エレギオンへ

 エレギオンHDの全面支援を受けて第三次発掘調査の準備は急ピッチに整えられて行きました。雪乃は、


「香坂さんに任せておけば心配ないわ」


 香坂さんは第一次調査の時の準備も担当していたそうですが、雪乃の言う通り、まさに水も漏らさぬ万全の準備が見る見る進められます。機材の調達・輸送や宿舎確保、往復の交通手段は香坂さんにお任せするとして、問題はどこを掘るかです。


 エレギオン発掘調査は港都大が第二次調査を行ってからも各国の調査隊が断続的に行っており、今や古代エレギオンの都市の全貌もほぼ明らかになっています。ただですがエレギオンからはこれ以上の新発見は難しいのではないかの見方がもっぱらです。


 そのためか、現在のホットな関心は、ボクが解明した大叙事詩の裏付けです。叙事詩にあるアングマールとの戦争自体は他の資料にも断片的に書かれており、戦争の存在自体は認められていますが、叙事詩に歌われている程の壮大な規模なのかは議論が沸騰状態ってところです。


 ボクはコトリから聞いた話なので、実話に近いと主張していますが、そもそもエレギオン通商同盟の他の都市さえ発見されておらず、学会では悔しい思いをしていました。流れが変わり始めたのは、アメリカの調査隊がベラテ、リューオンを発見し、さらにハマを見つけ出したことです。


 これは通商同盟が本当に存在していた証拠と見なされ、現在の焦点はハムノン高原都市の発見競争になっています。ハマまで特定出来たらシャウスは隣だろうと思うのですが、調査の結果、叙事詩の時代に較べて大きく地形が変わっているのがわかって来たのです。


 叙事詩ではエルグ平原とハムノン高原はセトロンの断崖で区切られ、この二つの地域を結ぶのはシャウスの道だけだったとなっていますが、セトロンの断崖が後世の地震で大きく崩れてしまっているのです。そのために叙事詩あるキボン川、ペラト川の流れも大きく変わり、ラウスの大瀑布も今は存在していないこともわかってきてます。


 地形の変化はハムノン高原だけではなくクル・ガル山脈にもあったようで、叙事詩に何度も謳われ、アングマールとの戦いで焦点になったズダン峠さえも行方不明になっています。


 ズダン峠の特定が出来ていない事もあり、対戦国のアングマールの所在となると杳としてわからず、各国調査隊が様々な仮説を立てて調べていますが発見どころか手がかりも見つかっていません。こういう状況で月夜野君ならぬコトリにも相談しているのですが、


「そうねぇ、今回はユウタの叙事詩に関連するものを見つけてもらおうかな」

「たとえば」

「都市ならシャウスとマウサルムはどうかな。メッサ橋の遺構が見つかったら大きいんじゃない」


 シャウス攻略戦、メッサ橋の戦いは叙事詩のクライマックスの一つです。とくにメッサ橋は叙事詩で歌われている規模があまりに大きく、実在はともかく、もっと小規模だったと考えられています。


「アングマールは?」

「遠いよ。今回はあきらめて」


 ただコトリでも、後は実際に行ってみないとわからないとしてました。壮行会を経て発掘調査隊はエレギオンに向かいます。三十六年前のことを思いだしていましたが、エレギオンはやはり遠いところです。あの時より年も取っていますから、ズオン村に着いた頃にはヘトヘトでした。


 一方で時差ボケに弱いコトリですが、ズオン村に着いた瞬間から精気がみなぎってる気がします。ズオン村について驚いたのはヘリポートまで作られていることです。コトリは、


「ここからエレギオンまでの道は悪いし、今回はシャウスやマウサルムも目指すんだから、クルマじゃ不便すぎる」


 ズオン村からエレギオンの調査基地までヘリでひとっ飛びはラクチンでした。さすがはエレギオンHDの全面支援です。ボクたち本隊が到着して歓迎会が開かれましたが、三十六年前と同じカレーにしてます。この意味を知ってる者はもういないと思ってましたが、隣でコトリが笑ってました。そうだった、そうだった、コトリは四十六年前の第一次調査も知っているのです。


「月夜野君、宣言は」

「そうねぇ、学生だからみんなの前でやるのはやめとく」


 第一次・第二次調査の時はコトリが調査隊長でしたが、今回はあくまでも学生でボクへのアドバイス役です。


「その代りだけど、明日は大神殿で一人にして欲しい」

「なにをするの」

「次座の女神の祭祀だから邪魔しないでね」


 そう言ってコトリは大神殿に一人で向かいました。これは邪魔をしてはならないのは良くわかりました。ボクの方は各国の調査隊の発見成果の確認に努めました。こうやって現地で確認すると叙事詩に歌われる古代エレギオンはそのままであったと改めて思います。


