な男とあなたが、まさかくっついていようとは〉

倫子 〈(青木に平手打ちをして)頼宗さんを悪く言うのはやめて。あなたが知ってしまったなら、私とあなたとの関係もこれでお終いね〉

青木 〈そうですね。ですが、御心配なく、私は夫妻に告発するような男ではありませんから。マァ、しかし・・・せめて、明日の舞踏会までは、私とあなたの関係は維持されるでしょう〉

倫子 〈あなたには何と言ってお詫びしたらよいか〉

青木 〈(にわかに怒れる表情になって)よしてくれ。私は、そのように同情や憐愍の目で見られるのが一番嫌いなのだ。何も私は、あなたや頼宗に負けた訳ではない。今日も、あなたを呼び出したのは本来このようなことを話すためではなかった。偶然得た頼宗のヒントから、あなたに鎌を掛けてみたところ、思いも寄らぬ告白があっただけだ。私には別の縁談もあるのだ。しかもそれは、元は大山陸軍元帥子飼いの軍人で、陸軍大将まで務めた御方の御孫さんであり、お父上は現役の海軍中将という方だ。言うなれば、別の方は、あなたよりもはるかに血統がよい。私は私自身の将来にとって有益な道を選んで来たし、これからも選んで行くつもりだ。何人にもそれを邪魔はさせない〉

倫子 〈・・・・・・・・(ト無言のまま)〉


【青木、倫子の順で別々に立ち去る。別れ際にも特に言葉を交わすことはない】


【場面、引き続き庭の内。月のない秋の夜の情景。ある時点で急に風がやみ、虫たちも一斉に鳴きやむ。黒田玲子・頼宗母子が揃って登場する】


玲子 〈ふう、今日と来ましたら、私ひとりだけが賑やかに振る舞って、あれじゃあまるで道化のようだったわ。まったく、飛んだ貧乏籤を引いてしまいましたこと〉

頼宗 〈ははは、俺はその場には居合わせなかったから、よく分からないけど、大変だったみたいだな。御苦労なこと〉

玲子 〈ほんとうよ。明日がいよいよ天王山だと言うのに、こんなところで無駄に体力をつかっていたら堪ったもんじゃないわ〉

頼宗 〈でも、お袋の思惑通り事が進んで、明日はとうとう、夢にまで見た舞踏会が開かれることになったんだから、万々歳じゃないか。俺としても良かったよ(ト倫子との約束はおくびにも出さない)〉

玲子 〈マァ、それもそうね。西原夫婦のあの乗り気のなさを露骨に顕した顔と言ったら、本当に癪で、話している最中何度打擲してやろうと思ったことか。でもすべては明日の完成のためにと思ったら自制が成ったわ〉

頼宗 〈それにしても、永司はともかく、瑠璃子はかねてよりあれ程反対していたんだ、今でも反抗の態度に変わりが無いのももっともなことさ〉

玲子 〈その通りね。舞踏会自体をおじゃんにされなかっただけ良しとしましょう〉

頼宗 〈明日の会だけは、お袋、たとえ瑠璃子を殺してでも開いて見せただろ?〉

玲子 〈ええ、もちろんよ。鋼鉄のような決心で臨む私には、そんなことは朝飯前でしょうしね〉

頼宗 〈いくら一家のお局とは言え、お袋のような錬磨の境遇を経てきた人間に敵うはずもないか。瑠璃子が落ちれば、後はこの家でお袋に刃向かうことができる奴は存在しないだろうよ。倫子と軍人は、もともと二人して互いに利己をその信念としてるから、言わば、磁石の同極同士がかち合ってるようなもん。彼奴等にとっては舞踏会なんて、ただ踊っていれば時が過ぎて行くものなんだから。何てお気楽で唯我独尊な奴等なんだろう?この世には自分しかいないと思ってるよ〉

玲子 〈(うち笑んで)今宵のお前は、やけに饒舌じゃないの。特に、倫子さんや兵隊さんについて、熱を入れてよくしゃべること。どんな心境の変化があったのかしら?もはや、わが物としたることから来る自信の発露と言うやつかしら?〉

