隣撃のトロル

「やるのか?」


 博の右手をちらと見やり、無表情のまま、不藁は簡潔に問う。

 その目もとも、口調も、腹のうちはうかがいしれない。


 博は慎重に、ああ、と首肯する。「ひとり、

「なら、俺だな」横の博へうなずき返す。


 不藁の情動に起伏は見られない。

 驚き、困惑、疑念、警戒、怒り。どんな感情もその鋼鉄の能面に析出しない。あるのはただ、淡々とした受け答えだけ。


「――その、おのみち?ってのは知らないけど、場所は普通に東京でね、タイムリープはダッシュでジャンプして――」

「タイムリープだかワープだかどーでもいーけど、アタシ、認めないからね!」


 一生懸命、好きな作品を家人へ語る葵と、紅潮し否定する陽子という、いろいろと噛みあっていない母娘をさえぎり、博は場の一同へ呼びかける。「みんな、聞いてくれ」


 宵の座敷へ打たれた水に歓談の潮が引く。

 幼いみぎりに水際ではしゃぐがごとく、でね、前前前前前後が流れるシーンで五葉がね、と私語をささやく少女を、隣の千尋が、葵、と袖を引いた。


 九人が囲み、人数分の馳走を給してもさほど窮屈でない、対角線は九尺九寸もある樫の座卓。

 着座する老若男女の視線を博はぐるり受け止め「話しておくことをここらで共有・再確認しようと思う」と切りだした。


 じゃあ少しお皿を片したほうがいいかしら、と腰を浮かす年下の母親を押しとどめる。「いや、このままでいい」


 あまり改まっても深刻になりすぎてはやりにくい。特に、今から少しばかりつもりなのだから。

 わきの不藁に注意を払いつつ博は続ける。


「今朝、話したように、俺たちは未来――今から三十年後の二〇二〇年だ――そこからこの時代、一九九〇年へと時間をさかのぼってきた。目的は、新型コロナ――」


 伝える事項と、密かな画策をめぐらせるのに忙しい博へ、無遠慮に挟む口があった。


「いるんですケド! ココにひとり!」


 やぶから棒な声をあげる陽子いもうとに、壮年のあには、ゴブラかよ……、と小さくぼやく。


家族みんなは騙せてもアタシはごまかされないんだから」

「こら、陽子」


 困った娘を父親きよしがたしなめるが、負けん気の強い彼女は無視して身を乗り出す。


うちのコト知ってるって言うケド、そんなの興信所に頼めば調べられるでしょ」

「いや、興信所でも簡単にはわからんことをその『俺』は知っていた。ましてワールドカップの結果なんて――」

「お兄ちゃんは黙ってて。予言なんてインチキが多いのよ。ノストラダムスの予言だってアヤシイって雑誌に書いてたし」

「なにそれ? スマホゲー?」


 むすめの横やりに、陽子ははおやは「ハア? 須磨捕鯨スマホゲイ?」ナニ言ってんの、と眉をしかめほこ先を変える。


「アンタ、二〇二〇年から来たって言うのなら、当然、ノストラダムスの予言が的中するかどうかも知ってるのよね。七の月に恐怖の大王は空から来たの? 正体は隕石? 言ってみなさいよ」

「え、意味わかんない」


 少女の詰問に、もうひとりの少女はぱちくりとしばたたく。


「そのゲームはやったことないけど『転生したらチートスキルを555個もら」

「ほら、ごまかした!」娘の駄言をぶった切り、未来の兄を追及する。「ちゃんと口裏あわせをしとかないとね、オジサン!」

「いや、おじさんはママのおじさんじゃなくてあたしの――」

「アンタはモォいーから! てゆーか誰がママよっ。アタシまだ中学三年生なんですケド!」

「あたしもだよ?」

「じゃあ100%、1000%、親子なワケないじゃないっ」

「え、なんで?」

「ハアァ? アンタ、頭クルクルパーなの!?」

「意味わかんないし」

「単細胞のアンタは分裂で増殖したのかもしれないケドね、アタシは多細胞生物――」

「あー、取り込み中、すまんが」


 咳払いし、年長のほうの博が小さく挙手した。「論より証拠だ。見せるものを用意している」


 この母娘の絶妙な噛みあわなさ――というか葵の、打てば響かずというか想定の斜め上に響くやり取りを十年以上見ている博は、中学生陽子と葵では、話が無限に夢幻な方向へ迷走し収拾のつかなくなるのが明らか。もうあまり