 首座の女神が建てたとされる大城壁はなくなっていますが、その基礎の土塁はある程度確認されています。また大城壁の内側にそって掘られたとされる内堀も、一部が底まで掘り返されて確認されており、あの時代にここまでの工事が行われていた事に感嘆します。


 コトリは翌日から地形の再確認に入り精力的に動き回っています。そこで三十六年前に見た光景が再現されます。時々立ち止まり、膝をついて祈りを捧げる姿です。懐かしさと神々しさがないまぜになっています。そんな時に、はるか城外に連れて行かれ、


「ユウタ、ここだよ」


 そこには石の壁の基礎らしいものわずかに顔を出しています。


「四座の女神の一撃が吹っ飛ばしたアングマール軍の本営の跡」


 ここがエレギオン第三次包囲戦でコトリが使者に立ち、アングマールの魔王に一撃を喰らわせた場所かと思うと感慨無量です。翌日には、


「ここを掘って欲しい」


 そこには巨大な石碑が埋まっていました。石碑にはエレギオン文字がビッシリと刻まれており、


「ユウタなら読めるだろ。これはアングマール戦で戦死した士官の名前を刻んだものなのよ」


 数えきれないぐらいの名前がありますが、どうやら戦いと、そこでの戦死者の名前の形式のようです。


「ほら、ここ」


 そこにはリュース次席士官、イッサ次席士官、ウレ三席士官が読み取れます。


「これは女神のゲラス・・・」

「そうだよ。こっちにはメイスがあるよ」

「それはセラの戦い」

「こっちはバド・・・」


 叙事詩に登場する人物たちの名前がたしかにあります。ボクがザッと目にしただけで、マシュダ将軍、シャラック将軍、パリフ将軍、エルル将軍・・・


「みんなイイ男だったよ。エレギオンの勝利を願ってみんな死んじゃったけどね」


 これは途方もなく価値がある石碑です。そこには戦死した士官の名前だけではなく、戦いの名前、さらにエレギオン暦による年月日まで記されており、アングマール戦の年表みたいなものになるからです。叙事詩が事実に基づくものである動かぬ証拠になります。


「ユウタの研究に役立つだろ。この石碑はデイオルタスに追われる前に埋めといたんだ。これだけは穢されたくなかったからね」

「書いたのはやはり」

「そうだよ、二千年ぶりの御対面ってところ」


 発掘調査はアメリカ調査隊が発見したベラテ、リューオンを巡ってハマに、


「コトリ、ハマがわかればイスヘテもわかるはずだが」


 コトリは地形を何度も確認した後に。


「イスヘテはあそこよ」


 崩れた岩による大きな斜面が形成されているのがハマから見えます、


「あの岩の下にイスヘテがあり、シャウスの道が続いていたわ。これならシャウスも一緒に崩れてしまったと見て良さそう」


 そこからヘリでハムノン高原に。ここでコトリは懸命になって昔の記憶と現在の地形を重ね合わせてるようでした。それぐらい変わっているということでしょう。何日か周囲の山とかの位置関係を確かめた後に、


「ここはザラスのはず。そうなるとメッサ橋は・・・」


 コトリの指定する場所を掘ってみると巨大な橋脚が幾つも幾つも。それだけでなく欄干を飾っていたレリーフの残骸も大量に散らばっています。


「これが古代エレギオンで最大かつ、もっとも美しいとされたメッサ橋なのか」

「そうよ。ここもセトロンの断崖が崩れた時に崩壊したみたいね」


 コトリが確認する限りで言えば、セトロンの断崖の崩壊は大規模だったようで、おそらくレッサウやパライア、イートスも崩壊に巻き込まれた可能性があるとしてました。メッサ橋遺跡の確認調査を進めながらマウサルムを目指します。コトリが数ある高原都市の中でマウサルムを選んだのは、


「三回ぐらいしか奪い返されていないから、比較的残ってる可能性があるわ」


 エレギオンとアングマールは高原都市の争奪戦を延々と行い、たとえば北部の交通の要衝であるクラナリスなどは十五回以上も争奪戦が繰り返されたそうです。あまりに激しい争奪戦であったが故に、都市を相手方の拠点とさせないために、双方の都市の破壊合戦になったとしています。この辺は首座の女神である小山社長に聞いたことがあります。


「それでもシャウスとマウサルムは補給拠点として最後まで都市の姿は残してたの」


 アングマール戦の終盤の前線はクラナリスからズダン峠になり、そのためにマウサルムは戦略的破壊を免れたぐらいでしょうか。それでも、


「お宝どころか、日常品さえ見つけるは難しいよ。当時は貴重品扱いで、使えるものはすべてエレギオンに運び込んだから」


 アングマール戦は消耗戦の側面が濃厚で、戦いが長引けば長引くほど日常生活物資さえ事欠くようになったとされています。これは物だけでなく人口もそうで、アングマールを滅ぼした後のエレギオンには若い男どころか若い女さえ、大幅に減少していたと小山社長は話していました。


