隣のあいつ♡

東雲まいか

第1話 猫を拾う

私は友村めぐ、二十六歳。


 友人もそうでない人も、知り合いはほとんどが私をメグリンと呼んでいる。身長は百六十センチ。年齢の割に幼い顔をしていると人には言われる。今でこそそんなことは少なくなったが、二十代前半のころは、居酒屋へ入り酒類を注文すると怪訝な顔をされたものだ。目と唇の造作が丸いことが、年下にみられるゆえんなのだろう。


 その顔とは対照的に、意外と胸が大きい。これは客観的に見てもわかる。じろじろ他人の胸を見て比較したわけではないが、上から見てもくっきりと谷間がわかる。ブラジャーを付けると一目瞭然だ。だから、服は胸のラインが目立たない服を選び、他人の視線に晒されないよう十分注意を払っている。


 髪の毛は肩のあたりでさらりと流し、お化粧はごくナチュラル。そんな私は、親元から離れ都会で一人暮らしをしている。



 ここは都心からちょっと離れた町にある四階建ての雑居ビルの二階の一室。健康食品の会社のオフィスだ。オフィスと言っても一部屋に社員が五人と社長の合わせて六人がいるだけだ。向かい合った六つの机のうちの五つに社員が座り、社長はお誕生日席のように社員たちに目を光らせる形で座っている。


 私は高校を卒業後数年間働いていた会社をパワハラがもとで退社。それから一年ほどアルバイトで生活していたが、ひょんなことからこの会社に入社することになった。ここへ来てから五年が経とうとしていた。私も卒業後に比べると随分大人になった。この会社とて勤務時間は長く、いわば社畜として働いているようなものなのだが、それを除けばまあまあ居心地は良い方なのだろうと自分を納得させていた。


 社長は高山昇、三十代で会社を立ち上げたやり手で、いわばここはベンチャー企業だ。彼はバイタリティをまとったような人間で、疲れや、挫折や、失意と言った負の感情を感じさせない。全くないわけではないのだろうが、面には出さない人なのだろう。大学で経済を勉強し卒業後には他社で勉強した末、資金と様々な知識を得てこの会社を立ち上げたそうだ。


 創業から五年のまだ若い会社だ。それ故、商品開発に調査研究、販売、宣伝に至るまですべて自分たちでこなしている。社員たちは皆何でも屋として働いていた。


 今日もまた社長の怒号が飛ぶ。


「おい、今日中に新商品のチラシを作れ。薬局に売り込みに行くぞ!」

「手の空いてるやつはお茶でも入れてこい!」


 はい、はい、そんなに大きい声を出さなくても聞こえてますよ。二メーターぐらいしかないですから。


 彼は必要以上に大きい声をだす。いつものセリフがポンポンと大きい口から飛び出す。


 もうやってられないわよ。と辞めてしまえばいいと思われる輩もいるかもしれないが、なかなか他の仕事も見つけるのは難しい。皆社員として雇ってくれているので辞めずにいるのかもしれない。


 九時始業の休憩時間を引くと会社の規定では六時までの勤務だが、定時で帰れることはほとんどない。いや、百パーセントない。自信を持って言える。


 この日も時計を見るといつの間にか九時になっていた。


「じゃあ、あたしそろそろ失礼します」

「むむっ、もう帰るのか。今日の仕事は終わったのか?」


 社長は、不愛想に言う。


「はい、今日のノルマは終わりましたので、ではお先に失礼しまーす」


 余り会話をしていると、余計な仕事を振られるから目を合わせないようにして帰る。


 は~あ、疲れた。この時間でもう帰るのかって、もう帰りたいですよ……。お腹すいちゃった。何か買って帰ろう。


 よく立ち寄るコンビニに入り、弁当を買う。


 あ~あ、また同じようなお弁当を買ってしまった。最近唐揚げ弁当ばかり買っている。栄養が偏ってしまいそう……。


 店員がちらちらとこちらを見ている。自宅までの道のりをてくてくと歩いて行くと、次第に薄暗くなっていく。自宅までは早足で歩いてに十分ほどだ。


 自宅のアパートは三階建てで、我が家は二階にある。アパートの外階段を昇り歩いて行くと、「アーアー」というような鳴き声のような、笛を吹いているような音がしている。


 何、この声は? ひょっとして、赤ちゃん。捨て子!


 警察に連絡しなきゃ! 


「ア―アー」


 再び声が聞こえてきた。あら、家の前で声がしている。玄関の真ん前に真っ白な生き物が丸くなっている。人間じゃなかった。


 何だろう?


