第19話 残党

 向坂に「坂田」と呼ばれたその女性。


 背が低くやや小太りで40代後半に見える。化粧気もなく服装も地味だが、凜とした佇まいからただ時間を持て余してランチを楽しむだけのマダムでは無いことがうかがえた。


 固まる向坂とは対照的に、彼女の目は我が子を見るような「温かみ」が感じられた。


 怪訝な顔で黙っている俺に気付いたその女性は、俺の方を向いた。


 彼女は舐めるように俺を見つめた。


 品定めするような視線。どうせ今までに俺と向坂が一緒にいる姿を見てなんで俺みたいな冴えない男が向坂のような美しい女性と?というリアクションだろうと思っていた。


 しかし彼女からは予想だにしない言葉を向坂に向けた。




「雪菜ちゃん、良かったね」




 坂田というその女性は、目を細めながら微笑をたたえ嬉しそうにそう呟いた。


 そう言われて向坂は、どういう表情をしていいかわからないように眼を泳がせていた。


 彼女は俺に向き直り今度は俺に話しかけてきた。


「あたな、雪菜ちゃんの彼氏なの?」


 そう唐突に切りだされた。


 俺はおそらくそう聞かれると思っていたので、そう言われたことに動揺はしなかった。


 もう既にこの問いは、俺にとってはお約束のパターンなので慌てず答えた。


「大学の友だちです。次の講義までの時間つぶしです」


「ああ、そうなの。ごめんなさい。私、雪菜さんと知り合いで坂田といます」


 彼女は少しがっかりしたように見えた。


「向坂の友人の櫻井です」


 向坂の微妙な表情を見ると、彼女に踏み込んでいいのか迷う。


 向坂の言を待った。


「坂田さんは昔とてもお世話になった方で」


 歯切れが悪い。


 何かあるんだな。


「俺、向こうの席に行ってるから二人で話したら?」


 向坂はちょっと戸惑って坂田の方を見て


「じゃあ、ちょっとだけ」


 と答えた。


「ああ、櫻井さん、そんな長くならないと思うから」


 そういった坂田という女性は、嬉しそうに俺に優しい眼差しを送った。


 俺にはそのまなざしの意味はよく分からなかったが、何か彼女にも、人間の機微に精通する同類のにおいを感じた。


「あ、はい。分かりました。むこうの席空いてるんで、あそこに座ってます」


「義人、ゴメン」


「いいって、ゆっくり話せよ」


 俺はことさら笑顔でそう答えた。


 向坂も少し安心したように頷いた。



 詮索するのは向坂に悪いとは思うが、まあ勝手に想像する分には誰の迷惑にもならんからいいだろう……一人で暇だし。


 坂田というあの女性。向坂に向けた愛情あふれるあの「視線」の種類は、「母性」に近いモノに見えた。だから向坂との接点は、向坂の「少女時代」のものだろう。おそらく小学生から中学生くらいか。「雪菜ちゃん」という「ちゃんづけ」もそれを裏付ける。


 坂田は俺を見て「良かったね」と言った。


 何がよかったのだ?


「彼氏ができて良かった?」


 いや違うな。


 それならその後「彼氏ですか?」と俺に尋ねるのはおかしい。


 一番可能性があるのは……


 俺と言う「男性友だちと一緒にいた」という事が坂田の「良かったね」の根拠になっている。


 つまり向坂の少女時代、男性……当時は男子か……と上手くコミュニケーションが取れなかった。もっと突っ込んだ想像をすれば男を恐れていた。


 男性不審になる理由は色々想像できる。あの向坂なら子供時代にだってきっととても男子の目を引く少女だったに違いない。


 だとすれば「好きな相手をいじめる」という子供特有の行動の犠牲になるパターンがまず思い浮かぶ。少女マンガ頻出のテンプレだ……っておまえ少女マンガ読むのかよ?なんて突っ込みは止めてね?


 もう一つは、あまり想像したくないが「父親の虐待」という可能性だ。


 ただ、これについては、俺の「希望的観測」も多いにあると思うがその可能性は薄いと見ている。


 それは、何度か向坂から聞いた家族の話で父親のことはよく話題に上る。特に家族に関する問題が彼女のパーソナルに暗い影を落としているという印象はない。


 だとすると最初に想像した「男子からのいじめ」という話の可能性が高いのか?


