第6話 ある男の業 Ⅵ

 言葉をかけられた瞬間、大切な家族が無事だった安堵感。


 これまでの不安と悲しみが合わさった様々な感情が一気に膨れ上がる。


「足、すぐに戻す」


 そう言って手をかざしたイェフナの背後から、鎧を修復させたゴウレムが再び腕を伸ばす。


「危ないっ!」

「……集中させろ」


 男が咄嗟に注意を呼び掛けると、イェフナは振り返って迎撃した。


 巫女の血に従って出現する柱。ミトロスニアの業を注がれた十一の柱がゴウレムを打ち抜き、全身を粉々に破砕した。


「ごめん、待たせたよな」


 目を閉じて集中し、男の足に手を触れるイェフナ。


 原形鋳造を施して、業欣が纏わりついて変質した男の両足を元の形に戻す。


 男が全霊をかけた鋳造術を造作もなく、たった数秒で完璧にやり遂げてみせた。


「本当に、無事でよかった……」

「誰かさんに貰った、このお守りのおかげだぞ」


 懐から取り出した、特徴的な見た目の鋳物人形。イェフナは微笑むと、男にそっとお守りを手渡した。


「これがあれば、一人でも無事に逃げられる」

「なに言って――っ! 一緒に逃げよう!」


「グランドマルクティアはまた再生する……。何人か系譜がやられちゃって、アレクセイは陛下とアヴケディアの安全を優先してるんだ。だから、あたしが頑張らないといけない」


