第2話 ダエワの王政復古①
街道に沿い橋を渡り、堤防を上まで登ると、眺めが一気に広がった。
「おおお!」
泥まみれの女……マルファは、軽めの感嘆の声を上げた。
風で麦穂が揺れている。
果ての見えぬ一面の麦畑。
ところどころに溜め池が見えるか。高低差は、この辺りにはほとんど無い。
そして麦畑の彼方に見える城塞都市。
その城壁は、樹海の木々の高さに負けていないだろう。日干し煉瓦作りの城壁には、ところどころに、星を模した
またところによっては、巨神や竜を……マルファら、竜崇めの民からすれば腹立たしい事だが……天より降り注いだ星が、撃ち斃す姿が刻まれている。
それらが、見渡す限りとはいかないが、その半分ほどは続いていた。
さらに城壁の向こうにそびえる塔……確か星見の塔のはずだが……は、樹海すべてを捜しても、比肩するモノがあるやなしやと言う高さだ。螺旋を描くそれは、その中ほどに、いくつもの、神殿とも見える館を備えている。
それに及ばぬにしろ、いずれも空へと突き出された尖塔は、都の中に数多ある。
史書に名を刻まれたダエワの都。
この世のすべて。千の塔の町。魔法の都。知識の巷。帝国の揺籃地。大河レイティノアのほとりに築かれた巨大都市。
人が造ったとは信じがたいが、人以外には造れぬ代物でもある。
「なるほど! これはたいしたものよ! なるほどなるほどこの世のすべてよな!」
マルファの背後から声がした。
彼女がつつましく、軽めに抑えた感嘆の声を、なんの遠慮もなく上げた男が居るようだ。
嫌味の無い率直さを感じさせる声だ。
ただ、頭の軽そうな感じはしない。相応の見識があり、すぐには驚かない人物が、それでも抑えきれなかった、と言うような。
「そう思わないかよ? 姐さんよ」
「……うー……」
と、思ったのだが、前言撤回すべきかもしれない。
その人物は、特に反応無く歩を進めていたはずの彼女に、ごく当たり前に声をかけてきたのである。まあ他に話す相手などいない、と言うのもあるかもだが。
――むむう。どうする?
マルファは、ほんの一瞬だが考えた。
すぐに、こういう手合いを無視すると、いらんトラブルになる可能性が高い、と結論づける。相手をすべきだ。
まあ応対したら応対したで、トラブルを起こす……こともある……のが、この手のなれなれしい輩だが、回避の努力をしたうえで、嘆こうではないか。
意を決し、顔向けすることにした。
なお、歩は進めたままとしよう。
ついでに、トラブルに備え、幅広の袖の中で
そうして振り向く。
見上げる。
「でかっ!」
率直極まる声が出てしまった。
こうなると、あまり人の事を、とやかく言えないかもしれない。
男は気に留めた風もなく応じた。
「よく言われるのだよ」
まあ当然かもしれない。
マルファも、性別のわりに背丈のある方なのだが、この男はそれでもなお、頭二つ分ほど上なのだ。顔立ちこそ品位があるが、熊のような、と言うのが率直なところだ。
褐色の肌に薄い髭。乱れた総髪に野趣を感じる。素朴な、毛皮の前開き外套を身にまとう一方、黄金製と思しき腕輪やボタンをいくつもつけていたりもする。
史書に曰く。ファルワードに、黄金をことのほか好む民は二つある。スキト人とグチ人である、と。
――グチ人か。
そのように見当をつける。
スキト人は、ここからはるか西……
一方のグチ人は、たった今わたった橋がかかっていた、
遠いと言えば遠い。歩けば七日はかかるだろう。だが、実のところマルファの故郷の
ただし……
「……む! 貴公、斧は?」
「見ての通りよ。姐さん。持ってはいない」
「
「いかにもだよ。グチの民の一つ、テペ氏族はトウン家のアクルと見知り置かれよ」
男は昂然と応じた。胸をそびやかし、右拳でたたく。