頼宗 〈別に、これと言って変わったところはないつもりだが。マァ、このところ、倫子との応酬に神経を磨り減らしていたから、かなり疲れ気味ではあるけど。おかげで、俺の奮迅も功を奏したらしく、倫子が俺の掌中に転がり込んだ訳だ。身ぐるみもそのままに、お袋にくれてやるよ(ト投げて渡すジェスチャー)〉

玲子 〈・・・・・・・・(ト両手で受け取るジェスチャーをしたのち、力を込めて握り潰す)

ははは、ははははは〉

頼宗 〈ははは。ところで、まだ俺は、明日のあんたの魂胆を聞いてなかったな。もはや前夜だぜ。いい加減、そろそろ教えておいてくれよ。一晩かけて準備や想定も必要だろうからさ〉

玲子 〈あら、いけないわ、あなたにはまだ知らせていなかったのね。血の絆で繋がっているあなたに、ましてここまで協力して貰いながら、気が回らなかったとはおかしな話ね〉

頼宗 〈マァ、仕方がないさ。お袋が今日のこの日に到るまで、いかほどの刻苦をしてきたかは、かたわらにいた俺が一番よく知っているつもりだ〉

玲子 〈あなたのその言葉で、私はどれ程救われることでしょう。これから・・・マァこれからは気をつけることにするわ〉

頼宗 〈それで、話の続きを聞かせてくれよ〉

玲子 〈そうね、明日実行しようとしていることは、取りあえずあなたにも知らせて置くわ。でも、ここからはすべて私が責任を取るから、なるべくあなたは関わり合いになってはならないのよ〉

頼宗 〈おいおい、明日は天王山とお袋も言っていたじゃないか。その大事な戦で俺は遊撃しなけりゃいけないのかい?そりゃあないぜ。そこまで俺を信用してくれていなかったとは、心外だなあ。お袋から頼まれれば、俺は何だって絶対にしてきたし、これからもしてゆくのに〉

玲子 〈いいえ、決してその様な不信から言っているのではないのよ。分かってちょうだい〉

頼宗 〈じゃあ、一体どうして?〉

玲子 〈(おもむろに懐中より小型拳銃を取り出して)明日の舞踏会はこの銃声により終焉を迎えるからよ〉

頼宗 〈えっ、お袋・・・〉

玲子 〈ふふ、さすがのあなたも驚いたかしら?そうよ、このピストルが無言のうちに冷たく意味していることは想像できるでしょう?他にも、多方へ手を回してやっとのことで手に入れた、シアン化カリウムもあるのよ。万全といって過言では無いわ〉

頼宗 〈本当に・・・・本気なのか?(ト空唾を嚥下する)〉

玲子 〈何をいまさら・・・。私は本気よ。このためだけに、今まで生きて来たんですもの。ただ、あなたを法に違う行いには巻き込みたくないという気持ちも同時にあるわ。だから、今の今まで明日の計画を打ち明けることはしなかったの。ねえ、どうか明日は私だけで実行させてちょうだい。これが、あなたのためでもあるのよ〉

頼宗 〈そうだったのか、分かった。でも、それで一体誰を・・・。倫子はどうなるんだ?〉

玲子 〈(頼宗の本心には気付かず)安心してちょうだい。私が、倫子さんを害することはないわ。せっかく、かりそめにも私の義理の娘になるかもしれなかったのですもの〉

頼宗 〈そうか、それは。お袋、いまさらかも知れないが、決心に揺らぎは無いか?凶器まで見せられちゃ、俺が協力できるのはここまでだろうから・・・〉

玲子 〈(涙ぐみながら)馬鹿ね、あなたは明日からの自分の心配をしなさい。これからはもはや、あなたに母親はいないのだから・・・・。もう色々と心配する年齢でもないけれど、それでもやはり親心というものはいつまでも抜けないものよ〉