 たしかに男子からのいじめの程度によっては少女の心に深い傷を負ってしまうことはあるだろう。それが原因で極度の男性不審になってしまうこともあるのだろう。


 しかし、明確に説明はできないのだが俺が今まで接してきた向坂のパーソナリティーを想像してもどうもいじめが原因と言う気がしない。


 なんか違う……


 色々想像をめぐらしていると、ふとある結論に思い至った。


「そうか当時からあったのかもしれない」


 何があったかなんて言うまでもない。向坂の「魔性」だ。当時からすでに男子の視線を過度に惹きつけ、その視線に悩まされていたのかもしれない。


 しかし、この詮索は保留にしよう。このことはかねてからの懸案事項である「向坂モテ過ぎ問題」の核心に迫るヒントになり得るが、まずは「彼女は誰か」ということをもっと掘り下げてみたい。


 さて小学・中学でさっき坂田が見せた「母親からのともいえる目線」を思い浮かべてみる。もちろん母親ではないとすると、一番安直な推測は「先生」だろうか。それなら向坂の学生時代のことをよく知っていることとになり、向坂が男性不信に悩んでいたことを知っていても不思議ではない。


 しかし、向坂は咄嗟に「坂田先生」とは言わず「坂田さん」と言った。俺だったら卒業後もかつての教師に会えば「〇〇先生」と呼びかけると思うし、多くの人もそうだと思う。だから坂田が向坂の学校の恩師という線はない気がした。」


 だとすると?親戚という線か。


 年齢的には叔母さんということか。いや叔母という親類であればそのことを隠す理由は無い訳だから「古い知り合い」とは言わず素直に「叔母」として紹介するであろう。


 う~む!全くわからん。



 そうこうしている内に、向坂と坂田さんとの話は終わったようで、坂田さんが帰り際俺の席に来て声を掛けてくれた。


「邪魔してごめんなさいね」


「いえ、ただの暇つぶしでしたから」


 デートを邪魔してしまった風に言われたので、照れ隠しにそう答えた。


「雪菜ちゃん、櫻井君のこと頼りにしているみたいだから、彼女のこと支えて上げてね?」


「まあそう出来るようなんとか頑張ってます」


 坂田は向坂との会話で彼女が問題を抱えていることを感じたのかもしれない。


「いっそ付き合ったらいいじゃない?好きなんでしょ?雪菜ちゃんのこと?」


「えっ……っと……」


 なんだ、おのおばさん?!”いぎなり油断したは”まったく。


 ちなみに「いぎなり」は東北弁で「とても=very」の意味で「いきなり」とは似て非なる言葉らしいことを仙台在住の叔父教えてくれた。「は」を語尾に付けるのも特徴だとか。


「ま、まあ……そんな感じです……」


 この女性に隠し立てしてもあまり意味もないと思い俺は正直に答えた……と言うより、もうこの人にはとっくにバレている。そうだ、彼女からは俺と同類の匂いをこ感じたではないか。


「フフフ……がんばってね!」


 と両手でガッツポーズをして楽しそうに坂田は去って行った。



 俺は向坂の座る席に戻った。


 どこから聞いて良いものやら迷っていると向坂から話を切り出してくれた。


「坂田さん、私とどういう関係だと思う?」


「聞いてもいいの?」


「うん」


 田尻のサークル説明会の後、あの時は向坂はここで踏みとどまってしまった。おそらくその事への後悔があったのかもしれない。


 向坂はことさら明るくそう答えた。


 ただ肯定したものの、やっぱ少し迷いがあるようにも見える。


「無理すんなよ?」


「いいの。義人には知っていてほしいから。そうだ、あててみてよ?」


 無理して笑顔をつくる向坂に俺の心は揺らぐが、ここは向坂の努力を無駄にしてはいけない。




 俺はさっき予想した、坂田さんの”母の視点”から小中学生時代の関係者で、先生でなくて叔母でもなくて……という話をした。


 男性不審の話題だけは敢えてしなかった。


 すると向坂は心底驚いたように目を丸くした。


「いや、やっぱ義人は凄いね。ほぼ当たってる」


「でも、それだと結局誰だか結論出てないんだよね」


「その先は、難しいだろうなあ~」


 存外に向坂の表情は明るかったので、別段この話題を探られることが嫌でないようだ。


 おそらくあの女性との思い出も決して悪いものではないのだろうと思った。


「向坂のその様子だと精神的に支えてくれた人には違いないよね」


「そう、とってもお世話になった」


「だとすると、近所のおね~さん、昔は美人だったとか?」


「はずれ。だって坂田さん49歳よ?私が中学の時も既におね~さんではないし。美人だったかどうかはノーコメントだけど」


「それコメントしちゃってるから。可哀そうな坂田さん」


「ははは……」


「だとすると、ピアノの先生?」


「ブブ~」


「書道の先生」


「ブブ~」


「……というか先生じゃないってさっき分析してたじゃない?」


「そうだったなあ~・・・じゃあ孤児院の先生」


「だからまた先生になってるし、私が孤児じゃないの知ってるでしょ?」


「ええ、知ってました」


「もう、当てる気ないでしょ?」


 バレとるなあ。ここは深入りせずに適当にごまかすのがやさしだろう。


 そろそろ流れを変えないと。…


「問題児”雪菜ちゃん”につけられたカウンセラーだ」


 思いっきり冗談のつもりで言ったのだが……


 そこで向坂が黙ってしまった。


 やべ、ビンゴかよ?


