第49話 前日譚⑥
「貴様!どういうことだ!」
事件が解決して数日後、『猿木骨董店』に一人の男が怒鳴り込んできた。
怒鳴り込んできた男、鮫西昌は鬼のような形相で猿木に詰め寄る。
「ああ、鮫西昌さん。奥様の鮫西茜さんはご本人から退院したと聞きましたが、貴方も退院されたのですね。おめでとうございます」
「うるさい!そんなことはどうでもいい!」
鮫西昌は近くにあったテーブルを叩く。
「あいつが言っていたぞ!五十万もお前に払ったと。しかも、まだあと五十万も払うつもりだと言っている。どういうことだ!」
「ああ、茜さんが言ったのですね」
鮫西昌に詰め寄られても猿木は涼しい顔をしている。
「ええ、確かに彼女から前金として五十万円受け取りました。依頼は無事終えましたので、残り五十万円も払っていただくつもりです」
「ふざけるな!なんで居もいない化け物の退治に合計百万も払わなければいけない。馬鹿にするな!」
「馬鹿になんてしていません。これは正当な報酬です」
「きっさまあああ!」
鮫西昌は目を真っ赤に充血させ拳を握ると、その拳で猿木を殴ろうとする。
だがその時、急に鮫西昌の全身から力が抜けた。
「がっ⁉」
鮫西昌はその場にバタリと倒れた。立とうと思っても体に力が入らない。
鮫西昌は知っている。これは前に自分が倒れた時と同じ症状だ。
見上げると、猿木は手に何かを持っていた。それは、小さな瓢箪。
猿木は栓を開けた瓢箪の口を鮫西昌に向けていた。
「ま、まさか……毒……か?」
震える鮫西昌に猿木は言う。
「毒?違う。『アヤカシ』だ」
猿木は小さな瓢箪に栓をして、それをプラプラと振る。
「お前の家で捕まえたアヤカシを少しの間だけお前に憑かせた。お前はアヤカシにエネルギーを吸い取られたため、動けなくなったんだ。だが、安心しろ。お前に憑かせていたアヤカシは既に取り除いた。今はまたこの瓢箪の中に封印している。お前もじきに動けるようになる」
猿木の話を聞いた鮫西昌は目を大きく見開く。
「ば、ばか……な……そ、そんなことあるわけが」
「お前が入院した原因もこのアヤカシだ。運の良い奴だな。二度もこのアヤカシに憑かれて生きているなんて」
猿木に冷たい目を向けられ、鮫西昌はゾクリと凍えた。
「このアヤカシは一度人間に憑くと、このサイズのアヤカシではありえない程のスピードで獲物からエネルギーを吸い取る。数分も憑かれればあっという間にあの世行きだ。まぁその分、一度獲物からエネルギーを吸い尽くせば、長期間の絶食が可能となるがな」
「う、嘘だ……そ、そんなことあるわけがない!」
鮫西昌は怯えを悟られまいとするかのように大声で怒鳴る。
「ア、アヤカシなんて……全部……嘘だ。ほ、本当は俺に毒を盛ったんだろう……そうなんだろ!」
「……」
「け、警察に言ってやる。お、お前に毒を盛られたって、警察に言ってやるぞ!」
鮫西昌は狂気じみた目で猿木を見る。だが、そんな目を向けられても猿木は冷ややかな目で鮫西昌を見続ける。
「お前がアヤカシを信じようが信じまいが、そんなことはどうでもいい。ただな……」
猿木は這いつくばっている鮫西昌の胸倉を掴み、グイッと自分に引き寄せた。
「もし、お前が警察に行こうとすれば、私もお前が鮫西茜にしたことを全て警察に話すぞ」
猿木の言葉に、鮫西昌はビクッと震えた。
「なっ、なん……」
「お前が鮫西茜に暴力を振るっていることは知っている。死んだお前の両親もその暴力に加担していたこともな!」
「い、いや、お、俺は……」
鮫西昌の目がキョロキョロとせわしなく動く。
「お前の家庭のことに興味はないが、お前が私に危害を加えようとするなら、徹底的に反撃するぞ……お前が二度と私に危害を加えられなくなるまで、徹底的にな!」
猿木は栓の閉まった小さな瓢箪を鮫西昌の目の前まで近づける。
「ひっ!」
猿木の目を見た鮫西昌は短い悲鳴を上げた。猿木の目は本気だった。
鮫西昌がこれから猿木に何かしようものなら、こいつは確実に自分がされた以上の報復を鮫西昌に与えるだろう。
それが確信できる目だった。
「いいから、お前は残りの報酬を用意しろ。でないと、分かるな?」