 戦後の復興でも高原都市は愚か、エルグ平原都市のリューオンやベラテさえ再建出来なかったと小山社長に聞いていますが、マウサルムもまた放棄され、放棄時に糸一本さえ残さず回収してエレギオンに運び込んだとコトリは話します。


 これはアメリカ隊が行ったリューオンやベラテの調査でも裏付けられていて、いくら探しても日常品のカケラさえ見つかっていません。いくら歳月による風化があるにせよ、あまりの何も無さに、どうしてそうなったかの学会での議論があるぐらいです。


 メッサ橋、マウサルムの発掘は順調に進みましたが、ある日、コトリはボクを連れてヘリを飛ばさせました。着陸したところから、コトリは何度も何度も地形を確認しています。やがて小高い丘の上に立ち、


「この方角にクラナリスはあったのよ。そしてズダン峠はあそこ」


 コトリの指し示す方向には大規模な崖崩れの跡ではないかと思わせるものがあります。


「おそらく山岳三都市はあの崖崩れに巻き込まれて崩壊したで良さそうよ」


 山岳三都市とはカレム、モスラン、ウノスになります。


「そしてね。ここがゲラスなの。コトリはここに本営を置いてたわ」


 コトリがアングマール王と決戦を挑んだ地がここなんだ。コトリは目を瞑っていました。あの決戦のことを思いだしているに違いありません。コトリはここで自分の男であるリュースだけでなく、首座の女神の男であるイッサまで失う惨敗を喫しています。やがて跪いたコトリは静かに祈りを捧げていました。



 第三次発掘調査は第一次や第二次に較べると財宝の発見は無く、粘土板も少数しか発見されませんでしたが、それでも初めて高原都市を発見したこと、メッサ橋を発見しその規模を確認したこと、なにより大きかったのはあの石碑です。


 叙事詩には二百五十年にわたる戦争が描かれているのですが、これまであまりに長すぎるとされていました。実際はもっと短いか、二百五十年続いたとしても五月雨式じゃないかが定説でした。


 ところが石碑には、毎年のように繰り返された合戦の年月日が刻まれているだけではなく、その合戦の戦死士官の名も確認できます。これはほとんど叙事詩の記述と一致します。それとエレギオン包囲戦でのアングマール軍本営跡の発見と、ゲラスの野の比定は大きな反響を呼んでいます。第三次エレギオン発掘調査も成功裏に終わったとしても良いと思います。



 発掘調査の二年後にコトリは月夜野君として博士論文を書き上げて提出しています。テーマは、


『女神印の変遷』


 女神印についてはあちこちに書かれていますが、その実態は不明でしたがコトリは見事に論証しているはずです。と言うのも、とにかく読むのが大変でお手上げ状態なのです。実は初代の天城教授の時から、博士論文はエレギオン語でもOKの内規があります。これについて雪乃も当時は准教授でしたから、


「当時は今より解読が進んでなくて、いつかエレギオン語で論文が書けるレベルになれば嬉しいなぐらいの願望で作ったんだけど・・・」


 なんとコトリはやってのけてしまったのです。というかコトリならネイティブであり、古代エレギオンで最高峰の知識と経験を持っていますから、これぐらいはお茶の子さいさいレベルです。


 文章は『たぶん』闊達にして流麗。これも『おそらく』ですが、当時の決まり言葉や、比喩をふんだんに用いられてると考えられます。でも、だから読めないのです、


「あなた、これはコトリさんからの置き土産よ」

「わかるけど、あれはおそらく神式のエレギオン韻を踏んだもので、読むのが一番難しい形式なんだ。それもだよ、最晩期ののエレギオン語で書いてると思うんだ。そこの比較資料は極めて乏しいんだ」


 神式のエレギオン韻は祭祀の文章の事で、これは未だに難読を以て知られています。これを定年までにすべて解読できるかどうかは自信がありません。でも内容はエレギオン学にとって重要な物産の変動も事細かく記されているはずです。


「研究者、いや准教授として残ってくれないかな」

「それは無理よ」

「やっぱりボクが雪乃を選んだから?」


 雪乃はニッコリ笑って、


「今のコトリさんには現代のエレギオンがあり、帰るとことがあるのよ。そこには次座の女神の帰りを待ちわびている人がいるの。博士課程まで付き合ってくれただけでも感謝しなくちゃ」


 博士号はもちろん認めました。教授会で少しもめましたが、世界中でこれを読める者は二人しかいませんし、さらに内規を盾に認めさせました。


「また会えるかな」

「もう会えないかも」


 バニーガール姿での博士号贈呈式が忘れられそうにありません。

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