「でも、そしたらイェフナが……死んじゃうかも、しれないだろ」


 二人で逃げても、ゴウレムから逃げきれる保障はない。


 それにイェフナには律業の巫女として、マルクティアに住む人々を守る役割があるのだ。


 それを放棄することはしないと分かっている。


 分かってはいるが、やっと再会できた大切な存在を置いて逃げるなど、出来るわけがない。


 死なせてしまった女性の亡骸。自らの無力さで救えなかった者を見て、男は声を震わせる。


「オヤジさんと約束したんだ、イェフナを守るって!」

「……ごめんな」


 大きく脈打つガーデンの地面。虹の業光が、ゴウレムに流れ込んでいく。


「アレクセイの聖霊に掴まった時、すぐに助けてあげられなかっただろ?」

「そんなこと気にしてない!」


「でもあの時、あたしは家族じゃなくて、陛下の意志を尊重した。その事実は変わらない」


 人型に再生し始めたゴウレムが再び、全身に寄せ集めの鎧を纏っていく。


「だから今、あたしは大切な人を守るために、力を尽くしたいんだ」


 イェフナはニット帽を脱ぎ捨て、男を庇う形でゴウレムと向い合う。


 律業の系譜、第一罪徒イェフナの周囲に白い光を帯びた風が吹き荒れる。


 腰に付いた革の収納機具から取り出した鑿状の刺突剣――律業の楔。そこに白い業光が集束していく。


 全身を修復し終えたゴウレムは、以前よりも巨大だ。


 ガーデン内の建造物の瓦礫や業光樹を取り込んだだけでなく、ミトロスニアの柱すら己の一部として鎧の補強に利用している。


「―――――――――――――――――――――ッ!!」


 轟く咆哮が男とイェフナだけでなく、ガーデン全体を震わせた。


「あたしは大丈夫だから、先に避難してくれ。ガーデンの外なら、叔父さんの結界で守られてる」


 男は目を閉じて思い悩む。遺体をこの場に放置してはおけない。


 自己満足な行為かもしれないが、男は亡骸を抱きかかえ、イェフナに声をかけた。


「分かった……少し離れた場所で待ってるよ」

「なにも分かってないぞ!?」


 思わず振り向いて指摘するイェフナ。


 続く言葉を遮るよう、ゴウレムの胸部に形成された発射口から、瓦礫の塊が撃ち出される。


 その軌道は明らかにイェフナではなく、男を目がけて撃たれたものだった。


 イェフナは咄嗟に右手をかざし、数本の柱を盾がわりにして防ぐ。


 尚も続けて発射される瓦礫の弾丸を柱で受け止めながら、男に対して語気を強めた。


「いいから逃げろ! 大切だから死なせたくないんだ……離ればなれに、なりたくないんだってば!」

「ボクも同じだ! だから最後までずっと、絶対に傍にいてやる!」


 ただの意地と我儘。だけど、大切な人と離れたくない。


 こんな状況なら尚更だ。最悪の結果、命を失うことになっても、その瞬間まで男は一緒にいたいと思った。


 砕かれようとする柱の影で言い争った二人。根負けしたのはイェフナの方だった。


「……そう、だったな。昔からずっと、変なとこでガチになる、頑固なやつだった」


 微笑むイェフナは、男の覚悟を受け入れてくれる。


「……ちゃんと見守ってるんだぞ?」

「当たり前だ」


 そう言って距離を取り、男はイェフナを見守っていく。


「……この姿は、見せたくなかったんだけどな」


 白い業光が満ちた律業の楔を、イェフナは左の手のひらに突き刺した。


 風で乱れた前髪から覗く額の火傷痕。埋め込まれた巫女の血昌が輝き、王冠のような白光をイェフナの頭上に形成していく。


「あたしは偽りし王冠。擬制のうえに成り立つ権威だ……」


 左手に突き刺した刺突剣の柄を握り、律業の系譜は自らの業の象徴を清める。


「その業を、聖煉するぞ」


 手首から広がっていく石化現象。全身まで行き渡り、イェフナの身体は物言わぬ彫刻と化した。


 頭上に光の王冠が形成されたイェフナの彫刻。


 唯一生身で残る、律業の楔に貫かれた手のひらからは血液が滴り続けている。


 イェフナの彫刻を介して、形を成していく白い業光。


 額に特徴的な刻印を宿す、神聖な存在となった律業の系譜は、純白の衣を纏い顕現する。


 聖煉者の神名は『聖煉イェフナ偽りし王冠ミトロスニア』――


 業の柵から解放されたイェフナ・レーヴンが新生した姿だ。


「――ガチっていくぞ――」


 初めて目の当たりにした神々しいイェフナの佇まい。


 厳かな雰囲気を目の当たりにして、男は目を離せなくなる。


 ゴウレムは距離を詰めると、またしても男を狙って握り拳を打ち下ろす。


 イェフナは間に割り込むと、片腕でその一撃を受け止めた。


 地面が抉れるほどの強烈な威力。完全には押し止められずに潰されたイェフナの全身数か所が欠損してしまう。


 だが平然とした表情でゴウレムを見上げながら、失った身体の一部は元通りに復元されていった。


 ゴウレムと同様に、聖煉化したイェフナにとって肉体の再生は容易いらしい。


 直後勢いよく跳躍して巨大な手に飛び乗り、大樹の図式を模した剣を振り下ろす。


 虹色の業光が霧散し、崩壊する瓦礫の鎧。そのまま立て続けに鎧を破壊して業光を消滅させていった。


 大地の魔神は空気を割る程のうめき声を上げて悶えると、その余波で崩れた瓦礫の塊が辺り一面に降り注いでいく。


 それすらイェフナは男の元に届かぬよう、十の光球を剣から展開させ、盾として安全を守る。


「――イェフナを、見てない――」


 盾のように展開した光球を、輝く刺突剣を軸に集めていく。


 大樹を模した図式に広がった十一個の光の球。


 その中で強く発光する白い球に業光が集束していき、剣先に留まった。


「――大地に繁栄をもたらす神が、人間を淘汰する。まぁ、当然の摂理かもな――」


 ガーデンに垂れ込めていた夜空の闇を、より濃くしていた暗雲。


 雲に隙間が生まれ、合間から広場に月の光が差し込んでいく。


「――だけど、それでも……イェフナは、あいつが大事だから……守る、守るんだぞ――」


 律業の楔をゴウレムに向け、新生したイェフナは聖煉なる力を振るう。


「――セフィライト・リキャストル――」


 剣先から解き放たれた光球。輝く白光がゴウレムの元に届くと、白い業光の柱が天高くへ昇る。


 聖煉な力に呑み込まれたゴウレムは、ようやく活動を停止させた。


「――私達の約束、守れなくてごめんなさい……――」


 胴体だけを残し、大地に伏したゴウレム。


 それを確認すると、『聖煉・偽りの王冠』は光と共に消えていった。彫刻となったイェフナも元の姿に戻る。


「……あはは……あたし、ちゃんとあたしのままだ……」


 苦しそうに息を吐きながら、その場に手をつくイェフナ。


 地面に溜まった血液が、時間の経過を物語っていた。


 多くの血を失った影響で、立ち上がるのも困難なようだ。


 決死の覚悟で役目を果たした少女。そんなイェフナを、朱い瞳の怪物が見つめていた。

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