第32話 愚かな選択

 それは、たぶん猿木さんに出会ってから聞いた言葉の中で、最も強い言葉だった。

「実は『猿木骨董店』は今、火の車なんだ」

「えっ?」

 僕は驚いた。そんな話は初めて聞く。

「本当に?だって、テレビにも出ていたのに……」

「テレビに出て、有名になったからといって、それがそのまま売り上げに繋がるとは限らないんだよ」

 猿木さんはフッと苦笑した。

「確かに客は増えた。だが、テレビを見てやって来た客のほとんどは骨董の値段を見ると何も買わずに帰っていく。その反対に骨董品を売りたいという人間は倍以上になった。売上を見れば黒字どころか赤字だ」

 猿木さんは窓の外を眺めながら自分の店の現状を語る。

「やって来る客の中には百万のものを千円で売れなどと言うとんでもない輩や、商品を盗もうとする奴らもいた。客が増えたことでそんな奴らの対策もしなければならず、余計に金が掛かった。少しでも利益を出すため、ネット販売も試したが、効果はほとんど無い。アヤカシを売る利益を店に回していなければ、完全に店は潰れている。だから、お前には本当に感謝しているよ米田。お前のおかげでアヤカシが手に入りやすくなったからな」

 猿木さんはニコリと笑う。

「だが、それも段々と立ち行かなくなってきた。お前のおかげでアヤカシ関連の利益は伸びたが、店のほうの赤字は膨らむばかりだ。借金もした。このままではいつ店が潰れるか分からない。もっと金が必要だった。そんな時だ。蝶野がやって来たのは」

 話の中に蝶野さんの名前が出てくると、僕はグッと膝の上で拳を作った。

「店に来るなりあいつは、私にこう言ったんだ。『人を殺せるアヤカシはいますか?』とな」

「……どうして猿木さんのところに?」

「殺したい人間がいるが、殺してしまえば警察に捕まってしまう。なんとか警察にバレずに人を殺す方法はないかと思っていた所、『アヤカシを売っている店』の存在を知ったのだそうだ。ひょっとすれば『人を殺すことのできるアヤカシ』がいるかもしれない。そう思ったらしい」

「……それでアヤカシを売ったの?」

「最初は流石に断ったさ。人を殺すということがどういうことか嫌というほど分かっているからな。たとえ、罪にならないとしても一生、罪悪感を背負わなければならない」

 猿木さんは、どこか遠くを見ていた。

「だが、あいつは諦めなかった。二回目に来た時は大金を用意してきた。三回目の訪問の際にはさらに多くの大金を用意してきた」

 それからも猿木さんが何度も断っても蝶野さんは諦めなかったのだという。

「ついに蝶野はこの店の借金の半分以上の金額を用意してきた。そして、あいつは言った。これが最後の頼みだと。これ以上の金は用意できないと。ここで断られたら諦めると。私は悩んだよ。ここで断れば二度と金は手に入らなくなる。そうしたら、『猿木骨董店』は潰れる。散々悩んだ結果、私は蝶野にアヤカシを売ることを決めた」

「……」

「アヤカシを売る際に動機も聞いたよ。自分は有名な小説家のゴーストライターをやっているが、ある人物に辞めさせられそうになっている。それを阻止したいと言っていた。お前の言っていた通りにな」

 雀村はかなりの大金を蝶野さんに渡していたらしい。猿木さんに依頼する際に用意した金も雀村から渡された金を使ったようだ。

「最初にお前から蝶野の名前が出た時は驚いたよ。まさか、お前と蝶野が同じ出版社で小説を出すことになるなんてな。妙な巡り合わせだ」

「君は知っていたの?蝶野さんが殺そうとしていたのが灰塚さんだって」

「いや、知らなかった。名前は聞かなかったからな。もちろん、蝶野が殺そうとしている人間がお前の担当編集者だということも知らなかった」

「……」

「それに蝶野と話し合った時には、殺すのは二人ということになっていた」

「二人?」

「一人目は、私が渡すアヤカシに本当に人を殺すことができるか試すための実験体。後の一人が本命の人間だ。一人目が実際に死んでアヤカシの力が本物だと判明した時点で金を支払う約束となっていた」

「ちょっと待って!」

 僕は思わず猿木さんの話を遮った。

「最初の予定では死ぬのは二人だったの?」

「そうだ。あくまで死ぬのは二人だけのはずだった。そういう約束だったからな」

 実験に使ったのは根津。殺したい本命は灰塚さん。

「じゃあ、伊那後先生は?」

「三人目の殺人については、あいつの暴走だ。お前から話を聞いた後、私は蝶野を問い詰めた。すると、蝶野は『魔が差した』と言っていたよ」

「魔が差した?」

「人を二人殺したら、もっと殺したい人間が出たそうだ。殺した動機は、これもお前が言っていた通りだよ。『自分の本よりも売れている彼が妬ましくて殺した』と話していた」

 猿木さんは心底『理解できない』という顔をしている。

「あいつは何度も謝ったよ。だが、『まだ殺したい人間がいる。だから、後二人殺すのを許してほしい』と懇願してきた」

「あと、二人?」

「一人は華我子麻耶という人間。そして、もう一人は……」

 猿木さんは人差し指を僕に向けた。

「お前だよ。米田」

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