十一

 あいまをみて、節子が少し皿や空き瓶を下げたり冷えた飲みものを注いで渡すなど、甲斐甲斐しく世話をする。

 今どきは――二〇二〇年の話だ――あまり見ない昭和のお母さん像かな。千尋はウサギのりんごをぺこり恐縮し受け取る。

 この時代の社会通念的にも自分は手伝ったほうがいいのではと思い申し出たが、


このこは、自分ではなんでもひとりでやれるつもりで、その実、抜けているところだらけですから。どうぞそのまま補佐してやってください」


 とにっこりデザートフォークを渡された。はあ、と曖昧に応じる彼女のひとつ隣、空席を挟んだ向こうの壮年は、おふくろ以上に人生やってるってのにまるで子供あつかいだ、と大口でりんごをかじる。


「なんで助教授を男だと勘違いした、葵」

「えー、だって小半『半助はんすけ』助教授じゃないの?」


 姪の空耳ならぬ空目そらめに博は一瞬、なんだそりゃ、と考え、謎解釈に脱力する。


「小半久美子くみこ助教授だ。女だとの情報は出てただろう」

「んー、そこあんま興味ないし。教授とか博士ってみんな男の人ってイメージじゃん」


 いつの時代の先入観だ。小半女史は教授でも博士でもないことだって何度も言っているのに。というか自分の関わっている計画にちっとは関心を持て。


「でもおじさん、半助助教授が女の人でも全然おkだよ」

「なにがだ?」そもそも半助なる人物ではない。

「女の子の代わりにBL描けばよくない?」

「よくないわっ」

「えー、でも『ホモが嫌いな女子なんかいません!』って言うよ?」

「漫画と現実をいっしょにするんじゃあない」

「千尋さんは嫌いなの?」少女は隣のアラサーを見上げる。

「あんたはどーゆー目で私を見てるの」

「その理屈でいうとおまえもBL好きということになるが」

「え、むり。普通に」


 だったら描くなんて言うな。


 葵はさらに「おばあちゃんはBLに興味ある?」と尋ね、

「なあにそれは? 私、横文字は苦手で」「BLはね、要するにホモだよ」と無邪気に語弊のある意訳をし、

 横から「ハア!? ホモォ!? そんなイジョー性愛にキョーミあるワケナイでしょっ、キモチワルイ!」まだ聞いていない母親にキレ気味で返された。


「まあ、小半助教授への接近方法についてはこれから詰めていく」

「ところで、なんで俺たちの時代なんだ?」二十代のほうの博がふと首をひねる。「その助教授が亡くなるのは十年も先の話なんだろ? より先の時代なら数学理論も完成度が上がっているように思えるが」


 一種の自問自答で、五十代博は答える。


「助教授が二〇〇〇年に死去していたことが公に知られたのは今年、つまり二〇二〇年になってからなんだが、彼女が一九九〇年の夏には『修正・小半理論』を完成させていたことはわかっている。が、そこからほどない時期から亡くなる直近までの間、この十年間の足取りがぷつりと途絶えている。理由は不明」

「死亡時期はわかっているんだろう? だったらその前に――」

「それがだめなのよ、若いほうのモグさん」


 令和博に代わって千尋が首を振った。職業がら数学界隈にも情報網を持つ彼女に説明を任せる。


「小半助教授が亡くなった病院は判明したんだけれど、それ以前の詳しい情報がほとんど出てこないの。病院がわが個人情報を理由に開示を拒んで――」

「コジン情報?」


 耳慣れない言葉を聞き返す平成博に千尋が補足しようするが「そこは『プライバシー』とでも置き換えてくれ」腕時計スマートウォッチで時間を気にする令和博に先をうながされた。


「一部から漏れてきた話では、その病院に入った助教授は外部の面会を受けられる状態じゃなかったらしい」

「ご家族など周りのかたからなにかお話をうかがうことも難しいんですか?」


 清の問いにも千尋は首を振る。


「だめなんです。小半久美子氏は天涯孤独の身と目され、友人・知人の情報も公私ともに不明。私たちの時代は高度に情報化された社会なのですが――なにしろ、ベランダに干した洗濯ものさえ世界じゅうに筒抜けになりかねないほどです――これをもってしてもなお、氏に関してはようとして実態がつかめません」

「ふうむ……」

「なんだかお寂しい話ね……」


 腕組みする夫とともに嘆息する妻に、千尋は、ええ、まあ、と歯切れの悪い相づちで濁した。年齢などのもろもろが自身と重なり思うところがあるのだろう、と博は内心で察した。


 腕の端末とけいを見る。まだ少し時間がある。

 精神的プチダメージを負ったとおぼしき彼女から話を引き取ろうというわけでもないが、話題を変えようと膝もとのバッグを探る。「そういえばあれを見せてなかったな」



――――――

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