遁走

「ゲートの方、少し様子が変じゃない?」


 西之森が唐突に声を発した。

 何を言い出すんだという顔で栗山が訊き返す。


「変って具体的にどんな感じだよ?」

「そうねぇ。浮足立ってる、が近いかな」

「はあ、どれどれ」


 栗山もゲートの方を見て、様子を窺う。すると俄かに遊泳客が騒めいているのが感じ取れた。


「二人とも何か見つけたの?」


 怪訝そうな面持ちでゲート方向に視線を向けている栗山と西之森に、楠手が不思議そうに尋ねる。

 新城と上司も突然気を張り出した二人に、問いの視線を送る。つられて男三人組も二人を見る。

 不意に館内アナウンスの軽快なチャイム音が鳴り響く。騒めいていたゲート周辺の客達は一斉に口を閉じた。


「水浴に来た諸君。御遊楽のところ申し訳ない」


 館内アナウンスにしては粘っこい男性の声が流れた。

 男性の声は間を置いて、告げる。


「諸君は閉じ込められている」


 騒めきが先程の度を超して再興した。

 事態から免れようと数え切れない客がゲートへ群がる。


「やめた方がいいぞ。諸君。下手にゲートに触ると設置した爆弾が作動し、施設ごと跡形なくバーンだ」


 群がっていた客たちは、謎の男のアナウンスを聞き、我先にと他人を押し返すようにゲートから距離を取った。


「やばいんじゃない、やばいんじゃないの」


 金髪が恐怖のあまりに顔を青白くして身震いする。


「やばいどころじゃないでしょ。俺達、死ぬかも……」


 茶髪は血の気が引いた土気色の顔に絶望を貼り付ける。


「どうしてこんなことに……」


 黒髪は身の不運を悔やみ全身から生気が抜けて、茫然とゲートの方を見つめている。

 客達の不安感はたちまちに膨れ上がって、施設内全体が混乱と悲鳴の交響楽のような喧騒で充溢する。


「伝えるべきことは伝えた。さらばだ諸君」


 施設内の喧騒に何も答えることなく、アナウンスは切断された。

 皆が状況を理解できてきたのか、黙考するように喧騒が止む。

だがしばしの静寂の後、客達は一人また一人と気を失うようにしてぐったりと倒れていった。


「どうなってるの?」


 楠手が奇怪な光景を前に誰にともなく疑問形で漏らした。

 グラドルレンジャー五人に絡んで来ていた男性三人も、ふわりとした感覚の後、膝をついてから横に倒れてしまった。


「何が起きてんだよ、これ」


 栗山が虚空に向って抗議するように、怒気を含ませた声を出す。

 目の前で倒れている金髪に、上司は心配そうに手首を取って脈を確かめる。

 脈に異常は感じられない。


「眠ってるだけみたいです」

「それじゃあ、きっと催眠ガスみたいな何かね」


 西之森が施設内に倒れている人達を見渡しながら、憶測で言った。


「ご明察」


 五人の頭上から思わぬ返事があった。

 彼女達は左右に首を振り、返事をした者の姿を捜す。


「どこを見ている、グラドルレンジャーズ」


 頭上の声の主は蔑んだ調子で彼女達に言葉を落とした。

 五人が頭上を振り仰いだ。天井の照明が逆光になって、声の主の相貌は窺え得ない。

 醜怪と言ってもいい不器量に脂ぎった肌、往年のオタクのような出で立ち。


「あんた、誰だ?」


 栗山が怪訝そうに誰何すると、声の主はふっと鼻から息を短く漏らす。


「直接顔を合わせるのは初めてだな」


 少し気取った口調で言うと、五人から質問に答えろ、という視線で見上げられる。


「名を明かせば、お前達はさぞや驚くだろうな。憤慨も生じるやもしれん」

「ごたごた言ってねえで、早く名乗れよ。じれってえ」


 声の主が何者であろうが、栗山はすでに相手の態度が腹に据えかねてきている。

 ふむ、と言葉を考えるようにして間を置いてから、声の主が答える。


「嘘偽りなくシキヨクマー幹部のギャルゲ大佐だ。お前達ならば知っているだろう?」


 名を聞かされて、五人は数か月前の記憶から同じ名を引っ張り出して得心した。


「あたし達に宣戦布告をしてきた……」