 ビンゴなのか?


 さっき見せた坂田の「同類」を想起させた表情を思い出して「しまった」と思った。


 向坂のカウンセラー。そう聞いて色々なピースがことごとく埋ってしまうことに俺自身が動揺してしまった。


「ああ~バレちゃったか」


 悲しそうに、ただちょっとホッとしたように向坂はつぶやいた。


「私ね……ちょっと色々と難しい子供だったんだ」


「無理して話さなくてもいいぞ?」


「いいの。もう聞いて。あ、でも両親に虐待されたとか、学校でいじめられてたとかではないの」


 何となくそうではないと思っていたが、それでも向坂の口からそう説明されて俺はホッとした。


「じゃあ、なんで?」


「私さ……義人と始めたあった時、義人がオカルト好きなんじゃないかって言ったの覚えてる?」


「ああ勿論。あの後、メッチャ気まずくなって参ったよ」


「そうよ、義人が急にキレて……私も結構ショックだったんだから……」


「いやキレてないから」


 ってまたあの芳香剤に似た名前のレスラーみたくなってんじゃんかよ……あれは消臭力。


「あれはね、義人のことバカにした訳じゃなくて私もそうだったの」


「え?まさか向坂もオカルトマニア?!」


「う~ん……私の場合はもう少し深刻かな」


「え?どう言う事?」




「実は私、視える娘だったんだよね」


「え?視えるって……その、霊的なヤツか?」


「う~ん、まあそれが霊なのか幻覚なのか私には分からないけど。少なくとも幼い私には視えているものと現実の区別はつけられなくて周りの人から気味悪がられてた」


 そういうことか。


 普通の一般家庭なら子供が「霊や幻覚が視える」と言えば精神病を疑われ精神科に連れて行かれるのは必至だ。そこで坂田に会った。そして真面目な向坂のことだ。自分でもそれを突き止めるべく心理学を勉強し、そしてミンデルに、田尻にたどり着いた。


 まあ向坂の心理学のスキルはこのことを探求するレベルをとっくに突き抜けて学者を目指すレベルなんだが。ホントお前、モデルと学者とどっち目指すんだよ?向坂の場合両立しそうだから恐いんだよな。




「それで、まだそれは続いているのか?その霊が視えるとか」


「ううん、それはもう全くなくなった」


「そうか」


「坂田さんのおかげで治ったの」


「そうなのか?」


 それを聞いて少しホッとした。カウンセラーの坂田の治療で見えなくなったという事は向坂が見ていたのはきっと「幻覚」だったという可能性が高そうだ。


「ええ……坂田さんが、命がけで救ってくれた」


 向坂は「命がけで」という表現を使った。


「そんな大げさな!」と俺は思わない。


 これは俺達「深層心理学」を知る者にとっては、比喩でもなんでない「文字通り」の意味を持つことを知っている。


 人間の心は皆が想像するよりも闇が深い。その深みにはまってしまった人間はなぜか命に関わる危険を引き寄せてしまう。


 そんな人間を「現実世界」に引き戻すには、血を見る程の壮絶な「闇」との闘いになる。


 どういう理屈かは分からない。しかし他人の闇に深入りしすぎると、いろいろな偶然に巻き込まれて命を落とす人間が多くいると解説する深層心理学の図書を多く目にする。


 目の前にいる向坂からは男性を惹きつけすぎる「魔性」があるにしても表向きは「闇」を感じることはない。つまり坂田が「闇」から向坂を救い出したのだ。


 文字通り命がけで。


 俺はそんな坂田の命がけな、壮絶なカウンセリングの姿を想像し身震いがした。


 あの優しい眼差しで向坂を見つめる坂田……


 彼女の全人格、全人生を掛けて向坂にぶつかっていったに違いない。坂田が命がけで彼女を救ってくれたことに今更ながら感謝の思いで胸が熱くなった。




 ここまでの理解に達したところで、ついに最後ピースがピタリと埋った。


「残党か」


 そうつぶやいた俺に、向坂が驚きの表情をした。


「義人、田尻先生もそう言ってた」


「そうか、田尻は一瞬でここまで見抜いていたか」


「あの日、すでに田尻先生は私の異性を惹きつけすぎる”魔性”に気付いていた。でもその理由を聞いても私には分からなかった。ただ残党がいると」


 とまどいながらも向坂は俺にそう話してくれた。


「その残党って何のこと?」


「坂田さんが取り逃がした闇が残っていたという意味だ」



 向坂は、目を大きく見開き、俺の顔を見た。


 向坂にはこれで十分通じたようだ。

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