史書にまた曰く。成人と認められたグチ人は、家長より斧を贈られる。彼らはそれを誇りとする、と。
だが、目の前の巨漢は、持ち合わせていない。
どう見たところで、正式な氏族の一員として、人品、力量、共に不足があるようには見えないのに、だ。
「ふうむ。わけありか?」
「兄貴といささかよ」
男は答えた。まず平静に見える。
それでもマルファは言う。
「そうか。細かい事は聞くまい」
思ったのだ。つまりはお家騒動の類で、氏族から追放でもされたのか、と。その結果には納得している様子だが、むしかえされて面白いモノでもあるまい。
アクル・トウンは鷹揚に答える。
「ああ。助かるのだよ」
「うん。その上で言おう。貴公、こちらもわけありだ」
「細かい事は聞くなとよ? 心得たよ。まあお互い様だが、一人身で故郷を離れると言う事はなあ……」
話はとんとん拍子に進んだ。
やはり頭はそれなりに良いらしい。
野蛮と風評のあるグチ人だが、すくなくともこの男に限って言えば例外なのかもしれない。無論、旅経た結果の塵やホコリは、万遍なく身体を覆ってはいるが。
――ふむ。テペとかトウンとかまでは知らなかったが、高名な氏族、身分ある家柄と憶えておこう。
分析を、進めたところで気がつく。
こちらは名乗っていない。
「おおう! 失礼をいたした! 私はマルファ。
自己紹介をする。しれっと嘘を混ぜる。
ちなみに、本当は
偽ったのは、聞かれては困る細かい事に因る。まあこちらが、テペ氏族だのトウン家などまで知らなかったのと同じように、細かすぎて知られていないだろう、と思わなくもないが。
「……クルガン
だかアクル・トウンは眉を寄せた。
クルガン人は、
なお別名を、竜崇めの民と言う。各氏族は、それぞれ守り神とする竜を崇めているからだ。
とは言え、どこに眉を寄せる要素があったのだろう?
マルファの側も眉を寄せた。
「む? なにか?」
「クルガン人に、泥を被る風習なんかあったかな、とよ」
「ぐ! 細かい事は聞くな、と私は言ったな?」
確かに、マルファは泥まみれである。
自分の事なので、視界には入らない。つとめて気にしないようにしていたが。
まあ手足や髪の毛のソレが、カサカサしてるのは感じ取ている。
でも奇習ではない。クルガン人を変な目でみてほしくない、とか思う。
実のところは、単に、船に乗って大河レイティノアを下っていたら、船員どもに襲われそうになったので、河に飛び込んで逃げたから、である。
泥まみれなのはそれが原因だ。
まあ、この時代の一人旅なら、よくある事と言えよう。
ちなみに、先に橋で越えた
――さて……
マルファは思案する。あの船員どもはロクデナシだった。この巨漢は信用あたうであろうか、と。
ここまでの感触だと肯定だが……
「…………」
「…………」
アクル・トウンは難しそうな表情で沈黙した。
彼女の側も沈黙を返す。
その状態がしばらく続く。
「……しかしデカい都なのだよ」
と思いきや、巨漢は露骨に話題を変えた。
無論、マルファも応じる。
「まあな。あれがダエワの都……」
史書に曰く。ダエワの都は、ファルワードの東、大河レイティノアの中流域に在る。
東の
北の
南の彼方のセナプス人は、象牙に黒檀、香木を、はるばる
また、西方に住む練達の船乗りたちであるキナフ人は、海の彼方の……鉄剣王国、錫の島、香料諸島より様々な珍品を売り込みにきていた。
すなわち、この世の富の集まる都である。
赤い肌のダエワの民が、この世のすべてとうそぶく都である、と。
「なるほどなるほど、言うだけの事はあるともよ」
「うむ。貴公に同意する」
他愛のないやりとりをしながらも、歩みを進める。目的は都を眺める事ではなく、たどり着く事。もちろん着いたら着いたでなすべき事はある。
麦畑の中の道を進んでいる。
