演技
最後の演奏を終え、オーケストラ団が一礼し、惜しみない拍手が送られる。
舞踏会も終わりの時刻が近づいてきたのだ。
皆、ほっとしたのように、表情を和ませ、談笑や商談に励んだ。
だが、ダンスホールを見下ろすことのできるバルコニーから、とある人物が降りて来た時、再度空気が引き締まった。
数名の護衛の黒服たちが囲むのは、数多くの勲章を携えた藍色を貴重とし、金の刺繍が施された豪華な服を着た男……上品なお召し物をしているが、どこか着せられている感があるのは、その男の体形がだらしないからだろうか?
とにかく、その男はシルヴィアを認めると、一瞬、にたりとした笑みを浮かべるも、すぐに表情を戻し、恭しくお辞儀をした。
「ご挨拶が遅れて誠に申し訳ありませぬ。
ご機嫌麗しゅう、姫。
私が、神聖リストニア王国が宰相、ニムバス・アイロットでございます」
「……ご機嫌麗しゅう、ニンバス閣下。
私がトリスタン王国、女王、シルヴィア・ヴィ・トリスタンでございます」
王国といえど、それは昔の名残。
この国、リストニア王国では選挙によって選ばれた代表、宰相が政治を取り仕切る。
だが、このニムバスという男は、シルヴィアを敢えて姫と呼ぶ等、あまり紳士的では無いようだ。
選挙で選ばれたと言っても、選挙に参加できるのは、わずか3%を占める上流階級層だけなのだ。紳士的なわけが無い。
シルヴィアが淑女かと問われれば……。
ともかく、シルヴィアは、ニムバスの挑発を受け流した。
しかし、そのことはニムバスを調子づかせることになった。
この男は、シルヴィアを陥れようとしていたのだ。
ニムバスが指をパチンと鳴らすと、彼の手下たちが一斉にシルヴィアを囲む。それに対して、ジークがシルヴィアを庇うかのように前に歩み出る。
「邪魔だ、退け。下僕」
「……ジーク少佐は、私の大切な部下です。これは一体どういう狼藉なのか、お聞かせ願いますか、ニムバス閣下」
「ククク、何、ちょっとした親切ですよ。
わざわざ、トリスタンから、海を越えていらっしゃってご苦労でしたな、姫。
しかしながら、どうやら嵐になりそうだ。
貴方の国、御自慢のお船でもこの嵐は超えられまい」
「嵐どころか、小雨も降っていないようですが。
……一国の代表を拉致監禁でもするおつもりですか? 」
「ちっ……下手に出れば偉そうに、小癪な女だ。
状況がお分かりでは無いようだ。
確かに、貴女に手を下すと厄介になりそうだ。
だから、貴女には特別に用意したVIPルームで暫くお休みになってもらう。少しばかり、条約の件などでお話したいこともありますので。
だが、この私の部下に取り囲まれた、たった一人の冴えない護衛ならどうでしょうか?
これが消えたところで、世界が騒ぐとでも……?」
「まさか、貴方はジークさんを人質に!?」
「ククク、ジークさんねぇ……少佐の分際で、姫と関係を持つとはとんだ不届きものめ。
どうだ、私の国の軍隊で鍛えなおすというのは?
そうだ、そうしよう。お前みたいな一兵に決断権なんて無い」
「私の大事な部下を勝手に――!」
「ええい! いい加減、うるさい!
おい、姫をお連れしろ! そのメイドもだ!
……何、姫が我々に従順になってくれれば、彼もすぐ戻ってくることでしょう。
連れていけ!」
「陛下、お付きの方も、どうぞ此方へ」
「離しなさい! ジークさん!……ジークさん!」
周囲の人々は大きくざわついた。小説の中のようなドラマチックなことが今、まさに行われているからだ。
宰相の命令に応じた女性士官に、腕を掴まれ連れて行かれる哀れな女王シルヴィアとメイドのエリー。
そんな彼女の声を聞きながらも、何もできずに、身体を震わせ、俯いたままのジーク少佐。
なんて、哀れで、危機的な状況なのだろう。
だが、今、此処で起きていることは全部茶番だ。
シルヴィアの演技は、彼女の本性を知らない全てを騙しきることが出来る。
エリーはシルヴィアのように器用なことは出来ないが、黙っていればか弱い少女にしか見えないので、それもまた演技だ。
一番酷いのは、この男だ。
顔を俯かせて、身体を震わせているこの男。
彼は演技なんてしていない。
ならば、自分の無力さを嘆いて? これから自分の身に降りかかる理不尽に恐怖して?
まさか、こいつは笑いを堪えているだけだ。
しかも、失笑。一国の宰相の目の前で、失笑。
そんなこともつゆ知らず、ニムバスはこの光景を見て、心底勝ち誇った笑みを浮かべた。
勝敗なんてまだついていないのに。
今、ようやく、お互いに銃口を向けあったばかりだということを、知らずに。
「さぁ、お前はこっちだ」
ジークは特別扱いはされないようだ。
屈強な黒服に腕を掴まれると、強引に外へと連れて行かれた。
外は既に夜中で、薄ら寒かった。だが、月明かりや、街頭の明かりがこの国を照らしてくれていた。
この国にシルヴィアたちが、招待されて三日。
様々な場所を紹介されてきたが、この国にある、どうやっても目に入る最も異質なものは紹介されなかった。
この国と何かを隔てる。高くて、幅広いもの。
「……壁か」
とある一面を隔てる巨大な壁。
ジークは、それを見て呟いた。
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