第175話 イカスミかき氷は実際にあるらしい

「みんな、今日もありがとうね~」


 途切とぎれることのなかったお客さんがようやく減ってきて。慌しかった店内の空気が少しずつ落ち着きを取りもどしてきて。最後の家族4人組が店を出たあと、おばさんは私たちに言った。

 時計を見れば3時半。昨日の閉店時刻とだいたい同じだった。


乃亜のあちゃんが手伝ってくれたから、すごく助かったわ~」

「いえ、そんなことないですよ」


 両手と首をふって謙遜けんそんする。だけど実際、乃亜さんの功績は大きい。

 てきぱきと接客する彼女の姿は、それはもう素晴らしかった。「あ、えと」とか「その……」とか言ってばっかりだった昨日の私とは大違い。お客さんに笑顔を見せて、お客さんもそれを見て笑顔になっていた。スマイルは0円らしいけど、乃亜さんのならお金とれるんじゃないだろうか。


凪咲なぎさちゃんが丁寧ていねいに教えてくれたおかげです」

「ふふ、そういうことにしときましょうか」

「はい! すごくわかりやすかったです」


 たたえられる凪咲ちゃん――だけど当の本人はいない。民宿の方がチェックインするお客さんが増えてきたとかで、少し前に海の家から出ていった。きっと、乃亜さんにならホールを任せられると判断したからだろう。私と柚葉ゆずはちゃんだけだったらこうはいかなかった。


 というわけで、海の家には私と乃亜さん、そして柚葉ちゃんがいた。柚葉ちゃんは厨房ちゅうぼうにずっと缶詰め状態だったこともあって、テーブルに突っ伏してぐったりしている。ふふん、昨日サボったからだ。いい気味。


「でもホントによかったの? ご家族で遊びに来てたんでしょ?」

「ぜんぜん大丈夫です。両親からもオッケーもらいましたし」


 そう、本来なら乃亜さんはこの場に接客する側じゃなく、接客される側としていたはずなのだ。それが柚葉ちゃんのあおりムーブもあって、


「――ここではたらかせてください!」


 というわけだ。よかった、顔の大きなおばあさんが経営してなくて。あやうく夢崎ゆめさき乃亜から名前をとられて『乃』とかになるところだった。


 ちなみに乃亜さんが急きょ職業体験に参加する意思を示したことで、ご両親があいさつにやってきた。言うまでもなく、乃亜ママは超美人で乃亜パパはめちゃイケメン。


「貴重な機会だからむしろいろんなことを経験してきなさいって言われました。もちろんご迷惑じゃなければ、なんですけど」

「迷惑だなんて! とーっても助かったんだから! 乃亜ちゃんが言わなかったらおばさんからお願いしてたところよ?」


 おばさんのテンションはどこか昨日より高い。それだけ私が戦力にならなかったってことなんだろう、きっと。うう、肩身が狭い……。


「そうだ! みんなかき氷食べない?」


 と、おばさんがテンションそのままそんな提案をしてきた。


「いいんですか?」

「いいのよ、がんばってくれたからお礼」

「かき氷!」


 がばっ、と柚葉ちゃんが飛び起きる。現金だなあ。


「食べる!」

「はいはい、シロップは好きなの選んでね~」


 おばさんは笑いながら厨房に行くと、すぐさま「ガリガリガリ」と氷をけずる音が聞こえてくる。


「私、イチゴー!」

「うーん、じゃあ私はカルピスいただきます」


 柚葉ちゃんは迷うことなく、乃亜さんは少し逡巡しゅんじゅんしてからリクエストをする。私はどうしようかなあ。

 壁に貼られたシロップの種類はたくさんあって、どれもおいしそうに思えてくる。そういえばシロップは色が違うだけで実は味は同じ、って聞いたことがあるけどホントなのかな。


「あれー? まだ決まらないのー?」

「うん、だってどれもおいしそうで」

「えー? おねーさんはイカスミ一択じゃないのー?」

「イカスミ? なんで?」


 というかそもそもそんなのメニューにないでしょ。


 すると、柚葉ちゃんは私の耳に顔を寄せてきて、


「だってー、みんな変身したときの色を選んでるでしょー? 私は赤でー、あの人は白」

「ああ、そういえば」

「じゃーおねーさんは黒じゃん? えっちな黒ビキニだけにー」

「……それ以上言ったらくすぐりの刑だから」


 静かにそう返すと、柚葉ちゃんはにやにや顔から苦笑いへと変わって離れていく。前のくすぐりが相当トラウマになっているのか。ようし、あんまり私へのからかいがひどかったらこの方法で「わからせ」てやることにしよう。



「――いただきまーす」


 そして数分後。私たちはおばさんが用意してくれたかき氷を食べていた。

 結局、シロップはブルーハワイにした。でもよく考えたらブルーハワイって何味なんだろう。まあおいしいからいいんだけど。


「んー、頭キンキンするー! でもおいしー!」


 隣では柚葉ちゃんがガツガツと食べながら、小学生みたいに全身で感想を表現している。いや実際小学生か。対照的に乃亜さんは味わうように少しずつ口に運んでいた。


 と、そんな様子を見ていたおばさんが口を開いた。


「ねえ、ひとつお願いしてもいいかしら」

「なんですか?」

「時間があるときでかまわないから、あの子と遊んであげてほしいの」


 あの子、というのが凪咲ちゃんを指していることは訊くまでもないだろう。


「ほら、あの子ってば店の手伝いばかりしてるでしょ? 嫌々やってるわけじゃないし、私としてはそれもうれしいんだけど、せっかく海にいるんだからもう少し子どもらしく過ごしてもほしいなって思うのよ」


 なるほど。たしかに凪咲ちゃんはずっとなにかしらの仕事をしているイメージがある。それがおばさんにとっては心配に見えるってことなんだ。うちのお母さんは逆立ちしても言わなさそうだ。


「だから、千秋ちあきちゃんたちがよければ遊び相手になってくれないかしら?」

「それはもちろんいいですけど、昼間だと手伝いがあるからって断られそうですね……」


 マジメな凪咲ちゃんのことだ。誘ってもOKしてくれるかどうか。むしろそんなヒマがあるなら仕事してくださいとか言われそうだ。


「はーい!」


 と、勢いよく手を挙げたのは柚葉ちゃんだった。


「任せてください! 私にいい考えがありまーす!」

「いい考え……?」


 彼女を見る。ここまで自信たっぷりに言われると逆に不安になる。

 だけど柚葉ちゃんはその不安をさらに煽ってくるように「にやり」と笑ったのだった。

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