時に、いくつかロバにひかれた荷車とすれ違う。荷は様々だ。畑にまくのだろう水の入った
また時に、麦畑の合間に、土地の区分けをしているのだろう、石碑が立っているのを見る。
「いやはや。ようこそ。この世のすべてへ」
そんな声をかけられたのは、そうした石碑の前を通った時だった。
そいつは、石碑にもたれかかり座っていた。
あごに手などやりつつ、興味深げで楽しげな、そんな様子でこちらを見ている。
そいつは、星と天の川の刺繍が施された、フードつきの膝下まである袖無し外套を、目深く着込んでいた。
その裾から見える肌は赤。
ダエワ人。星を観る民。己が都をこの世の全てと驕る者。
――……むう? この格好は……
マルファが、こっそりと息をのんだ時だ。
「なぜダエワの賢者様が、城壁の外で座り込んでいるのだよ?」
アクル・トウンが真っ直ぐに、疑問の程をぶつけていた。
そう。その服装は、ダエワ人の賢者身分の物だ。後の世では、俗世を離れた隠者に好まれることになるスタイルである。簡素に見えるが質は極上。
賢者、書記、平民に、異国の民を挟み奴隷。そして枠外の王家。
それが、ダエワ人の
星を観て、星から力を引き出す魔法の使い手たち。
かの都で、実質的に最上位身分にある高貴なお方の一人が、なんで郊外の道端くんだりに座り込んでおられるのか。
「うん、それはですね……」
そいつは、立ち上がった。
ばさりとローブが音を立てる。フードが外れて、その顔が露わになる。
圧が来る。
他所で見かけぬ銀髪と赤肌をのぞけば、まず麗人と言って良い顔立ちだ。長髪を束ね後ろに流し、知性を感じさせる顔だちを、身ぎれいにまとめている。
野趣を隠さぬアクル・トウンとは、異なるタイプの品位があった。
ただし、その黒い眼と表情には、隠す気のない自信と野心が見受けられる。
実力と実績に基づく驕慢、と言っても良い。
そんな賢者が、胸に手の平をあて語る。
「……それは、
「…………」
「…………」
沈黙を返す二人。
意味が分からない。それと道端に座り込んでいるのと何の関係があるのだろうか。そもそも、知りもしない単語を並べられても困るし。
名乗りが不発になったのは、本人も理解したのだろう。気を取り直すかのように指を振りつつ、補足の言を並べて行く。
「……つまるところですね、二十八賢人は官吏の束ねであり、それぞれに仕事を持っているのですよ。例えば軍の指揮統率、あるいは公的倉庫の管理保守、はたまた港の管理保守……」
「むむむむ。カンリってなんだ? 貴公は知っているか?」
アクル・トウンに問うマルファ。
巨漢は、頭をかきながら答える。
「おうとも。姐さん。もめ事を起こしたり、収めたりする奴等と聞いているともよ」
「さっぱり理解できん」
斬って捨てたら苦笑を浮かべられた。
巨漢は、本腰を入れて説明を始める。
「うーむ……
「長老衆と祭司衆の寄り会いで取りまとめる……ははあ、それをやるのがカンリか。だがそれ、貫目とかは足りるのか?」
「まあそこら辺は、逆らうと、ダエワの都が敵に回るぞ、と言う事になるんじゃないかよ? よく分からんが」
「あと、さっき、もろもろの管理保守がどうのと言っていたが……」
「誰の物でもないとか、皆の物であるとか言う土地は、クルガン
「あるな」
「そこに手出しする奴等を、追い散らすのは?」
「長老衆と祭司衆が若衆に……ほほう。理解できたぞ。しかし、貴公はくわしいな」
「受け売りなんで、感心されても赤面ものだがよ」
この時代、クルガンにもグチにも官僚制など存在していない。そう言ったモノが整備されつつあるのは、ダエワを含む大河レイティノア流域の都市国家群と、海の民たるキナフ人の諸国、そして鉄剣王国程度。人の領域の四分の一ほどにも満たない。後の時代の大国である錫の島も、ルンサ王国も、あるいはグラスレイ共和国も、いまだ人の手のはいらぬ樹海で覆われていた頃の物語である。
