束の間の平和
「オレリアの危機は去っても、魔王の危機は去っていないわ!」
はい。
「この乙女ゲームはあーるじゅうごで、きわどいスチルがいっぱいあるの。それだけの仲にならないと魔王は消えないのよ! ……ってことは、それだけの仲になれば、逆にお兄様から魔王の心を追い出せるんじゃない!?」
ということで、私たちはまたしてもアデライトにやらかされてしまった。
「……何度目だ、こういうの」
嵐の夜から数日が過ぎ、私の傷もすっかり癒えた今日。
私とアンリは、アデライトによって離宮の一室に閉じ込められていた。
離宮は離宮でも、私たちがいるのは別館だ。
別館三階。普段はあまり使われない客室を見回し、アンリは呆れと慣れの混ざるため息を吐く。
「ここ最近、ほとんど毎日どこかに閉じ込められているぞ。……まあ、いつも大事にならないから俺も気にしていなかったが」
アンリの言葉に、私も苦い顔で息を吐く。
昔から、なにかと私たちを二人きりにしたがるアデライトだけど、ここ数日は特にひどい。
アンリの言う通りほぼ毎日、二人になった瞬間を狙って閉じ込められていた。
そしてこれもまたアンリの言う通り、いつも大事にはならないのだ。
「人の出入りの多い部屋に閉じ込めるので、すぐに誰かが開けてくれるんですよね……」
緊急事態の離宮において、二人でゆっくりする時間はない。
顔を合わせるのも短時間。場所は医務室や食堂で、他の用事の合間に言葉を交わすくらいだ。
アデライトは、そこをすかさず閉じ込めて、私たちを二人きりにする。
だけどもともと人の使う部屋。すぐに誰かがきて鍵を開けてくれていた。
何度失敗しても、お説教をしても、しかしアデライトが懲りる気配はない。
それどころか学習してしまい、ついに人気のない場所に呼び出すなんて手段まで使ってきた。
その結果が、現在の私たちの状況である。
――……私だって、アンリと話がしたくないわけじゃないけど。
王都が魔族に奪われた今、浮かれていられる状況ではないのだ。
特にアンリは魔王の心もあり、魔族に狙われている状況。人気のない場所にいるのは、あまり得策とは思えない。
気を引き締めるように口を引き結び、私は窓の外に目を向けた。
窓からは、上天気の空と、少し離れた離宮本館の回廊が見える。
回廊には忙しなく働く使用人たちがいるけれど、声を届けるには少し遠い。
三階の部屋と言うこともあり、窓から出て行くことも難しそうだ。
鍵のかけられた扉の外からは人の気配がなく、いつもみたいに、誰かが来てくれることは期待できそうにない。
『夕飯までには迎えに来るから!』
と叫んで去っていく足音が、まだ耳に残っている。
明るい空を見る限り、迎えが来るのはまだ先になりそうだ。
「まったくあいつは。『ばっどえんどにしないため』とか言っていたけど、どういう意味なんだ?」
アンリは渋い表情で、窓辺に立つ私に顔を向けた。
「『おとめげーむ』で『あーるじゅうご』で『きわどいすちるがいっぱい』……だったか? なにを言っているかさっぱりわからなかった。君は意味がわかったかい?」
「ええ……まあ……」
アデライトから乙女ゲーム講座を受けた私は、彼女の言ったことが理解できてしまう。
が、説明するとなると難しいところだ。
特に『あーるじゅうご』の部分はどうしたものかと、私はぎゅっと眉根を寄せた。
「ええと……『乙女ゲーム』はアデライト様の予言の力のことで、『きわどいすちる』はそれを絵画のように見ているということ……でしょうか。それで『あーるじゅうご』は…………し、親密な関係と言えばいいのでしょうか」
言いにくさに、私は視線を落としてしまう。
今は部屋に二人きり。どうしてもアンリを意識せずにはいられない。
「よ、要するに、誰かと親密な関係になって心を満たせば、魔王の心は居場所がなくなって出て行くのではないか、と」
どうにか言葉を選んで言い切ると、私はアンリを窺い見た。
赤くなる私とは裏腹に、彼の顔に浮かぶのは素直な感心だ。
「……すごいな、君は」
「い、いえ。アデライト様からいろいろお話は伺っていましたので」
「それだけアデライトに信頼されているんだな」
兄の顔で優しく笑うと、彼は窓辺の私に歩み寄る。
思わずぎくりとしてしまうけれど、アンリはいつも通りだ。
私が意識しすぎなのだろうかと、ますます恥ずかしくなったとき。
「……親密な関係か。それでこんな部屋に閉じ込めて」
私の隣で足を止め、アンリは低く呟いた。
外から差す光がアンリの体に遮られ、私の上に影を落とす。
その近さに、体が強張った。
「どれだけ意味を理解しているんだろうな。あいつも――君も」
「あ、アンリ様……?」
「様」
動揺する私の唇を、アンリは咎めるように指で撫でる。
不意の指の感触に、私は声も出なかった。
「人前では難しくても、二人のときは名前で呼んでくれ」
「そ……」
それは――『できる』とも『できない』とも、私は口にできなかった。
アンリの指は私の唇に触れたまま。声を出せばその感触が鮮明になる。
無言で呼吸さえも止めたまま、真っ赤になる私を見下ろして、アンリはくすりと笑みを漏らした。
「親密な関係というなら、俺はいつでも君とそうなりたいと思っている」
きっと、君が思うよりもずっと。
そう言って、彼は私の唇にあてた手を、そっと頬に移動させた。
ひやりとした手に触れられても、頬の熱は増す一方だ。
アンリの目にも、揺れるような熱がある。
私を映す瞳は色っぽくて、どこか誘うようで――。
「……だけど、君は」
それでいて、なぜか突き放すような色がある。
どこか見覚えのあるその瞳の色に、私は息を呑んだ。
――あれは。
いつだったか、『軽蔑する』と言ったアンリと同じ。
罪悪感の宿る目だ。
「俺を、許してくれるだろうか――――」
――アンリ……?
アンリが魔王に憑かれていたと知ったとき、彼はずっと、『魔王の心を隠していたこと』に罪悪感を覚えていたのだと思った。
だけど、嵐の夜を超えても彼の中の罪悪感は消えていない。
あのときも今も、彼の言葉はまっすぐ私(・)に向けられていた。
アンリの瞳に、魅入られたように私は動けなかった。
アンリは続く言葉を口にすることなく、私に顔を近づけ――。
唇の触れる直前、離宮の本館から轟音が響き渡った。
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