第一部エピローグ

 レジャープールでの戦闘から一週間。

ギャルゲ大佐の投げた剣によって傷を負ったレッドもとい楠手は、ミスターKとコネクションのある医院長が営む病院の入院棟の一室で、入院着でスチールベッドに寝ころんで文庫本の小説を読んでいた。

 ふいに病室の引き戸がずれると、楠手のいるベッドへ足音が近づく。


「ああ、泣ける話ね」


 楠手が小説の感涙シーンに思わず呟く。

 と同時に仕切りのカーテンが勢いよく開けられる。


「思った以上に寛いでるな」


 突然した声に、楠手はギョッとして振り向いた。

 ベッドの傍で、クリーム色の半袖プリントTシャツにオリーブ色のチノパン姿の栗山が立っていた。

 栗山の顔には嫌味っぽい笑みが浮かんでいる。


「落ち込んでると思ったが、案外そうでもないみたいだな」

「少しは落ち着いたかな。顔に傷が残るって言われたときはショックだったけど、今は心の整理ができてきた」


 楠手は一本の線のような頬の傷を撫でた。


「まだ痛むのか?」

「全然」


 栗山の心配げな問いかけに、気にしていないというように返した。

 ならいいんだ、と栗山も笑い返す。


「それよりよ。これからどうするんだよ?」

「どういうこと?」

「いやだってよ……」


 栗山は言いかけて逡巡した。

 傷のある顔ではグラビアは続けづらいことは、楠手だって承知しているだろう。かといって他人の口からはっきりと告げることは、残酷ではないかと栗山は思うのだ。


「言わなくてもわかってるよ」


 楠手は気遣うような口調で、栗山の言葉を自ら遮った。


「こんな傷があったら、グラビアアイドルなんて無理だよね」

「そんなこと……」

「気を遣わなくていいよ。もともと私はみんなみたいに売れてなかったし、それにグラドルになるほどの器じゃなかったんだ」

「卑下するなよ」

「新城さんみたいに色気ないし、上司ちゃんみたいに童顔で胸も大きくないし、西之森さんみたいに細くて綺麗なくびれがあるわけでもないし、栗山さんみたいにヒップもないし」

「うるせえ、あたしの尻がデカいのは今関係ないだろ。お前がグラビアを続けたいかどうかが大事だろ」


 話を振っておいて全否定するとか何様だよ、と栗山は心の中で自分を叱った。

 諦念と寂しさの浮かんだ顔に表向きの感謝を貼り付けて、楠手が微笑む。


「励ましてくれてありがとう」

「……」

「でもいいんだ。新城さんも上司ちゃんも西之森さんもこの前、栗山さんみたいに励ましてくれたけど、私は意思を変えないつもりだよ。私なんかが居続けていい世界じゃないのを痛感したし、未練もない」


 栗山は無言で楠手の決心を受け止める。

 納得いかない苛々とした感情がこみあげるが、怒鳴ってしまいそうで、喉元まできた言葉を押さえ込む。

 苛々を紛らすように尋ねる。


「購買でなんか買ってきてやるよ。何欲しい?」

「なんでもいいよ」

「そうか。じゃあブラックコーヒーな」

「私、糖分制限されてないから。せめて微糖にして」


 くだらない軽口を交わす。

 栗山は後ろ手に引き戸を閉めると病室を後にして、階下の購買に向けて廊下を歩き出す。

 顔を俯け、唇を噛む。

 嘘つきやがって、何が未練もない、だ。未練のないやつがあんな寂しそうな顔するわけねえだろ。

 レッドの馬鹿が。

 舌打ちしたくなるような憤怒の籠った呟きが、栗山の口の中で不愉快に響いた。

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