「……蛮族ども」
ファルワード中探してなお、最先端国家の賢者様は、ぼそりと悪罵を口にした。
マルファとアクル・トウンがそちらを見る。
「む? なにか?」
「なにかよ?」
しれっと賢者は話題をそらす。
「……で、ですね、
「マア、この人、研究畑が長いカラ、実務はからっきしなんですけどネ」
声がした。
それは良い。
問題は、だ。
「むむう!?」
「おう!?」
マルファも、アクル・トウンも、反射的に振り返る。
「……驚いたのだよ……」
アクル・トウンが、感嘆の声を上げる。
麦穂を背に、これはもう文句なしの美少年、と言う感じのダエワ人が居た。
赤肌に刈りそろえた銀の短髪。短めの貫頭衣にズボン、すねに布を巻きつけ、それらの上から短めの袖無し外套を羽織っている。携えているのは細身の剣だ。
それもまあ良い。
ただ、存在に、接近に、彼に声をかけられるまで、マルファもアクル・トウンも気がつかなかった、と言う事が恐るるべき、だ。
マルファの本職は、感性を問われる。
そしてアクル・トウンの方は、と言うと……
「まこと驚いた。お主は、山の獣どもより、明らかに身隠しに長けているのだよ」
……と、いうことであるらしい。野生の獣を相手に、感覚を磨いていたが、なおやり過ごされた、と言う事のようだ。
「ありがとう。自信になりますネ。グチの人よ」
巨漢からの満腔の称賛に、あまり有り難く思っていない様子で美少年が言う。
むしろ当然。あたりまえ。そんな感じに思っているのでは?
まあ賢者様もそうなのだが、そんな感じの上から目線は、ダエワ人の特徴ではある。謙虚なダエワ人などマルファには見覚えが無い。
「
賢者が名乗る。名を明らかにする。
エルク・バウトは肩をすくめ、付け加える。
「正直なところ、
「フッ」
シル・ウスルトも肩をすくめる。
思い上がりに聞こえかねない彼らの言を、しかしアクル・トウンは肯定する。
「いやいや、まことに見事な業前よ。ははは。胸が高鳴る。
「ふむ」
あごに手をやり、エルク・バウトは首を傾げた。
「卿はなにを求めて、この世のすべてに参られました? グチの人」
「求めて、と言うわけではないのだよ。賢者様」
敬意をあらわしながら、しかし巨漢は昂然と言う。
「
そしてシル・ウスルトに、称賛とまた別種の熱を籠った視線を向ける。
「そして早々に分かったのだよ。
「ふむふむ」
ダエワの賢者はうなずいた。
「では問いますが。
「願っても無い事よ」
「ははは。ちょうど我等の都がゴタゴタしていましてね。護衛は要りませんが、手駒は必要かな、と思っていたところでして、異国の人なら最適です。他所に所縁が無いですからね」
ほがらかに笑う。ただし銅臭と血臭がしなくもない。
そして賢者は、その野心に満ちた目をマルファに向ける。
「して卿は、なにを求めてこの世の全てに?」
そこで首を傾げたりする。
疑問の言を口にしやがる。
「クルガンの人?」
「うう……クルガンの人だぞ」
「
ええ、確かに泥まみれです。だが……
「ええい! それはもういいだろう?」
……マルファは強引に話を進ませた。
「名のある賢者の方ならありがたい。私は
「……ふーむ……」
エルク・バウトは目を伏せ、考え込んだ。
――むむむ。なにか不味いことを言ったか?
いささかの不安を禁じ得ないマルファ。
だがそれが限界点に達する前に、賢者は顔を上げる。
「まず申し上げておきます。先日の事ですが、フラース・マッジャール様は星界へ、星観のために旅立たれました」
それはダエワの言い回し。その人は亡くなった、と言う意味になる。
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