 その小さな生き物は玄関の前にうずくまってこちらをじーっと見ている。こんなジト目で見られたことはない。目が合うと何だお前はだれだ、という顔つきになった。全く視線を逸らさず眺めている。こいつどんな奴だ、と品定めをしているようにも見える。


 そしてまた次の瞬間、「ア―アー」と言った。それは、すくっと立ち上がってこちらへ一歩近寄ってきた。子猫のくせに、生意気な顔つきをしている。


「ミイイイイイーー! ミイ!」


「なーに、あんた」


 猫の声は大きくなった。


「ちょっと静かにしなさいよ。近所に聞こえるわよ」


 手を差し出すと、ぺろりと舐めた。


『よし、合格だ』


 猫は、私の足の周りをくるりと回り、今度は足をぺろりと舐めた。


「可哀そうに」


 私は自分と同じような身の上のその猫を抱き上げた。真っ白だと思っていたその猫は、眼のふちだけが黒くなっていて、まるでパンダのような顔をしていた。


「ぷっ、パンダみたい……」


 私は、笑いがこみあげてきた。放っておく気になれずその猫を連れて鍵を開けた。


「あんた誰かに捨てられたの?」


 すると今度は「フガー!」と鳴いて手にすり寄ってきた。コンビニ弁当を広げ食べだすと、「フーッ!」と睨んでいる。


「分かったわよ、唐揚げ一つ分けてあげるから」


 小さな皿にから揚げひとかけらを乗せると、喉を鳴らして食べた。食べ終わってからもこちらをじっと見ているので、その皿の中に牛乳を垂らしてあげた。


「しょうがないわね。ここに住むことにする?」


 すると、足元に寄ってきて体を摺り寄せた。


「よかったね。ここ猫を飼ってもいいことになってたから、一緒に住めるよ」


 今度は「ミャア」と鳴いて、ベッドに飛び乗ってきた。


『広い部屋ではないが、まあ居心地は悪くない。こいつの足にすり寄ってるとふわふわの布団のようだ』


 あらなあに、またミャアミャアいってる。


「あたしが拾ってあげて喜んでるようね」


『こいつ一人で住んでるんだ。しかもこんな遅く帰ってくるなんて、可哀そうな奴だ。俺が来てやったらこんなに喜んでる。これからたくさん甘えてやろう』


「まあ、喉を鳴らしちゃって、可愛いじゃないの」


 食事が終わったら、私は風呂に入ることにした。


 部屋で服を脱ぎ下着だけになり風呂場に向かう。一人暮らしだから誰はばかることなく、いつもそうしている。今日は猫が見ているが、別に猫だから気にはならない。赤ちゃんではないが、結構幼い。


「あら、猫ちゃん。名前がなかったわね。何がいいかしらね。迷子の子猫ちゃんにする? チョット長すぎるわね」


「フ―ッ」


 猫は唸った。そんな名前じゃいやなのね。子猫を片手でひょいと持ち上げてお腹の当たりを見た。


「男なのねえ。じゃあプリンスにしよう。思いきりかっこよく。あんたはプリンスで私はプリンセスってわけ」


『プリンスってのは、美味しい食べ物の名前か? かっこいいのか?』


 私は、プリンスを持ち上げて胸のあたりで抱きしめた。ブラジャーの胸にプリンスがちょこんと乗っかり、大きな胸に小さなふにゃふにゃの両手を乗せている。


「まあ、プリンス。大人の男には触らせないけど、あんただったらいいわ」


『結構大きい胸だな。手を乗せているとふにゃふにゃして触り心地がいい』


 お風呂に入り、湯船に入ると自然と歌いたくなる。


 プリンスは、風呂の前で丸くなってメグリンの歌を聞いている。一日中さ迷い歩いていたから、疲れが出て来た。


「あらあら、あたしがお風呂から出てくるのまってたのね」


 両手で抱き上げてソファの上に乗せた。


「あ~あ、今日もこき使われて疲れたわ。お休みー! プリンス、ちゅっ」


私は、ベッドに入りバタンと眠ってしまった。


 朝起きると、プリンスはベッドの上で丸くなって寝ていた。いつの間にかベッドに乗っかっていたのだ。道理で重いと思った。


「よかったね、プリンス。あたしが拾ってあげて」


『親とはぐれて迷子になっちゃったけど、ここに住むことにしよう。この娘も一人だったようだし、丁度良かったな。メグリン』


そんなこんなで、一人と一匹の生活が始まった。

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