第26話 抱擁

 俺と向坂は研究棟を後にした。


 帰り道、俺は「落ち込み」を取り繕う余裕もなく、塞ぎこんだまま向坂と駅に向かった。


 向坂は、俺にどう言葉を掛けていいのか分からないようで、不安げに俺をチラチラと見ている。


 まただ……


 向坂の部屋の時といい、今回といい……


 救わなければならないはずの俺が、救われなければいけない向坂にまた心配されている。


 もうこれでは助けるどころか足手まといでしかない。


 仕事場でストレスにされされている向坂がプライベートでまた俺という”お荷物”に気を使わなければならなくなっている。



「向坂……悪いな。迷惑ばかりかけて……」


俺は居た堪れなくなりそう呟いた。


「な、何言ってるのよ……私はいつも義人に助けてもらってるって言ったでしょ?」


「ハハ……最近は向坂に慰められてばっかりだな」


「な、慰めている訳じゃないから……そんな顔しないでよ!」


「もう……俺に気を使わなくていいいぞ」


 俺が向坂にやってあげられることなんてもう何もない。


 田尻だってそういったではないか?


 俺には足りないものが多すぎると……


 今の俺には何が足りないかすらわからない……だからもう俺が努力して何かできることがないのだ。問題点すらわからないのだから。




 向坂は、苦しみを生き抜いてきたからこそ、人の痛みを敏感に感じ取る。だから俺のようなどうしょうもない男にもやさしいのだ。


「はは……向坂はやさしいな……」


 俺は自嘲するように呟いた。


 向坂にしたって「根本解決は難しい」という事実をつきつけられてきつい筈だ。


 それでも俺の事を気遣って必死に慰めてくれようとしてくれている。


 それに比べて俺は……


 なさけないが、今、向坂にかけてあげられる言葉すら見つからなかった。


 ”俺は向坂を救えない……”


 またこの言葉が俺の心に突き刺さる。


 また俺の顔が苦痛にゆがんだ。



 ふと前を見ると……


 隣を歩いていたはずの向坂が、俺が歩く進行方向に立ちはだかりこちらを向いていた。


 向坂は睨みつけるように、大きな瞳で俺を見つめている。


「義人……私がさっき田尻先生にいったことは……本心だから。私は義人にもう救われてる……それはちゃんと分かってよ?」


 向坂はそこまで言って声を詰まらせた。




「だから……そんな顔しないでよ……」



「いつもみたいに偉そうに私を励ましてよ……」




「もうそんな……私のこと諦めるような……そんな顔しないでよ……」



「義人がいないと……私は困るのよ……」



「……私は……私は……」




 そう言ってから、向坂は俺に近づき……



 彼女の両腕は……俺の脱力した身体を包みこんでいた。


 ……その両腕は……力強く俺を抱きしめた。


 そして向坂はまるで子供のように声を出して泣きじゃくってた。




 俺は……そんな向坂を見ても……


 何も言葉を掛けてあげることはできなかった。







「あ~……ゴホン!ゴホン!……」


「?」


「ああ……ゴホン!」


「…… …… ……」


「お、……お取り込み中、悪いんだが……」


「バカ!まだ声かけるの早いわよ」


「だっ……だって、もういいでしょ?」


「何よ、もしからしらラブシーン見れたかもしれないじゃない」


「いや、俺はそれはあまり見たくないから」


 人の気も知らないで随分と勝手な、そしてまる聞こえなヒソヒソ話をしていたのは……


 見覚えのある二人だった



 ワザとらしいせき払いの主は、同じサークルメンバーの小杉先輩。そしてそれに突っ込みを入れていたのは無論もう一人のサークルメンバー、オカルト娘の森内だった。





 ……な、なんであんたらこんなところにいるんだよ?




「いやあ……お取り込み中、本当に申し訳ないのだが……」


 小杉はもう一度同じセリフをいいながら向坂を見た。


 向坂は小杉の視線を感じて……一気に"素”に引き戻されたらしい。


 向坂は、俺を抱きしめたたまま、みるみる耳まで真っ赤に赤面して固まってしまった。


 あの~向坂さん?


 俺はとっても嬉しいんだけど……素に戻って、その体勢で固まられると……何と言うか……


「さ、向坂……あ、ありがとう。だから……その」


 俺はしどろもどろに、そこまで言うのが精いっぱいだった。




 向坂は、スススッっと音もなく俺から離れた。


 一旦、皆に背中を向けてから


「ゴホン、ゴホン」


 と彼女はわざとらしく咳払いをした。


 そして向坂は意を決したように皆の方を向いた。



「小杉先輩、森内さん、こんばんは!」


 と言いながら、満面の笑みで”ニコッ”と笑って見せた


 お、おい!……それは強引すぎるだろ?


 なんで何事もなかったことにしようとしてるんだよ?


 ってかその笑顔かわいすぎるから、小杉先輩、満足しちゃってるし……


 なんか……こういう時の向坂って凄いな。


 おまえモデルじゃなくて、女優になれよ?絶対、大成すると思うぞ?




「小杉先輩と森内……随分前に帰ったと思ってたけど?」


 俺は、あまりにタイミングよく二人が現れたことを訝しんで尋ねた。


「櫻井くん……察しのいい君だから隠さずに言うと、田尻先生に頼まれて待ってたんだよ」


 そう森内は答えた。


 ”あ~”と俺は合点がいった。


 この二人は、普段はあまり空気を読む方でない。


 それが、サークルが終わった後、田尻の目くばせだけでやけにあっさり教室を出て行ったことに違和感を感じたことを思い出した。


「そうか、田尻はここまで読んで……」


 あらためて田尻のあまりに底知れぬ洞察力を目の当たりにして、もう驚きを通り越してあきれてしまった。


「田尻先生からはなんて言われていたんですか?」


 向坂も苦笑いしつつ尋ねた。


「まあ、今見た通りのことが起きるから、この辺で待っとけと」


 小杉は当たり前のようにそういった。


「マジですか?」


 俺は思わず声に出してしまった。


 でもその”見た通りのこと”ってどこまでだよ?



 まさか……


「ああ……でも勘違いしないでくれ。君たちのラブシーンまでは俺たちも聞いてなかったから……あれは想定外だ」


「いや小杉先輩違うでしょ?あれはラブシーンではなくて向坂さんが一方的に櫻井君を抱きしめていただけだから」


 森内がそう言うと、向坂はゆでダコのように真っ赤になっていた。


 さすがにさっきのような満面の笑顔で切り抜ける余裕はないようだ。




「では……君たちの話を聞きに……駅前のファミリーレストランにでもいきますか」


 小杉先輩はそう提案した。

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