Go to the Bubble: Time machine shaped like a hair dryer

二十三

 左手首に巻いた、軍用にも採用されるオフブラックのそれと同じく、無骨で、威信をたたえた声が、場の空気を一瞬に引き締めた。ただスマートフォンからのみ「ねえ兄貴、聞いてるの!」との、けたたましい声が鳴り響く。


「悪い――やっぱり葵は連れていく」


 木の根もとでぺたと足を投げ出している彼女へ目をやり、博は言った。


「はっ? なにがやっぱりなのよ」妹は憤り、姪はどこか不思議そうな面持ちで伯父を仰ぎ見た。


「責任を持って預かる」「帰ったら全部話す、聞く」「必ずおまえのもとへ無事帰す」


 抗議する陽子に取りあわず、神妙な顔つきで一方的に誓うと、赤いボタンに指を重ねて、切った。


 うつむき加減の顔を上げる。全員がこちらを見ていた。誰も、なにも言わない。

 すぐに再度、着信音の鳴る端末へ彼らの視線は移るが、博は切り替わった画面に見向きもせずマナーモードに設定。おもむろに、手さげ鞄のひとつから「タイムマシン」を取り出した。


 改造を重ねたそれは、なにかレトロで未来的なフォルムだった。

 半分以上が手製のものに差し替えられた外装にはごてごてと大小の部品を取りつけてあり、電源コードは除かれていた。先日、拓海に使った簡易的なものとは大違いだ。さほど原形をとどめておらず、言われなければもとがドライヤーとわかりづらい。まるで昭和の漫画に出てくる光線銃みたいな絵づらで、あまり向けられたくなかった。


「ママからでしょ? 出なくていいの?」


 胸ポケットで振動し続けるスマートフォンを無視し、タイムマシンの最終確認をする伯父に、葵が尋ねた。


「かまわん。切ってもどうせまたすぐにかけてくる」


 LEDランプが灯りファンが静かにうなりはじめる。

 博は手製のガジェットをにらんだまま、不藁の「あと九十秒」との読みあげを引きあいに出す。「二分後には、電源が入っていないか電波の届かない場所にいる、とのガイダンスが流れる」


 電波の届かない場所。


 伯父の口にしたそのフレーズが、数秒かけて少女の脳に染みわたる。

 不意に、葵は跳ねるように立ち上がった。「おじさんっ」


 駆け寄り、博が惑うのもかまわず、彼の胸もとで震える携帯端末を抜き取る。タイムマシンの操作で博はとっさに応じられず、ほか三人もどうしたものかと対処しかねた。


「葵っ」伯父がとがめるのもかまわず、少女は慣れないAndroidにとまどいながら通話ボタンをタップする。

 電話がつながるなり「もしもし兄貴っ、アタシ本気で怒るよ! 今度ばかりは警察に――」と食ってかかる陽子は、


「ママっ!」


 思いがけず娘に呼びかけられて「えっ、葵?」面食らう。


 今朝聞いたばかりの母親の声が、どうしてだろう、ひどく懐かしい響きで、少女の胸はきゅっと縮む。


「ママ、あの……」

「帰ってきなさい!」


 なにを言いたいのか自分でもわかりかねて言いよどむ彼女に、母親は「ついてっちゃだめ!」ぴしゃり命じた。ぞくり、身がすくむ。

 それは、ほとんど聞いたことのない声色だった。


 わりと気の強いところのある母親は、自由奔放な娘にしばしば雷を落とすが、そんなものとは比較にならないほどに気色ばみ、鬼気迫るものだった。

 葵には、激しい怒りのなかにおびえがまぜこぜとなっているのがわかって、また心臓の辺りがきゅんと締まった。


「六十秒」不藁の無機質なカウントで、少女は、はっと伯父へ振り向く。

 姪と目があった博は、姿なき者へすばやく問うた。「アディオスっ、『小笠原』を教えろ」


 わずかの間、伯父はこちらへ顔を向けじっと宙空を見すえると、葵の手中にある端末へ口早に命じる。「OK、Google。北緯三九・七三五度、東経一四〇・一五度のURLを葵にメール」


 自分との中間で結んでいた伯父の焦点がこちらへ戻る。手にしている伯父のスマートフォンが短くバイブレーションした。反射的に画面を見ると「メールを送信しました」との通知。続けてスカートのポケットから場違いに明るい着信音が鳴った。


「今送った場所へ行け。二十分ほどの距離だ。午前三時半、人のいる場所に出る」

「もしもしっ、もしもしっ! 葵!」

「四十五秒」

「山にいる間はずっと音楽をかけておけ、熊よけになる」

「聞こえてるのっ? 葵っ、返事をして!」

「バッテリーを消耗するから動画やゲームはひかえろ」

「三十秒」

「拓海」千尋が、葵の着替えが入ったバッグへ手を伸ばし呼びかける。「葵の荷物を遠ざけて。タイムスリップに巻き込まれる」

「お、おうっ」


 あわてて薄水色のナップサックなどを拾い上げようとする友人たちへ「――いい」少女はぽつり制した。「いいよ、たくみん、千尋さん」


 白昼夢でも見ているかのようなぼやっとした彼女に「二十秒」機械的に報じる不藁以外の皆が怪訝な顔をした。左手の携帯端末だけが「葵っ、葵!」としきりに呼びかけている。


 ――そんないっぺんにいろんなこと言われても、わかんないよ。


「タイムマシン」の駆動音が高まる。初めはグリーンだったランプの色が、オレンジからレッドへと変わる。うなり声を強めるガジェットへ呼応するかのように、風が、にわかに山林を駆けめぐり木々をざわつかせる。


「ママ、あたし――」

「やめなさいっ、葵!」

「十五秒」

「あたし、みんなだいじだから。ママも、パパも、おじさんも、キニちゃんも」

「そこにいなさい。ママ、今からそっちに行く」

「十秒。九、八」

「だからね、コロナ、無双しに行ってくる」

「やめなさい! お願いっ、やめてえ!」

「五、四、三」

「大丈夫、キニエンタスの――」


 チートスキル、まだ全然そろってないし。


 今生の別れとなるやもしれない去りぎわの言葉としてそれはどうなのか。

「タイムマシン」から放たれたミスト・低い温風・マイナスイオン・ド♯5の矩形波でんしおん・中性子線・微量のニュートリノ・さらに微量の陽電子、これらさまざまの要素によってをとられた時空のむらが、女子中学生の声を無慈悲に断つ。

 風が、令和初頭の世界から消失した五人の男女を見送るかのように、彼らの立っていた土の上をなぜて、やんだ。


 Adiósさよなら――


 二〇二〇年七月三十日、午後五時二十五分現在。

 aDiosかみの声を聞く者はもういない。

 遅い梅雨明けを焦がれたセミだけが、ただ、突風の去った林にざわめいた。


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