出動

 神里は本日の仕事を全て終えると、時刻はすでに午後九時を回っていて、街は夜の活気に満ちていた。

 先日と同じタクシーが事前に示し合わせたようなタイミングで停まり、神里はタクシーに乗り込んだ。

 行き先を告げずに、タクシーは走り出す。

「三人の様子は?」

 神里が運転手に仕事の進捗を窺う硬質な口調で言った。

「一番の女が沐浴を拒んでおります」

「そうか。それで何かしらの措置はしたか?」

「手に余る行状であり、神里さんの帰りを待っておりました」

「なるほど。自分が直々に調教しなくてな」

 膝に上で両手の指を組み、冷酷に笑んだ。

 運転手であるシキヨクマーの隊員は言伝を続ける。

「加えて、大佐から神里さんに指令がありました」

「大佐から? 内容は?」

「時機をはかってグラドルレンジャーの抹殺の任に当たるよう、と仰ってました」

「当面先だな」

「何故に?」

「バーの地下にある収監部屋の数は幾つだ?」

「四部屋ですが。最大定員数まで監禁するつもりですか?」

「そうだな。愛玩動物は多い方がいい」

「ではあと一人ですか」

「四人目はとびきりに愛くるしい子犬を連れてくる」

「対象はお決めになって?」

「ああ。明日の夜、第一の目的が果たされる」

 狼に似て太く尖った牙が覗かせ、残忍さに笑った。

 タクシーは以前に神里が未希と訪れた、バーの『ウルフ』の裏口ドアの前で停まる。

 神里は下車すると、裏口のドアを開けて地下への階段を降りていった。

 階段を降りた先には、リノリウムの白い床で通路のように奥まった一室があり、左手に監禁室が四つ並んでいる。

 監禁室の前では一部屋ずつに警棒を持ったピンクタイツの監守が常駐しており、神里は一番の収監者がいる最奥の部屋の監守に声をかける。

「ご苦労。収監者の様子は?」

「神里さんが聞き及んでおりますとおり、頑なに沐浴を拒んでいる次第です」

「そうか」

 神里は監守に頷き、掌を上にして片手を差し出す。

「警棒を貸してくれ。今から調教をする」

「かしこまりました」

 監守は警棒を手渡し、監禁室の南京錠を腰に巻いたベルトの鍵束についた鍵の一つで解錠する。

「ありがとう」

 神里は監守に気持ちのない礼を言って、警棒を片手に部屋に足を踏み入れた。

 一面真白の色彩に欠けた部屋の右隅、薄汚れた丈の長い白ワンピースの未希が生気ない顔で山座りしている。

「立て」 

 神里は未希に歩み寄ると、命令口調で言った。

 だが未希が腰を持ち上げずに顔も合わせようとしない。

「立て」

 再度命じるが、未希は身じろぎもしない。

 未希の無反応に神里はしびれを切らして、舌打ちをした後に渋々と言った動作で彼女の前に立膝で屈みこむ。

「未希……」

 急に世の女性を陶酔させる魅惑の声と表情を作り、警棒を持つ手の反対の手で未希の顎にそっと指をかける。

 未希の瞳孔が目が飛び出そうなくらいに開かれ、神里の顔貌を直視する。

 視線が合わさっていると瞳孔は次第に光彩を失い、人間味が失われたように茫洋とした。

 未希の瞳が光を失うのを見た神里は、再び命じる。

「立て」

 すると未希は腰を上げ、その場に四つん這いになる。

 まるで飼いならされた愛玩犬のようにだらしなく舌を出して、間隔早く呼吸をしている。

「座れ」

 神里が指示すると、犬のお座りの格好で膝を曲げて尻をつけ両手を床に突っ張った。

「えらいぞ」

 未希の頭を撫でて、感情の籠っていない表面的な声でほめる。

「しかし次に命令に背くようなことがあれば、今回ほど優しくはしない。いいな?」

 厳しい目つきで凄む。

 調教を終えた神里が立ち上がると、未希は四つん這いで彼の膝に顔をこすりつける。

「なんだ?」

「くぅーん」

 精神が犬と化した未希は、主人である神里との別れを惜しむように哀れっぽく鳴いた。

「着いてくるなよ。お前の居ていいのはこの部屋だけだ」

 一歩身体を離し、目つきはそのままで厳命する。

