十二

 椅子の背もたれ越しに体をひねり、座卓の四人へ半身を向ける。

 博の背景、窓向こうでは、いくらか長くなってきた日もだいぶ暮れ、住宅の明かりがぽつぽつ灯りはじめていた。


「過去へ行くにあたって、全員、PCR検査を受けてもらうからな。無論、検査結果も見せてもらう」

「陽性だったら置いてきぼりってこと?」


 尋ねた拓海にあたりまえだと返すと、そんなあ、と驚いた顔で嘆く。驚きたいのはこっちだ、とあきれるが、姪はさらに上を――いや下か――行った。


「NPC(Non Player Character)なんとかってなに?」


 葵は至極、真顔で問う。昭和な居室シチュエーションルームに微妙な空気が流れる。想定のななめ下の質問に、博はプチフリーズし、千尋がぷっと吹き出す。不藁は苦笑いだ。


 NPCが妖精だとなにかまずいの、と不思議がる女子中学生に、拓海でさえ「ハア?」と眉を曲げ、博は右手を額にそえて、おまえはニュースを見ないのか、と首を振った。うん、と無表情でうなずく姪に、だろうな、知ってた、と伯父は息をつく。


「NPCじゃない、PCR。新型コロナウイルスの検査方法だ」コロナに特化した技術じゃなくDNA関連の研究や犯罪捜査にも使われてるが、と補足しかけて、やめた。

 PCRってチートアイテムとか持ってるのかな、と勘違いしたまま、葵はうれしげにひとりごちる。彼女には説明するだけ無駄な気がした。こいつは将来、社会に出てやっていけるのだろうかと不安になる。――まあしかし。


「おまえでもどうにかなっているしな」


 博が流し見た拓海は、えっ、と頭上に疑問符を浮かべた。


「ともかく、PCR検査を受けたあとは原則、外出禁止だ。家族にも受けてもらい、なおかつ、できるかぎり家のなかでの接触を避ける」


 ずいぶん厳重だなあ、と感想をもらす拓海に、博はとんでもないとばかりに否定する。


「厳重なものか。ほんとならこんな気休め程度の対策で行きたくないんだ。万一、向こうにコロナを持ち込むようなことがあれば取り返しがつかん」

「そうね、今の技術や知識、社会情勢やものの考えかたでもこれほどの事態になってる。さまざまな面で今よりも未発達な時代で広がったら、感染者数は今の何倍、ううん、何十倍になるか」

「モグさんと立花の言うとおりだな。一九九〇年はちょうどバブルがはじける時期だ。好景気に浮かれる社会下で一気に感染拡大、バブル崩壊とコロナ禍が同時進行。最悪のタイミングだ」


 不藁と千尋の言及に、ああ、第三次世界大戦さえ引き起こしかねん、との博の懸念も「子供たち」にはぴんとこないようで、


「たしかに大惨事だな、第三次大戦だけに」ウケる、と自分で笑っている馬鹿者もとい若者。

「スーパーなんとか大戦ってやつ?」それ、赤いロボットが三倍速いんだよね、とお花畑の女子中学生。


 ああだめだ、やっぱりこいつら連れてっちゃいけないタイプの問題製造機トラブルメーカーだ、とのした視線に、青年と少女は、どうもリーダーの地雷を踏んでしまったようだ、とあわてる。


「PCR検査、だいじだよな、うん。オレ、検査後は千尋さんみたいにリモートワークする」


 あせあせとおもねる拓海に、あんたの職場、PCショップでしょ、とプログラマーがツッコんだが、平然と「PCR検査で陽性反応だった、つって休む」

 そのうちバイトテロのひとつも起こしそうな拓海らしい不謹慎発言に、はあ、と千尋はため息をつく。

 ちなみに彼女自身はといえば、わりとブラック気味な勤務先のおかげで有給がたまりにたまっているので問題ない。(なんならよそににげるいい機会だ)


 若者もとい馬鹿者もたいがいだが、天然娘のほうもひどい。「じゃあ、あたしはコロナに感染した、って言って学校休む!」


 頭上にピコンと電球を光らせる葵に、大人たち一同はどこからツッコんでいいのか大いに惑った。

 拓海とまったく同じ失言だが、口ぶりからして、PCR検査がなんなのかやはり理解していない模様。第一、そんなでまかせが親に通用するわけがない。看護師の母親から大目玉をくらうのは必至だ。

 看護師と医者の娘がこの認識でいいのかと、博は複雑な気分だった。


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