第1話 左文字朱鷺光の華麗なる日常

Chapter-01

爽風さやかー」


 コンコン、とドアをノックしながら、その扉の向こう側に向かって、声を張り上げて呼びかける。


 ラフなパンツルック姿のその人物は、年格好は高校生ぐらいの少女のようにも見えるが、ボブカットの透き通るような銀髪が、どこか人間離れしていた。いや、それは大したことはない。彼女の耳は、ネコのような耳がピョコン、と頭に生えていた。更には、頭の左側、本来耳のあるべき位置の少し後ろあたりに、FRP製の部分があって、そこからバーアンテナのような物が生えている。


 結局、室内から返事はなかった。少女ははぁ、とため息をつきながら、廊下を進んで、隣の部屋のドアの前に立つと、やはり扉をノックして、


澄光すみひろー」


 と、声を張り上げた。

 だが、やはり室内から返事はない。


 頭を抱えるようにしつつ、首を振りながら、さらに隣のドアの前に進んだ。


颯華そうかちゃーん」


 やはり同じように扉をノックして、その内側に向かって声を張り上げる。

 だが、やはり反応はない。


「もう!」


 そのまま廊下を進み、母屋と別棟を繋ぐ渡り廊下の入り口まで来たところで、少女はくるりと振り返り、憤った表情になる。


「みんなまた遅刻ギリギリになっても知らないからね!!」


 すると、


「うるっせぇなぁ……朝っぱらから……」


 と、別棟の方から、声が聞こえてきた。


 別棟の階段を上がってきたのは、36歳になるにも関わらず、童顔と170cmに満たない身長のせいで全くそうは見えない、小さめのまるレンズのメガネをかけた青年、左文字さもんじ朱鷺光ときひろだった。


「起こしちゃった? ごめん……」


 そう謝ったネコ耳の少女は、その左文字朱鷺光が作り上げた、自律式人間型ロボットなのである。



 茨城県土浦市。

 この地を貫く形で、東京は上野から仙台までを水戸街道・陸前浜街道に沿って結ぶ、常磐線を主体とする鉄道事業者、株式会社常磐高速度交通網。

 それを筆頭とする一大企業複合体コングロマリット、左文字JEXホールディングスは、幾多の企業を束ねる規模になった現在も、創業時のこの地に本社を置いていた。


 その左文字家の長男坊、左文字朱鷺光は、200X年、若干11歳にして人類の夢、完全人間形態ロボットアンドロイドとそれに搭載されるA.I.人工知能を開発したのである!



 そんな彼も今ではいい中年、ロボットの製作を手掛けることもあるものの、それ以外の時は在宅で左文字JEXグループの情報システム関係の仕事をこなしていた。


「結局徹夜したの?」


 ネコ耳の少女型ロボット、R-2[THETAシータ]は、朝っぱらから疲れた様子の朱鷺光を見て、心配半分呆れ半分といった感じで、朱鷺光に声をかける。


「作業自体は4時前には終わったんだがな、そこで俺も弘介も力尽きて寝落ちしちまった感じ」


 朱鷺光はそう言って、盛大に欠伸をした。


「なんだ、結局いつもの騒ぎか?」


 別棟の方の階段から、そんな声が聞こえてきて、別の人物が上がってくる。朱鷺光の実年齢くらいの年格好、やや固太り気味の男性が、呆れたように言いながら渡り廊下を渡ってくる。


 朱鷺光は少々事情が複雑で、小学校が私立、中学は市立、高校は県立に通い、筑波大学、その大学院という学歴をたどっている。


 その県立高校時代からの相方とも言える人物が、このもう1人の青年、長谷口はせぐち弘介こうすけだった。


 大学は朱鷺光とは別の日本工業大学卒だが、その後、常磐高速度交通網に就職、情報システム二課が今の所属先だった。


 2人がしていた徹夜仕事も、どちらかと言うと弘介が持ってきたものである。


「ごめんね2人とも、疲れてるのに起こしちゃって」


 シータはそう言うが、


「いいよいいよ、どうせ作業部屋でウツラウツラやってるだけじゃ寝た気になんねーし」


 と、朱鷺光はそう言って、再び大欠伸をした。


 別棟の1階にある作業部屋には富士通製のメインフレーム2台と、そのアシストをするLinuxサーバが置かれていて、さらにはその排熱のために常時産業用換気扇が回っている。また作業用のパソコンもあって、その周辺も作業用の機器類でとっ散らかしており、とてもゆっくり休める場所とは言い難かった。


「シャワーでも浴びて、しっかり寝直す」


 朱鷺光はそう言って、のそのそとした足取りで先程シータがドアをノックしていた部屋の前を通り過ぎ、母屋の階段へと向かった。


「弘介はどうするの?」


 シータが訊ねる。


「うーん、今の状態でクルマの運転はちょっとなぁ……」


 自動車で左文字家に来ている弘介は、そう言って苦い顔をした。


「いいぞー」


 朱鷺光が階段を降りかけながら、声を出す。


「後はGSのトランザクションが終わるのを待つだけだから、弘介も今日はうちで出勤扱いにしてても」


 朱鷺光はそれだけ言うと、母屋の階段を降りていく。


 左文字家は5LDKの母屋に別棟と敷地は大きいが、建物自体は割とありがちなもので、母屋は昭和の和洋折衷型木造モルタル2階建ての住宅だった。


 朱鷺光は、浴室に行こうとして、リビングの前を通りかかった。

 すると、


「このっ、くっ、おのれっ!」


 と、年配の渋みがかった声だが、妙にはしゃいだようなそれが、聞こえてきた。


「朝からいい身分だね、ったく」


 朱鷺光は、リビングに入ると、セガ・マークテンのアーケードコントローラーを抱えてあぐらをかいている、自身の祖父に皮肉交じりに言った。


 左文字JEXホールディングス名誉会長兼相談役、左文字光之進こうのしん


「会社に顔出さなくていいのかよ」


 朱鷺光は呆れたように言うが、


「何、実権はもう光一郎に譲った、半隠居じゃからな、急ぎの時だけ連絡をくれればいいんじゃ」


 光之進は飄々とした様子でそう言う。


「それにワシはただ遊んどるわけじゃないぞ、頼まれてつきあってやってるんじゃい」

「はいはい」


 光之進の言葉に、朱鷺光は、呆れ返ったようにそう言ってから、光之進の対戦相手──ビジュアルメモリファイブの入ったセガ・マークX標準パッドを手に持った、一見すると少女に見える存在に視線を向けた。


 背格好はやや小柄な中学生くらいだが、シータ同様の透き通るような銀髪、耐摩耗コートが施された集光用光ファイバー。そして、両耳の後ろについた、基部が可動式のアンテナ・センサーユニット。


 R-1[OMURINオムリン]、朱鷺光が手掛けた最初の自律式人間型ロボットは、ニュートラルな表情を、生みの親である朱鷺光に向けた。

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