 それでも未希はくぅーんと鳴いて、神里の膝に顔を擦り付ける。

 足元の未希を見下ろしながら、神里は格子のドアへ向かう。

 神里に追い縋るようにして、未希もドアへ四肢を歩ませた。

 ドアの前で神里は足を止め、警棒を強く握る。

「着いてくるなと言っているだろう」

 振り返りざまに下手で四つん這いの未希の腹を警棒で突き上げて、斜め上に殴り飛ばし壁に直撃させた。

 未希が体勢を戻すのも待たずに、監禁室から出る。

 室内の様子の最後まで見ていた監守が、神里を労わる。

「お疲れ様です。調教の具合は万全で?」

「ああ、これでしばらくは人に戻らないだろう」

 神里の横顔は静穏そのもので、加虐の恍惚は窺えない。

「警棒、役に立ったよ。ありがとう」

 答えるついでのように、監守に礼を言いながら警棒を渡す。

 監守が警棒を受け取ると、神里は他の監禁室に目を向ける。

「他の二人はまだ大丈夫か?」

「はい。人間らしい所作は確認されておりません」

「出来がいいな。自分は家宅へ戻るが、引き続き監視を頼む」

「かしこまりました」

 監守に命じると、神里は出入り口の階段に足を進めた。

 監禁室ではリノリウムの床を踏み進む、神里の足音だけが響いている。

 

(緊急招集だ)

 それぞれの自宅で気のままに過ごしていたグラドルレンジャーの五人に、ネックレスを通じて木田から呼集がかかる。

(今すぐに共同回線を開け)

 木田の切迫した頼みに五人は私事に使っていた手を休めて、急いでネックレスの宝石をつまんだ。

 木田が双方向通信の回線に切り換える合間の後、若干落ち着きを取り戻した声が吹き込まれる。

(婦女行方不明事件の背景にシキヨクマーが関与している事実判明した。お前達には特別行方不明者の情報を開示し……)

(あの、婦女行方不明事件ってなんですか?)

 上司が無知を恥じ入るように訊ねる。

(なんだ。知らないのか?)

 木田の問い掛けに、上司以外の四人も知らないと答えた。

 一つ骨折りの溜息を吐いてから、木田は五人に説明する。

(婦女行方不明事件というのは、ここ数日に起きている芸能界に通じた若い女性が忽然と姿を消す、奇怪極まる事件だ。我々による概算だと現在の行方不明者数は三名、いずれも二十代前半の芸能人女性だ。事件の概要は以上だ)

(それで、私達は何をすれば?)

 楠手が危急の時にいるような口調で、任務目標の告示を求める。

(お前達には行方不明者の救出をしてもらう)

(救出ってことは誰かに捕まってるってこと?)

(そうだ。そこで今からお前達には特別に、行方不明者の監禁されている場所と姓名を教える)

 木田の回線から手元の資料をめくる音が聞こえる。

五人は木田の声に耳を傾けた。

(監禁されている場所は南区のバー「ウルフ」の地下。行方不明者は紺野萌、今井光、西野未希の三人だ)

 西野未希の名前が読まれてから一瞬後、ゴトンと重い物の落ちるノイズが全員の鼓膜を揺るがした。

 残響が引くと、迷惑げに木田が問う。

(誰だ。爆音を出したのは?)

(すまねえ。スマホ落とした)

 栗山が詫びた。

(気を付けろ。耳が痛い)

(西野未希って言ったか?)

 強い語調で自身の聞き耳の念を押す。

(ああ、言ったが。知り合いか?)

(友達だよ)

 隠し立てせず栗山は関係を明かした。

(それでは先程の情報開示はショックではなかったか?)

(ショックに決まってんだろ。ただな……)

 言葉を選ぶような間を置いて、栗山は言う。

(ショックで打ちのめされてる場合じゃねえってことはわかる)

(そ、そうだな)

 木田は栗山の滾るような義憤を前にして、虚を突かれた声で肯じた。

 栗山は回線を切断し、友人の救難のため自宅を飛び出した。

「お前達四人もブルーの後に続け」

 回線に残されたブルーを除くグラドルレンジャー四人に、木田が奮起を促す。

 かくしてグラドルレンジャーは出動した。

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