植物になりたい大学生(後編)

 ガチャっと扉を開け、家の中に入る。夕食の準備をしながらテレビを見ていた優作の母が、大学から帰宅した優作に声をかけた。

「あら、お帰りなさい。優作、大学はどうだった?」

ちょっとおどおどした、気弱そうな母親、敦子が息子を心配する。

「普通だよ」

親の心配をよそに、優作は冷たく受け流す。

「あ……。そう。……そ、そうだ。これから別のチャンネルで、面白そうな情報番組が始まるんだけど……」

「見ないよ」

優作はぼそっと吐き捨てた。

「……そう」

敦子は暗い顔をしながら夕食の準備に戻った。優作はスタスタと階段を上り、自分の部屋へと入った。

 そんな番組見たって。スマホを机に置いて椅子に座り、天井を眺めながらぼやっとしていた。今のテレビや、ネットの番組、ビジネス書なんかはだいたいそうだ。成功者の体験談なんかをロマンティックに書いて、「君もそうなれる!」みたいなことを言う。普通の人間に、『自分は特別だ!』と思い込ませて、そのあとは知らん顔。最後は見捨てるんだ。

 ——見捨てる? 俺のような奴をカモにして儲ける輩は多い。俺は、そんな奴が大嫌いだ。人をただの金を搾り取る雑巾のようにしか見ず、ただただ情報がない者から金を吸い取っていく。


 なら、俺はどうだ?


 俺はさっき、道に倒れていた人をスルーして帰った。それはつまり、“俺自身も、平気な顔して見捨てる輩”ということなのか? いや、そんなことはない。俺は、ただ人間関係のトラブルを避けたかっただけだ。俺は、あの倒れていた人をちゃんと『人間』としてみていた。


 ……本当にそうか?


 あの倒れている人を、本当に人間だと思っていたか? 実は、ただの日常トラブルの一つ、ただの困難なイベント、くらいにしか思っていなかったのではないか?

 ……気に入らない。自分が、そんな輩と一緒というのは。いつもは行動力がないせいで何も出来ない優作だが、この時は違った。何か、自分で自分をけなしているような感覚が妙に不愉快で、その不愉快さを取り除く方法は一つしかなかった。


 “助けに行く”。


 階段を勢いよく駆け下り、玄関へ走る。

「母さん、ちょっと行ってきます」

「え? ゆ、優作? どこに行くの?」

敦子が気づいた時には、すでに優作は家の外にいた。


 人気のない道を駆け抜け、さっきの場所を目指す。きっと、死んではいない。まだ間に合うはずだ。そう信じてる。だが、もうすでに、自分があの女性を発見してから5分以上は経っている。心肺停止なら助かる可能性は少ない。だが、助かるかもしれない。ここでためらえば、一生後悔する。優作は運動不足の体に鞭を打ち、徒競走でも出さないようなスピードで走った。

 街灯に一輪の花が照らされていた場所。やっとたどり着いた。すでに優作の体力は限界を通り過ぎ、本来なら立っていることすらできない。そんな優作を立たせているのは、“女性を助けたい”という気持ちだけ。花から視点を移し、女性を見つける。

(お願いだ、まだ生きててくれ)

顔から脂汗を流しながら、女性に近寄る。えっと、確か、まずは肩を叩いて意識があるか確認するんだっけ? 優作は肩を叩きながら、女性の耳元で大声叫ぶ。

「大丈夫ですか? 大丈夫ですかっ?」

反応はない。なら、次は呼吸があるかどうか。呼吸の有無によって、生存確率が変わる。と、救急救命講習で習った。だが、女性は地面に伏せている。仰向けにして、急に嘔吐なんかしたら窒息の可能性もある。はずだ。曖昧な知識を振り絞りながら考える。ならば……。優作は女性の頭だけを横に向け、どうにか口と鼻に自分の耳を当てられるように頑張る。多分、首を痛めさせる可能性があるからあまりやってはいけないここだろうが、そんなこと言ってる場合じゃない。頭を動かすと、伏せていて見えなかった女性の顔が露わになった。

 ——うわ、超美人。

 肌は透き通るように白く、光沢がある。すべてのパーツがバランスよく、上品な形をしている。優作はあまり女性に興味はないし、むしろ現実の女性は苦手な部類だった。正直、二次元の女子に現実の女性が敵うわけがない。そう考えていた。だが、そこに倒れていた女性は美しかった。そんな優作でさえも見とれてしまうような美人だった。おっと、そんなことを考えている余裕はない。優作は自分の頬をパチンと叩き、女性の口に耳を当て、感覚を研ぎ澄ます。

 ——呼吸をしている。

 そんな場合は、確か回復体位にして救急車を呼ぶんだっけ? その前に、安全な場所に移動させないといけない。優作は女性の両脇を抱え、草むらに隠れた部分を引っ張り出す。出すはずだった。だが、いつまでたっても足先が出てこない。

「……でかくね?」

この女性、想像以上に足が長い。そういえば、腕もかなり長かった。そして、重い。女性にそんなこと思うのは失礼なんだろうが、大きい上に重い。限界を超えて走ってきた優作の体が、さらに悲鳴を上げる。

 優作はやっとの思いで女性を引っ張り出した。なんて大きさだ。180、いや、190cmはある。男性でもこんな大きさの人はほとんどいない。それが、女性でこの背になるとは。同時に、優作は自分の背を考えた。低身長をコンプレックスに思っている優作は、この女性を羨望の眼差しで眺めた。おっと、もたもたしてはいられない。慌てて女性を回復体位にし、自分のポケットからスマホを取り出す。——あれ、スマホがない。……そうだ、机に置いてきたまま、ここまで走ってきたんだ。どうしよう。ただでさえ自分の体はボロボロ。この女性を家まで運ぶのは不可能だ。どうする。このまま家に走って、母さんの助けを借りるか。どうすれば……。


 キイィィィィィィン!


 乱暴な運転をした車が急停車し、運転席のドアがガッと開けられる。

「優作! なんで一人で飛びだすの! 危ないでしょう!」

そこにいたのは敦子だった。今でこそおとなしいが、若いころはずいぶんとやんちゃで、いろんなところを飛び回っていたという。ずっと疑っていたが、あの運転を見て、一瞬で信じてしまった。

「……母さん」

安堵の言葉が口から零れ落ちた。

「優作? ところで、そこに倒れている人は誰? とても大きな人だけど」

「あ、そうだ! 母さん、早く救——」

「とりあえず急いだほうが良さそうね。まずは帰りましょう。優作、この女の人も乗せるから、手伝って」

優作はこくりとうなずき、その女性を乗せて家へと帰っていった。

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