第3話 血迷ってるだけだって信じてる

 同級生の遊香が、わたしのお母さんと恋愛関係だった衝撃の事実を知ってから、一週間ほどが過ぎた。

 世界で誰よりも信頼していた友人の裏切り行為と、世界で誰よりも大好きだった母親の裏切り行為。

 いまでも全然納得がいかないし、なにかの間違いだって思っているけど、ふたりの気持ちは──お母さんの気持ちは真剣そのもので、娘のわたしですら、すぐに別れさせることが出来なかった。

 家族会議だって何度もした。

 朝晩の食事を拒否ったりもした。

 一方的に罵って、暴れて、そのたびにお母さんは泣きながら謝って、割れた食器を片づけてくれて…………わたしもひとりで毎晩泣いて…………それでもやっぱり、わたしだってお母さんには幸せになってほしいから、いろいろと強くいったり荒れることだけは、やめた。


 話し合いのなかで、デート費用は全額わが家の生活費から捻出されていることを知ったわたしは、家計をこれ以上圧迫されたくないから、とりあえず仕方なく、不本意ではあるけれど、おうちデートを黙認した。


 したよ、うん。たしかに。たしかに、しました。

 でもね、したからといって……これはないでしょ。


「ゆかりん、もうちょっと少し前に頭を動かして」

「ん」

「そうそう、ストップ。よく見えるようになったわ。痛くない?」

「ん。気持ちいいよ」


 娘の前で耳かきプレイ。

 お母さんが「最近してないわよね?」ってドッキリ発言したから、なんのことかと思いきや……これならまあ、ギリギリ許す。

 ちなみに、遊香は一緒にわたしと帰ってきたから制服のままだ。


「あっ、アイちゃんも後でやってあげるわね」

「いいって、それくらい自分で・・・出来るから!」


 遊香をにらみつけてやる。膝枕の上で目を閉じてじっとしているだけかと思ったら、母娘おやこの会話をきいて唇が笑うようにちょっぴり動いた。


(マジで、なんなのよコイツ!)


 我慢の限界に達しそうになってきたから、飲み物のおかわりをしに台所へ向かう。それに、ついでみたいな言い方をされたから傷ついて不愉快だし。


 ファミリーサイズのペットボトルをしまい、長いため息をつきながら冷蔵庫を閉める。気がつくと、顔を赤くしたお母さんがそばに立っていた。


「あのねアイちゃん、お買い物に行ってきてくれないかしら?」


 そういって、お財布と切り取られたメモを差し出された。



     *



 最悪の気分だった。

 こんな気持ちで買い物をしたことなんて、自分史上かつてない。

 わたしも子供じゃないから、ひとりで買い物へ行かされた理由も意味もよくわかる。だから尚更、頭にきていた。

 しかも買い物リストには、わざわざ遠くのスーパーで買うように指定されていて、行ったら行ったで、別に広告の品でもなかったから、近所のスーパーよりも高い値段で買う羽目になった。


「こんなんじゃ、結局お金がかかるじゃん……!」


 半分キレ気味に、ツナ缶の三個入りパックをカゴにぶち込んでしまった。



     *



「ただいまぁー」


 いつもより大きめな声で帰宅を知らせる。ほんのささやかな抵抗だったけど、玄関には遊香のローファーが無かった。


「お帰りなさいアイちゃん。お買い物、ありがとね♡」


 夕飯の支度を進めていたお母さんが、めっちゃいい笑顔で話しかけてきた。肌がツヤツヤで、〝満たされた感〟が半端ない。


「うん……ねえ、遊香は?」

「ゆかりん……遊香ちゃんなら、もう帰ったわよ♡」

「はぁぁ?!」


 そんなわたしの驚く声は、リズミカルな包丁の音でかき消された。

 あの野郎──やることやったら、すぐ帰るのかよ!

 やっぱり、ヤリモクでお母さんに近づいたんだ。これ以上遊香と会わせるわけにはいかない。なにがなんでも、別れさせてやる!


「お母さん、あのさ」

「んー? なぁーにぃー?」

「うん……あのね……」


 鼻歌交じりに上機嫌で調理するお母さんの姿を見ていると、なんだか切なくなって胸が苦しくなってきた。


 離婚してすぐに職場復帰したお母さん。

 炊事以外の家事も完璧にこなす、尊敬すべき立派な大人だ。

 お休みの日だって、自分のことよりもわたしを優先してくれて、買い物に付き合ってくれたり遊びに連れて行ってくれる。



 そっか……。

 そうだよね……。



「どうしたのアイちゃん? ウフフ、味見ならもう少し待ってて♪」

「……今度は一緒に、買い物へ行こうね」


 わたしは幸せを願う娘として、いいたかった言葉をあきらめて飲み込んだ。


「……うん」


 包丁の音が一瞬だけ止まって、ふたたび順調に刻まれてゆく。

 トントントントン、心地よいリズム。


 お母さん、本当にこれでいいの?


 まだ真剣に恋をしたことのないわたしには、その理由も意味もよくわからなかった。


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