第33話ベアトリス
休息を終えた俺達は商隊の護衛の任についた。
アーネ達のパーティは別の商隊を守るが、今回、彼らは俺たちの1km先を行く。いざという時、お互い連携出来る様にする為だ。
「じゃあな、レオン。いざという時は頼むな」
「ああ、任せてくれ。盗賊がでたらすぐに駆けつける」
俺とアーネは挨拶を交わすと、それぞれの商隊の馬車に乗った。
実はこの商隊は囮だ。乗っているのは領主アンダース配下の兵士だ。
実力はAクラスの冒険者かそれ以上はある。全員クラス1の戦闘系のタレントを持っている。
だが俺達はこの護衛の仕事を甘くみていた。
まさか商人を襲うのに、必要以上の戦力を投入するとは想像もしていなかった。
俺達はケルンからさらに4日程かかる辺境の街に通じる街道沿いにいた。
既に日はとっぷりと暮れて、そろそろ野営の準備しようかと思っていた時だった。
突然、アーネ達の商隊が襲われた。向こうの方から魔法の爆炎が上がるのが見えた。
アーネ達の馬車の方だ。
俺は仲間たちに急いで指示を出した。
「イェスタ、アルベルティーナ、二人は残ってこの商隊を守ってくれ。エリスは俺と一緒にあっちへ行くぞ」
この時、俺は判断を間違えていた。盗賊に大した戦力はないと思いこんでいたのだ。
こちらの商隊の護衛にイェスタとアルベルティーナを残して、アーネ達の商隊に近づいていくと、敵の戦力が想像を遥かに上回っている事に気がついた。
商隊の馬車も周りも既に紅蓮の炎に包まれていた。
そして、その炎の中心にいたのは、俺の妹のベアトリスだった。
ベアトリスの身体中から炎が吹き出ていた。
その髪は炎に染まり深い紅を湛え、その瞳は赤い炎を映し鮮紅色に染まっていた。
『ベアトリス』クラス3のウォーロックのタレントを持つ魔法使い。
レベルはイェスタと同じ位。つまりレベル70台。
レベル70台のウォーロックは膨大な魔力補正に、タレントの補正によって、クラス2の戦士のタレント並の身体能力を持つ化け物だ。
Aクラスの冒険者では、まともに戦える相手ではない。
周囲が紅い炎と熱風に包まれる中心に、妹は一人立っていた。
その傍に、俺は瀕死のアーネを見つけた。
「アーネ!大丈夫か?」
「......レオン、あれは......あれは本当にあのベアトリスなの......か?」
アーネは息も絶え絶えに呟いた。あちこちにひどい火傷を負っている。考えるまでもなくベアトリスの炎の魔法で......
『俺、ベアトリスの事、好きだったんだぜ』
彼は言った。ベアトリスとアーネは幼馴染だ。故郷では仲が良かった。
『ベアトリス、お前、本当にアーネを殺そうとしたのか?』
俺は周囲の戦況を見渡した。アーネのリーダーの金等級シモンは盗賊側の剣士と戦っていた。
アーネの恋人のベネディクトは必死にアーネに回復魔法を唱えていた。
「ベネディクト、アーネを頼む、エリスはシモンに加勢して!」
エリスをシモンのもとへ向かわせると、俺は妹と対峙する事にした。
『ベアトリス、お前は幼馴染のアーネを殺しても平気なのか?』
信じたくなかったが、妹は俺のことも間接的ながら殺そうとした。恐らくは平気なのだろう。
『どこ迄堕ちれば気が済むんだ? ベアトリス!』
俺の心は怒りに満ち溢れていた。だが、なぜか心のどこかがチクチクする。
信じたくない。そんな気持ちが確かにあった。
俺はベアトリスに近づいた。
燃え盛る爆炎の中に妹はいた。その姿は恐ろしさを通り越して美しくさえあった。
体の周りを炎に包みながら、灼熱の杖を掲げ、髪が爆炎に揺れる。目が紅く妖しく光る。
「ベアトリス、久しぶりだな」
俺はベアトリスに声をかけた。近づいているはわかっていた筈だ。
彼女にとって、俺程度の冒険者や兵士など気に留める相手ではないと思っているのだろう。
「お、お兄ちゃん!」
ベアトリスは俺をお兄ちゃんと呼んだ。
「そんなに気安く呼ばれる覚えはない、ベアトリス! お前は俺のことを奴隷にしてあの貴族に売り飛ばしやがった。そこですぐに殺されると分かっていながらな!」
俺はベアトリスに語りかけた。だが、彼女の顔を見て驚いた。