 楠手が思い出した場景を口に出すと、逆光の中でギャルゲ大佐は頷くような仕草をした。


「その通りだ。布告書に記名してある」

「今の状況を作ったのはあなた?」


 新城が恨みを乗せて詰問した。

 左様だ、とギャルゲ大佐は認めて付け加える。


「俺は邪魔が入るのは嫌いなんだ。お前達の抹殺の妨げになりかねん」


 五人は矢庭に身の危険を感じた。頭上の敵から今までに感じたことのない戦きを覚え、自分達の抹殺が目的でこの状況を作り出していることに、警戒心が急激に強まった。

 今すぐに変身しなければ何をされるか、と五人は首元に鎖を摘まみ上げようとした。が、鎖が手に触れない!


「ふ、はははははは」


 唐突にギャルゲ大佐は高笑いした。 

 焦燥が五人の顔に過ぎる。


「ネックレスが無くては変身できまい。残念だったな」

「ハメたのね?」


 西之森が猛烈な怒りの目で睨み上げた。逆光が少し眩しくて細める。

 ギャルゲ大佐は勝ち誇ったようにせせら笑った。


「そうだ。ネックレスを外さざるを得ない場所にお前達をおびき寄せることが出来た。お前達はまんまと我々の策略に乗せられていたのだ」

「ふざけんな!」


 栗山が反感をぶちまけるようにして怒鳴った。


「卑怯な手を使いやがって。そこまでしてあたし達を殺したいか!」

「我々シキヨクマーは大望を成し遂げるのに、障害になるものは全て掃滅する」


 ギャルゲ大佐は言い切った。

五人はいよいよ臨戦の構えになるが、彼女らの心の内はただ事ではなかった。変身できないとはつまり強化されていない生身で戦えということだ。


「長話も終わりだ」


 一方的に話を打ち切ると、ギャルゲ大佐は手すりに足を掛けて跳躍した。

 五人の背中側へ降下しながら、口を開けたままにしておいたリュックから、巻かれたポスターを一本抜いて、右手に剣のようにして握った。

 着地と同時に敏速に身を反転させ、五人に対峙する。


「覚悟しろ。お前達に明日はない」


 ギャルゲ大佐は剣先を向けて、気取った風もなく告げた。

 グラドルレンジャー五人は初めてまともに敵の姿を目にして、急な笑いを堪えるように口元を引き攣らせる。


「何が面白い?」

「だって……ぷっ」


 醜怪と言ってもいい不器量で脂ぎった肌、往年のオタクのような出で立ち。

 楠手は答えようとして、堪え切れず吹き出した。


「そんな不細工な見た目だとは思わなかったから」

「ふっ、なるほど」


 失笑に等しい五人の態度にも関わらず、ギャルゲ大佐は便乗するように笑った。


「不細工だな、それは自覚している」


 楠手の言を認めると、途端に五人を目で射止めるように眇めて剣呑さが表出する。


「だがな。シキヨクマーは器量の良し悪しで隊員を差別することはない。評価基準は戦績だけだ。そして俺は大佐だ。階級は実力の証だ」


 ギャルゲ大佐の胸内で自負心が膨れ上がり、今までグラドルレンジャー五人に無様にも打倒された怪人達を見下げた。

 殺人剣ポスターを正中線に構える。


「俺はお前たちなどには負けはしない」


 言葉尻が五人に届くよりも早く、足に力を籠めて地面を蹴り出した。

 五人は否応なくたちまち戦闘を強いられた。ギャルゲ大佐が剣先を向けたまま、楠手に肉迫する。


「ひっ」


 数歩の距離まで近づいた敵が、上手に剣を振り上げた。

 楠手の両隣にいた栗山、西之森、上司、新城は左右に飛び。楠手は慌てて後ろへ精一杯ジャンプした。

 音を鳴らして振り下ろされた剣先は、鼻先の前をかすめた。

 楠手はジャンプの勢いを殺しきれずに、足を着いた後尻餅をつく。


「危なかったぁ」


 目前を過ぎていった剣先が脳裏にちらつき、楠手は身震いする。あんなの受けたら死んじゃう、と恐怖が身に迫る。

「楠手さん!」


 上司が叫んだ。

 楠手は尻餅をついたまま、振り下ろした姿勢で動きを止めているギャルゲ大佐へ、咄嗟に意識を向けた。そんな楠手の双丘の間のビキニの紐が断ち切れており、今にも前面オープンしそうだ。


