暴風のような魔法使い(中編)
おかしい。さっきまでここにいたのに。あんな大きな人、隠れられるはずがない。優作は一度立ち上がり、辺りを見回す。
——いた。女性は本棚の目の前に立ち、そこにある本を読んでいた。本を読んではしまい、読んではしまいを繰り返し、あっという間にその本棚の本をすべて読んでしまった。
「ねえ君! ほかにも本ない? もっと読まないとこっちの言葉も理解出来ないし、こっちの世界のことも知ることができないし。ねえ、他の場所にも本ないの? できれば魔導書がいいんだけど」
なに勝手に人んちの本を読んでんだ。などという野暮な突っ込みを口の中に押し込み、優作は今度こそ質問をしようと口を開いた。が——。
「そういえば君の名前を聞いていなかったね。なんていうの?」
またまた女性のペースに乗せられてしまった。優作は一回、悲しいため息をつき、しょんぼりと口を動かした。
「……俺は、優作。並木優作——」
「へー! 君は優作って名前なんだね! どういう職業なの? ここに住んでからどれくらい経つ? ここら辺の地理には詳しい? 専門は——」
「ストップ!」
初めて、目の前の女性の機銃掃射を止める一声を出すことができた。
「いい加減、俺にも話させてください! そんなにいろいろ言われても分かるわけないじゃないですか! ヴぃっ……ヴぃっ、ああ、言いにくい! もうアンでいいよ! アン! 俺も言いたいことがあるんだ! 少しはこっちに合わせてくれ!」
息を切らしながら、優作は女性を見つめた。それを見た女性は急にしゅんとしてしまった。
「……ごめんなさい。私、よく話し相手を威圧しちゃったり、自分の話ばっかりしちゃったりするから……」
さっきまでの勢いは何だったのか、と思うほど落ち込んでいる女性を見て、さすがに優作もやりすぎたな、と思った。
「あ、あの……なんか、すみま——」
優作が言葉を終える前に、アンは優作の手をがっしりと掴み、大きな瞳をキラキラさせながら優作へと向けた。
「それにしても優作! 君が言ってた“アン”って名前、とってもいいね! 呼びやすいし、響きもいいし。よし、これから私のことは“アン”と呼んで!」
さっきまでの俺の罪悪感を返せ、と言いたくなるような早い立ち直りに、優作も思わず引いてしまった。この女性は一体? その時、優作はこの女性、アンに対して聞かなくてはいけないことがあることを思い出した。
「それで、え、えっと、アンは……」
「そうだ! そういえば優作、私に何か言いたいことがあると言っていたね。何を言いたいの? もしかして何か聞きたいの? 私のこととか? 私はヴィヴィアン。通称アン。放浪してる魔法使いだよ。得意な魔術は風——」
「ストップ! アン、今、なんて言った?」
「え? 私はヴィヴィアン。通称……」
「そのあと! なんて言った?」
優作の必死な質問の圧に押され、アンが及び腰になる。
「……放浪する、魔法使い——」
「魔法使い? どういうことだよ。魔法なんてあるわけないだろ、だいいち……」
「ちょっと待って! 優作、今、“魔法なんてあるわけない”って言った? どういうこと? 魔法がないって、ほんと? あんな当たり前のもの……」
「当たり前? そんなわけないだろ。空想の産物か、科学が発展する前の迷……、信……」
ふと顔を上げたとき、アンの衝撃的な顔が優作の目に飛び込んできた。まるで、明日世界が滅亡することを知って絶望しきっているような顔だった。
「……そ、んな。そんな、バカ……な。そんなことが。もしかして、異世界の中には、魔法がない世界があるの? だけどこの世界は、確かに魔女アッシュが来た世界の、はず。あの大魔法使いが、魔法のない世界を選ぶはず、あるわけ……、いや、逆に、あえて魔法のない世界を選んだ可能性も……。だけど、私は確かに魔術を使えたし……。なら……」
アンは近くにあったティッシュペーパーを一枚すっと取り、そこに複雑な文様を描き始めた。あんな薄い紙によく細かい文様を描けるな。優作はその繊細かつ素早いペンの動きをじっくりと眺めていた。文様を書き終えるとアンはティッシュを丸め、中に息をふっと吹きかけた。
「アン、何して……」
優作の声に全く耳を貸さず、アンは丸めたティッシュを窓から外に投げ捨てた。
「ちょ、ア、アン! ポイ捨ては……」
タンッ、タンッ。
……え? 外から、雨粒が落ちる音が聞こえる。今日は一日中晴れのはずなのに。
ダン、ダン、ダンダンダンダンダン……。
大粒の雨が急に、大量に降り始めた。それも、優作が経験したことのないような、恐怖を覚える雨音を立てた雨。音がどんどん大きくなっていき、同時に優作の心にも恐怖が溜まっていく。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
突如強い風まで吹き始めた。窓の外の雨は、ついさっきまでほぼ垂直の柱のように降り注いでいた。だが、今度は違う。雨が、地面とほぼ平行に降ってくる。もう、降ってくるという表現も怪しい。大きな水の弾丸がぶつかってくるような感覚に陥る。
ダダダダダダダダダダダダダ!
家の壁に、大きくて勢いの強い雨粒がぶつかる。家全体が震え、その振動が優作に伝わる。音が余りにも大きく、このまま家が壊されてしまうのではないかと思えてしまう。優作は、さっきまでアンにかけていた毛布の中に飛び込んだ。怖かった。この音が、まるで妖が自分に入っていって、魂を削っていく音に聞こえた。今まで味わったことの無い恐怖に、優作は支配されていく。
「……やめて、くれ」
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