王妃の反旗(1)

「おおおおお母様! お母様ぁあ!! 大変です! お、お、お兄様とオレリアの結婚が決まっちゃいました――――!!」


 オレリア様との騒動の翌日。

 私とアデライトは、王都から遠く離れた離宮を訪ねていた。


 離宮とは、グロワール国の王妃、フロランス様の住む宮殿だ。

 乙女ゲームの中では、本来はすでに亡くなっている――という王妃殿下は、もちろんご健在である。

 怪我や病気の一つもなく、かつて命が危ぶまれたこともない。

 アンリやアデライトとの関係も良好で、なにかあると、こうしてすぐに頼られるくらいだ。


 そのフロランス様は、現在は泣きわめくアデライトを前にして、眉間に深い深い皺を刻んでいた。


「け、今朝のうちに国中に婚約が宣言されたって! 国外にも通達がされたって! 近々、盛大な婚約式をするって!!! ど、ど、どどどどうしよう、お母様ぁああああ!!!!」

「…………アデライト」


 冷たく、凛とした声が響く。

 声の主は、もちろんフロランス様だ。


 視線を向ければ、黒真珠のような艶のある黒髪が目に入る。

 髪色こそ異なるが、顔立ちはアデライトによく似ている。

 きつい目元に、細い頬。今年で四十となるのに、色褪せることのない冷たい美貌。

 アデライトと違い、王妃らしい威厳を備えたフロランス様は、その場にいるだけでも身を竦ませるほどの威圧感がある。


「落ち着きなさい、アデライト」


 特に、怒っているのならばなおさらだ。

 フロランス様は扇子を片手に、静かな声でそう告げた。


「一国の王女が――わたくの娘が、そう取り乱すものではありません」

「で、で、でも、お母様! お兄様がオレリアと結婚なんて! こ、このままじゃ私の処刑が……! それに、お兄様だってミシェル以外との結婚なんて、納得しているはずがないわ!!」

「当り前です」


 涙目のアデライトを見やり、フロランス様はピシャリと扇子を閉じる。

 眉間の皺は消えており、代わりに口元には、笑みのようなものが浮かんでいた。


 だけど、笑みでないことはよくわかる。

 フロランス様の手の中で、閉じた扇子がみしりと音を立てて軋んだ。


「アンリからも、朝一番に連絡がありました。陛下が勝手なことをしているから、力を貸してほしいと。……ふふ」


 フロランス様の赤い唇が歪み、聞いているだけで震えるような笑みが漏れる。

 この押し殺すような怒りに、ふと昨日のアンリの姿を思い出した。

 アンリとフロランス様は、顔立ちこそ似ていないものの――やはり、親子なのである。


「わたくしに断りもなく、アンリの話すら聞かず、思い付きで勝手に結婚相手を決めるなんて――いえ、それはまだ目をつぶりましょう。でも――――あなたたち、陛下が通達した文書を読んでいて?」


 フロランス様の視線に、私は頷きを返した。

 隣のアデライトは泣きべそをかいているので、恐れながらも代わりに返事をさせていただく。


「今朝、アデライト様と一緒に一通り確認しました。ええと、オレリア様に対するアンリ様の深い愛に感動した――とか。それ以外にも、なんと言いますか…………」

「感情的で、支離滅裂だったでしょう?」


 フロランス様の言葉は的確だ。

 私も、通達文を最初に読んだときは、これが国として出した正式の文書とは信じられなかった。


 書いてあったのは、オレリア様とアンリの深い愛についてだ。

 それから、なぜだか陛下自身についての生い立ちも長々と記載されていた。

 世界を救った勇者の父であることを強調し、回りくどい賛美が書き連ねられていた。


 おまけに、時系列はめちゃくちゃ。他国への配慮がなく、下手をすれば国際問題になりそうな記述も散見された。

 誤字脱字は数え切れず、文法の誤りも多い。

 もはや、どこから指摘すればいいのかわからなくなるほどだ。


「あんな腹立たしい公式文書なんて、わたくし読んだことがなくてよ。国外にも出す文書だというのに、まるで勢いだけで書き上げたみたい。きっと、会議の一つも通さなかったのでしょうね、ふふふ」


 国外に発布する文書は、当然ながら厳格なチェックが入るものだ。

 内容について審査し、問題になりそうな部分は削除し、誤字脱字は一つも残さないよう二重三重に確認する。

 なにせ、うかつなことを書けば、そのまま国同士の関係が危うくなる。

 そうでなくとも、下手に自国の恥をさらさないように注意をするは当たり前――だったはずだが。


「不出来な人だとは思っていたけれど、ここまでだとは思いませんでした。ああ、それにしても面白いこと。アンリをずっと離宮に閉じ込めておきながら、こんなときだけは父親の顔をしようだなんて」


 くすくすと、まったく愉快ではなさそうに笑うフロランス様の言葉は、私も同感だった。

 なにせ、アンリもアデライトも、物心つくか付かないかのころには、もう陛下によって離宮に追いやられていたのだ。


 そんな二人を、深い愛情でもって育てた人こそ、フロランス様だ。

 幼少期こそ、フロランス様はアンリを持て余してしまっていたが、決してそこに愛がなかったわけではない。

 傷つき、失敗しながらもアンリに向き合い続け、親子の関係を築いてきたのだと、傍で仕えて来た私は知っている。


 一方の陛下は、そんなフロランス様の苦労も知らず、子供たちの様子を見に来たことさえない。

 成長を伝える手紙を送っても返事はなく、国の行事で王子や王女の参加が必要な場合にのみ、一方的に呼びつけるだけだ。


 それなのに、アンリの成長を自分の手柄のように語るのは、フロランス様でなくても腹が立つ。


 ――そもそも、フロランス様が離宮にいることだっておかしいのに。


 フロランス様は、グロワール王国の正妃にして隣の大国ソレイユの王女である。

 本来ならば陛下とは対等な関係のはずなのに、フロランス様の発言力や人望を妬んだ陛下によって、王都から馬で半日もかかるこの離宮に厄介払いされてしまったのだ。

 以来、フロランス様は『無用な対立を避けるため』と大人しく離宮で暮らし続けている。


 だが――。


「――――もう、いいかしらね」


 それも、どうやら今日で終わりらしい。


「そろそろ、あの人にもわかってもらおうかしら」


 ふ、と笑みを浮かべるフロランス様の周囲に、かすかな風が巻き起こる。

 アンリの強い魔力は、魔法に長けたフロランス様譲り。

 彼女の怒りが、魔力となって部屋の中に渦を巻く。


「アンリのために、いろいろ準備をしておいてよかったわ。――――ねえ、ミシェル」

「は、はい! なんでしょう!」


 突然に名前を呼ばれ、私ははっと背筋を伸ばす。

 冷たい怒りを笑みに変え、うっそりと微笑むフロランス様は、震えるほどに美しく――恐ろしい。


「ミシェル。あなた、覚悟は決めていて?」

「か、覚悟ですか……?」


 いったい、なんの――――?


 疑惑を浮かべる私を、フロランス様の夜のような藍色の瞳が射貫く。

 私の心の奥底までも、貫くかのように。


「あなたはアンリのために、どんなことでもできるかしら?」

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