たくさんの人を殺しておいて、なお、無表情。だが、その目からは一筋の涙が伝っていた。
「お兄ちゃん。いや、役立たずの荷物持ちか、生きてたのね。ムカつくな、何で生きてやがるの? 私がこの手で直接殺してやる」
俺は少しだけ期待してしまっていた。
妹が俺をお兄ちゃんと呼んだ時、ひょっとしたら昔の様な妹に戻っているのではないか? なんて。
だが、その期待は無惨にも打ち砕かれた。
昔の妹はもういない、変わってしまった妹がそこにいた。
「俺を殺すのか? 兄の俺に今度は直接手をくだすのか?」
「ええ、エリアス様から殺せと言われていたから、お兄ちゃんは悪い奴だと教えてもらったから」
エリアスの名前を耳にして俺は更に不快になった。
「エリアスに言われたら、誰でも殺すのか? 俺もか? アーネもか? アーネはお前の幼馴染だろう? お前はアーネを殺す事にためらいはなかったのか?」
妹は何か思案した様だ。
「アーネ? ああ、さっき殺した奴ね。確かに故郷にいたわね。でもそんな事をいちいち気にする必要ある? あんなのただの虫けらじゃない? タレントも持たないただのウジ虫」
妹の心はどす黒い闇に染まってしまった様だ。
「ベアトリス、お前には故郷の楽しい思い出がないのか? アーネとだって楽しく遊んでたじゃないか?」
「故郷? なんであんな貧乏臭いところの事思い出さなきゃいけないの? ゾッとする。もし、タレントをもらって王都にいかなければ、一生あんな処で暮らさなけれならなかったわ」
妹にとって、俺の大切な場所は思い出したくもないゾッとする処なのか?
「ベアトリス、エリアスとの都での生活はそんなに楽しいのか?」
「ええ、高価な宝石を身に着け綺麗なドレスで着飾ってパーティに出て、王族や貴族と交流出来るなんて、あの故郷ではあり得ない事だわ。それもこれも全てエリアス様のおかげ。あんたじゃどこまで行ってもエリアス様に追いつくことは無理ね」
ベアトリスはせせら笑った。
「俺はパーティには呼ばれた事もない。だがな、俺には故郷の思い出の方がパーティより遥かに大切に思える。今のお前は変わっちまった。お前は金と地位と名誉に目が眩んだただの欲ボケだ!」
「そうよ、それのどこがいけないの? 女なら、誰だってそうするでしょ? エリアス様と一緒にいればどんな贅沢な暮らしだって出来るんだから、誰だってエリアス様の女になりたがるわ」
「もういいベアトリス、それ以上喋るな。お前を倒すから覚悟しておけ」
俺は決心した、アーネの仇を討つと。
「あんたが私を倒すですって? 何を生意気な事言ってるの? そんなの無理に決まってるでしょ? タレントの無いあんたが私を倒すなんて、気でも触れたの?」
「今の俺はクラス4タレントの虚数魔法使いだ。お前ごときに後れを取るとは思えん」
「そんなはったり信じる訳ないでしょう! 覚悟なさい、さっさと殺してあげるから」
ベアトリスは魔法の詠唱を始めた。懐かしいあの魔法、ベアトリスのオリジナル魔法。
『(
力ある言葉が紡がれる。簡易詠唱だ。
炎が俺を襲う。
『ファランクス』
俺は全属性100%防御の魔法を唱えた。
炎が俺を襲う。ベアトリスは躊躇なく俺に攻撃魔法を放った。
以前の俺なら死んでいただろう。
ショックだった。ベアトリスは俺を殺そうと思って魔法を放った。
炎が消えて行くと薄笑いを浮かべるベアトリスが目に入った。
その薄ら笑いが驚愕の表情に変わる。
「残念だったな。俺には特別の防御魔法がある。俺にはお前の魔法は効かん」
「それならこれでどうかしら!」
ベアトリスは灼熱の杖を振りかざし、俺に接近してきた。
『速い!』
クラス2の剣士タレント並の身体能力への補正を受けるベアトリスの動きは、剣士系のジョブ補正を遥かに超える。
だが、それは俺も同じ、いや、能力ではベアトリスを遥かに凌いでいる。
『加速!』
俺はベアトリスを上回るスピードで移動した。
アビリティ『加速』身体能力を一時的に数百倍に引き上げる能力。
妹には恐らくこの能力は無いだろう。
クラス4の魔法使いタレントかクラス3以上の戦士系タレントにのみ顕現するアビリティ!