「ちげえ、そっちじゃねぇ」


 栗山が叱るような声で怒鳴った。しかし楠手はギャルが大佐にだけ気を奪われて、立ち上がって距離を取るだけだ。


「ああっ、クソっ」


 楠手の鈍感に焦れた栗山が、ギャルゲ大佐と楠手の間に入り込んだ。

 ギャルゲ大佐が地面に剣を叩きつけた腕の痺れから立ち直り、またも楠手に攻撃を仕掛ようと正面に視線を戻す。


「見るなっ!」


 その刹那、一瞬栗山の顔が視界に現れたと思うと、じゃんけんのチョキのような形をした手が急迫した。


「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 左右の眼球に栗山の指がめりこみ、死んだほうがマシなぐらいな強烈な痛みが襲い、施設が揺れるかと思うほどの大音声で絶叫した。

 ギャルゲ大佐は剣を取り落とし、両眼を手で押さえながらふらふらと後退する。

 プール縁まで引き下がると、急に片足の足場がなくなった。


「ウオァ!」


 身体の均衡を失くして、短い悲鳴を上げて背中から水面へドボンした。

 無音の施設内で空疎な水柱が立った。

 ギャルゲ大佐のお笑いバラエティのようなプールへの転落を目にして、グラドルレンジャー五人は呆然と瞳を瞬いた。

 しばらくギャルゲ大佐が水面に浮かんでこないとみると、運がツイているのを誇るように栗山が口笛を吹く。


「ヒュー、予想以上の大ダメージじゃねえか?」 

「でも、倒しきってはないと思います。プールから上がってきて、今度は栗山さんの方に切り込んできますよ」


上司はギャルゲ大佐が落ちたプールを、不安そうに見つめる。


「中々浮かんでくる気配がないわね。もしかして気絶したのね」


 しばらくして水音が聞こえず、新城が楽観視する。

 どうかしらね、と未だ気を張ったままの西之森が異議を唱える。


「今まで戦った怪人って、大概しぶとかったじゃない」


 他の四人は目顔で同意する。


「そうなるとまだ倒せていないと思った方いいかな。浮かんで来てないか確認しましょう」


 楠手がはだけた双丘を下から手で隠して支えながら言い出すと、五人でプール縁に近づき水底を覗いた。


「いねえな。どこ行ったんだ?」


 水面にも水底にも敵の姿は無く、栗山が不可解げに片眉を吊り上げる。


「ああっ」


 突然、上司がプール対岸を指さして、驚きの声を発した。

 五人が指さす方を見ると、今まさにギャルゲ大佐が水面から肩を出して、プールサイドに手を掛けたところだった。


「あんな小娘などの刺突を被るとは。不覚だった」


 ギャルゲ大佐はプールサイドに上がりながら、五人が見ているとは知らずにはばかりなく毒づく。


「そっちが先に攻撃してきたんだろ、逆ギレじゃねえか!」


 栗山がギャルゲ大佐の背中に怒鳴り返す。

 ギャルゲ大佐は対岸の五人にようやく気付き、立ち上がってリュックから巻かれたままのポスターを抜いて剣のようにして手に握ると、怫然と殺意を漲らせて五人を睨む。


「次はこうはいかんぞ。戦闘の感覚を取り戻したからな」


 言葉に強靭な意思が乗り、中段に構えた姿からは復讐に燃える武士の風格が漂う。

 ヤバイ殺される、と五人は直感的に戦慄した。


「今のあたし達じゃ、太刀打ちできない」


 絶望的な声音で楠手が漏らす。他の四人も同じ思いに至っており、五人全員が生身では敵わない事を悟った。

 ギャルゲ大佐がプールサイド伝いに迂回して歩み出すと、五人は手に余る恐怖で、遮蔽物の多いフードコートの方へ遁走を開始した。


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