 左の腕時計スマートウォッチで時刻を見計らう。ディスプレイの示す二〇時五〇分過ぎを確認し、足もとからドライヤーを取り出した。


「さて、これはなにに見える?」


 いくぶん不敵に問う中高年のつらがまえが「え、タイムマシン?」「タイムマシンじゃね?」二名の即答で仏頂づらにゆがむ。


 空気の読めないコンビをにらみつけるが、艾草陽子ターゲットは「ハア? ドライヤーかナニかでしょ?」なんかヘンなデザインだケド、と期待どおりに反発したのでよしとした。


「これは――そいつらがネタバレしてしまったが――たしかにタイムマシンだ」

「それがか……?」当惑し博は博に問う。「陽子こいつの言うとおりドライヤーのように見えるが……。『Dr.スラング』の発明品みたいなやつなのか?」

「ソレだと大きさを変える光線銃じゃないの、お兄ちゃん? タイムマシンは目覚まし時計型で――」

「そうだそうだ、タイムスリップのやつだ。そいつのギャグがスベったらスリッパで叩いてツッコんで、タイムスリップが――」

「あー、話の途中なんで横道にそれないでもらいたいんだが」


 艾草兄妹に遠慮を願う。母娘といい、この一族、特にこの妹はなにかにつけ手がかかる――まあ、一族に己も含まれるのだが。

 脱線は同様に夫妻もやらかす。


「へえぇー、そんなので過去や未来を行ったり来たりできるのねえ」

「たった三十年で科学は進歩するものだなあ」

「だってあなた、三十年前なんてカラーテレビはないし、まだ蒸気機関車SLが走ってたのよ」

「たしかに。今じゃあ国鉄もJRの時代なんだから、時の流れというものは――」

「悪いが親父、おふくろ。思い出話の花はあとでゆっくり咲かせてくれるか。時間があまりない」


 年上の息子――ただし余念のない実年齢のごまかし(未来陽子いもうとほど徹底的でないが)により見た目は逆だった――の抗議に、ふたりは「や、すまんすまん」「ごめんなさいね、ついつい」とほがらかに悪びれた。


「で、そのタイムマシンはどこで買ったの? 第五家電?」

「電気屋で気軽に買えるものなのか?」

「いや、まあ……」


 両親の質問に博は言葉をにごす。

 たしかにドライヤー自体はゴドバシの通販サイトで購入したものだが、今はそのあたりの説明はまどろっこしくてしていられない。この時代には、ネットで買いものをするという概念が(まったくなくはないがほぼ)ないのだ。

 左手を見る。定刻の二〇時五五分が迫る。そうのんびりできない。


「細かいことは省くが、このタイムマシンは、特定の場所と時間に使用することで、対象物を時間的・空間的に離れたところへ転送する」

「あたしたち、秋田から転生してきたんだよっ」

「千尋、黙らせろ」


 目線をくれることもなく出された指示に、相方は無言で応じ、長い指で天然娘の口を封じる。「んーっ、んー!」


「今夜、まもなく、この家の庭に特別な時空のむらが生じる。それに対しこのタイムマシンで――」


 マイナスイオンを、と言いかけて博はやめる。そのような言葉も効能(があるという触れ込み)も九〇年では通じないし、個人的にも眉唾ものと見ている。


「ええとだ、中性子線とかニュートリノとか――ってこれもわからんか――あとまあ反物質とか……、とにかくだ、いろいろと対消滅エンジン的なことを――」


 一生懸命、説明を試みるも、いまひとつぴんとこない様子の家族に、博はあきらめた。

 そもそも、今回もちいる時空のむらはわりとまれなものなので、二〇二〇年からの移動で使用した機器ものほど高度な魔改造は施していない。


「こまかいことはともかく、こいつを使えば、この二メートル級の巨人だって――


 まるで親でも食い殺されそうになった仰々しさで、隣の巨漢トロルを見上げる。



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