「は、はひっ!」
鮫西昌は生まれたての小鹿のような動きで、何度も転びながら立ち上がり、全身を震わせ店を出ようとする。そんな鮫西に猿木は後ろから声を掛けた。
「ああ、そうだ。最後に」
猿木は、はっきりと鮫西昌に告げる。
「もし、また鮫西茜に手を出してみろ。次は容赦なく……」
「ひぃいいいいいいい!わ、分かりましたああ」
まるでゴキブリの如く、鮫西昌は猿木の店から逃げ出した。
「フム」
鮫西昌が店からいなくなった後、猿木は手に持っている小さな瓢箪を見て呟く。
「とりあえず封印を解いても私だけは襲わず、一番近くにいる人間を襲うように調教したが、こいつは中々使えるかもしれない」
このアヤカシは売らずに護身用に持っておくことにしよう。
そう決めた猿木はアヤカシが封じられている小さな瓢箪をポケットの中にしまった。
***
「本当にありがとうございました。これは、残りの報酬です」
店を訪れた茜さんが猿木さんに封筒を渡す。封筒を受け取った猿木さんは、中身を確認すると「確かに」と言った。
「わざわざご足労いただき、ありがとうございます」
「はい、どうしても直接お渡ししたかったので」
茜さんはニコリと微笑む。その笑顔は仮面なんかじゃなく、本物の笑顔だった。
偶然、店を訪れていた僕はその光景を呆然としながら見ていた。
茜さんが心の底から笑っていたのもそうだけど、それよりも驚いたのは、茜さんの隣にいた人物に対してだった。
茜さんの隣には夫の鮫西昌がいた。だけど、その様子は前に病院で会った時とはまるで違っていた。
「猿木さんと米田さんには本当にお世話になりました。ね、あなた」
「はっはい!そ、その通りです!」
鮫西昌はプルプルと全身を震わせ、子犬のように怯えていた。病院で見せていた高圧的な態度はすっかり消え失せている。まるで別人だ。
僕は茜さんに耳打ちする。
「一体何があったんですか?」
「さぁ、私にも分かりません」
茜さんはにこやかに笑う。
「報酬のことを話すと、夫は『そんなの認められるか!』と言って猿木さんの所へ怒鳴りに行ったのですが、帰ってきたらまるで人が変わったようになっていました。猿木さんに何があったのですかと聞いたら、猿木さんは『今後、彼が貴方に逆らうことはありません。どうぞ、お好きなように』と言われました」
茜さんが鮫西昌をチラリと見た。鮫西昌はビクリと飛び上がるほど怯える。
「猿木さんがおっしゃられたように、あれから彼、私の言うことを何でも聞くようになったんですよ。前の優しい夫に戻ったんです!」
茜さんは実に楽しそうに笑う。よく見ると鮫西昌の頬には痣のようなものが出来ていた。
そして、暖かい気候にも関わらず彼は長袖を着ている。
「では、名残惜しいですが、ここで失礼します。猿木さん、米田さん。本当にお世話になりました」
「貴方のこれからの人生に幸が多からんことを祈っていますよ」
「えっ、えっと、お元気で!」
「ありがとうございます。行きましょ、あなた」
「はっ、はい!」
颯爽と帰っていく茜さんとペコペコしながらその後に続く鮫西昌。まるで、茜さんが鮫西昌の首に鎖でも付けているかのようだった。
「一体、何をしたの?」
「さぁな」
猿木さんは受け取った封筒を嬉しそうに金庫にしまった。どうやら答える気はないらしい。
まぁ、茜さんも幸せそうなのでいいか。鮫西昌はひどい目に遭っているようだけど自業自得だ。
「いやぁ、今回の報酬はとても良かった。こんな依頼がずっと続けばいいんのだがな」
「そのたびに、囮になるのは嫌なんだけど」
「大丈夫だ。何とかなる」
「なんの根拠があるの?それ?」
僕がそう聞くと、猿木さんは楽しそうにニヤリと笑った。全く。
「ああ、そういえばさ。あの『壺に封じられていたアヤカシ』ってどんな姿をしていたの?僕、背中から襲われたからどんな姿をしているのか知らないんだよね」
僕の問い掛けに猿木さんは首を横に振った。
「知らない方がいい、とてもおぞましい姿をしているからな」
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