「遅いっ!」
俺はベアトリスの後ろに回り込み、そのままショートソードでベアトリスの胴に一撃をぶち込んだ。
『メガヒール』
妹は回復魔法を唱えた。受けた傷は深いが彼女の魔法なら直ぐに回復するだろう。
「ベアトリス、お前の負けだ!」
俺はベアトリスを捕らえる事にした。
今の俺はエリスやイェスタのおかげで過去の心の傷がかなり癒えていた。
だからなのか、俺はベアトリスを殺す事にやはり躊躇した。
故郷での昔の妹の姿がチラついてしまうのだ。例え今は変わってしまったとはいえ、目の前にいるのは間違いなく妹のベアトリスなのだから。
「嫌よ。お前になんかに負けたくない! 私は選ばれた人間なのよ」
妹はタレントを授かった事で変わってしまったのだろうか?
それならと俺は妹のプライドを傷つける作戦に出た。
妹は『爆炎の魔女』という二つ名を持っている。
彼女は炎の魔法を得意とし、国王から国宝の灼熱の杖を下賜されていた。
灼熱の杖は炎の魔法を補正し、絶対的な炎の魔法防御能力を持っている。
「ベアトリス、お前を炎の魔法で倒す」
「何バカな事を言ってるの? 私は『爆炎の魔女』よ、炎の魔法が私に効く訳ないでしょ?」
「炎の魔法など俺にとってはとるに足らんものだ」
「そ、そんな訳ないでしょ」
ベアトリスの顔が怒りに染まるが、そんなことには構わず魔法詠唱に入る。
『地の盟約に従いアバドンの地より来たれ ゲヘナの火よ爆炎となり 全てを焼き付くせ 「エグソーダス」』
俺の魔法が発動した。
『コールドウォール』
ベアトリスは咄嗟に耐炎の防御魔法を唱える。
ベアトリスのタレントがもたらす魔法障壁と灼熱の杖の防御力があれば俺の魔法をある程度は防ぐことは出来るだろう。大火傷を負うことになるだろうがな。
力を込めて炎の魔法を放った。ベアトリスの性根を叩き直すために。
ベアトリスの絶対的な自信を打ち砕くことが出来たなら、あるいは......
凄まじい爆炎がベアトリスの周囲に立ち上る。
「ぎゃーーーーーーーーーーーー」
ベアトリスの悲鳴があがる。
炎が消え去ってもベアトリスの姿は残っていた。
全身黒こげで火傷だらけではあったが、命は助かった様だ。ホッと安堵する自分に気がついた。
「ベアトリス、人の価値はタレントなんかじゃ決まらない。もしタレントが全てと言うなら、今のお前は一体何なんだ? お得意の炎の魔法で負けてしまったお前には価値は無いのか?」
「わ、私は、クソー」
「もういいだろう? 大人しく捕まれ、法の裁きを受けろ。お前じゃ俺を倒せない。俺は炎の魔法なんて得意な方じゃないんだぞ」
「そ、そんな」
「魔法障壁がほとんど剥がれている。今のお前では普通の冒険者にも倒されてしまうぞ。もう、逃げられないから観念しろ!」
妹はようやく諦めた様だが、最後にポツリと言った。
「何故、殺さないの? 私、お兄ちゃんを殺そうとしたんだよ」
「お前との故郷の思い出が有る限り、お前を殺したりしない。例え、お前に殺されても、俺にはお前を殺せない」
「甘いわよ。いつか私に殺されるかもとは思わないの?」
「言ったろ、俺には故郷の思い出がある。俺は今も、あの頃のままの俺だ」
「お兄ちゃん。くそっ」
『!』
『斬』
俺は突然の斬撃を紙一重でかわした。
俺の魔力検知のスキルに突然反応があった。
突然、漆黒の装いをした男が現れた。察するにハイクラスのタレント持ちのようだ。
多分「空間転移」のスキルを使ったのだろう。
「誰だ?」
「答える訳がなかろう」
男は黒づくめの剣士だった。
「ベアトリス殿はもらい受ける」
男はベアトリスを抱えると一瞬で姿を消した。
「しまった!」
俺は自分の甘さに思わず、顔をしかめた。
『これでは俺が生きていた事がエリアスにばれてしまう』
最悪の事態となった。
まさか、勇者パーティの人間が直接商隊を襲うなど前代未聞の出来事だった。
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