頼宗 〈俺はお袋をいつまでも待つつもりさ〉

玲子 〈ありがとう。体が芯から冷えてきてしまったみたい。そろそろ戻りましょうかしら。ありがとう、頼宗〉


【残された頼宗は、しばらくたたずんで沈思しているが、庭の向こうより西原永司・瑠璃子夫妻がやって来るのを見て、追われるようにその場から立ち去る】


【庭奥の木立脇を通る小径を、西原永司・瑠璃子夫妻が一緒に歩き来たる。両者ともに伏し目がちで言葉はない。両者揃って憂鬱な、もの憂げな表情をしている。前を行く永司が静かに立ち止まり、宵闇の中の草むらを眺める】


永司 〈・・・・・・・・・・(ト虫の音に耳を澄ます)〉

瑠璃子 〈ねえ、永司さん。ちょっと、お話ししておきたいことがございますの。今ここでよいかしら?〉

永司 〈・・・・・・・・・・(ト無反応で草むらを見回している)〉

瑠璃子 〈ねえ、本当に、聞いて下さいまし〉

永司 〈いよいよ、明日にまで迫って来ましたか・・・〉

瑠璃子 〈ええ・・・。不況の真っ直中、ここ数ヶ月憂えておりましたことが、ついに現実のものとなってしまいますのよ〉

永司 〈ああ、ほんとうに、これで我が家も窮極まれりとでも言ったところとなるのかな。僕も、玲子さんの押しに対して、満足に抗うこともできずに・・・自分の不甲斐無さが無念だ。君には本当に申し訳無く思っている。すまない〉

瑠璃子 〈もうよいことですわ。玲子さんは、私と倫子さんに御自分のドレスを押しつけたことだけを、あたかも倹約であるかのように言っておりますけれど、あれから、その他の服飾小物や調度の類には、湯水のように莫大な御金を費やしておりますのよ〉

永司 〈そうか、僕は結局、口でだけ大層なことを言ったはよいが、実質的には何も止めることができなかったんだな。本当に申し訳無い・・・〉

瑠璃子 〈(苛立った様子で)もうよいですと申し上げているではありませんか。あなたはいつもそう謝ってばかりでいらっしゃいますが、あなたのその謝罪だって、弁解なさっているのだから、同じ口だけのこと。ごめんなさい、少し過度でございました・・・〉

永司 〈いや、いいんだ。僕はそれほどのことを妻から言われるに値することをしてきたんだから。しかし、僕は僕なりに自分の性分というものと向き合って、それを変革しようとしてなかなかできないでいるということも、知っておいて欲しい。絶え間なく努力しているつもりなんだ。ゆるしてくれ〉

瑠璃子 〈そんなに卑屈におなりにならないで。あなたと私は何も悪くはないはずよ。かと言って、何も玲子さんが悪の根源と申す訳でもありませんけれど、あのような人を同じ屋敷の中に棲まわしたという事実が悪かったのですわ、きっと。・・・マァ、よしましょうか、過去のことは。話すなら、これからのことについてに致しましょう。たとえ、それがいかなるものであったとしても〉

永司 〈同感だ。時に、我が家はもうほんとうに駄目なところまで来ているのだろうか?〉

瑠璃子 〈えっ?〉

永司 〈つまり、財政の面でリカバー不可能な段階にまで達してしまったのか否か。まだ探せば、いや、一緒に努力すれば、一筋の光明くらいは見出すことができないだろうか?〉

瑠璃子 〈そうね、つい今し方、過去よりも未来と申しましたところですものね。そうですね、やはりこの先も、玲子さんという御方をどう扱っていくかが肝要な問題となりますわ〉

永司 〈玲子さんのことなら、明日の舞踏会で何らかの結末を迎えるんじゃないかというような予感が、僕には不思議にもするんだ。あ、また楽天的と思っているでしょう?〉

瑠璃子 〈(微笑んで)ええ、やはりご性分は争えないものですこと〉

永司 〈ははは、でも本当に、はっきりとした根拠はと言われれば詰まってしまうのだが、何だか明日で、すべて終わりそうな気がするんだ。すべて・・・〉

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