第216話◇甘味




「そう、ですね」


 モルガンの言う通りだった。


 《偽紅鏡グリマー》と組む以外に魔法を使う術がないから、魂の魔力炉接続という機能が使われなくなってからも両者の協力関係は成立している。


 だがもし、魔法が『気づき』さえあれば誰でも獲得できるものだとしたら。

 最早武器に変化可能な人間でしかない。いや、それだけならばまだいい。


 ほとんどは、先天的に魔力炉性能が低いのだ。魂を燃やして魔力に変換する、という機能も今の世代には使えない者の方が多い。


 そうなれば《カナン》にとって、ほぼ全ての《偽紅鏡グリマー》は不要となってしまう。

 彼ら彼女らを大切なパートナーとして扱う者以外にとって、壁の外に放り出すべき存在になってしまう。


 そんな重大な変化をもたらしかねない情報を、簡単に報告出来るわけがなかった。

 だが同時にそれは、多彩な魔法を人類が取り戻せる可能性に蓋をすることなのでは? という思いもあった。


 モルガンのおかげで、その考えは否定されたわけだ。

 胸のつかえが下りる。


「でも、貴方気付いていたでしょう。そんな簡単なものな筈がないって」


 モルガンが擽るような目つきでヤクモを眺める。


 その妖しい視線は、アークトゥルスと話している時に感じた快活でありながらすぐに落ち込む女性、といった印象とは大きく異なった。


「えぇ、でも確信は出来ませんでした。僕は魔法に詳しいとはとても言えないので」


 自分が特別だとは思わない。

 だが、あの領域が魔法習得に必要な精神状態だとするなら、とてもではないが誰にでも覚えられるとは言えない。


 それでももしかしたら……という考えが拭えなかっただけ。


「個人的には、貴方達は正しい選択をしたと思う。人は一度可能性を見出すと、実現するまで犠牲を厭わず突き進むところがあるから……」


 やけに実感の込められた言葉に、兄妹は何も言えない。吐き出す言葉を持たなかった。

 それに気付いたらしいモルガンが、パッと切り替えるように笑顔を浮かべる。


「なんてね。そうだ、魔法が使えることは秘密にした方がいいのかな?」


「なるべくは」


「そうよね。色々訊かれるだけならまだしも、あてにされたら困るもの。おねえさん達だけの秘密にしておきましょう」


 それ以外に生き残る術が無いというなら別だが、ヤクモは二度と魂の魔力炉接続を妹に強いるつもりはなかった。


「ありがとうございます」


「何が『お姉さん』だ、年を考えてものを言え」


「ひゃあ」


 モルガンは可愛らしい悲鳴を上げながら飛び跳ねる。

 驚きながら振り向き、胸を押さえた。


 二階建ての木造家屋一階、居間リビングにて兄妹とモルガンは話していた。

 居間に通された後、他の者達はヴィヴィアン先導のもとにそれぞれ組ごとに割り当てられた部屋へ向かっていた。


 アークトゥルスもそれに続いていた筈だが、気づけば真後ろにいたのだ。


「びっくりしたじゃないあーちゃん。心臓が飛び出るかと思ったわ。飛び出てない? 大丈夫かな」


「あぁ、それに安心しろ。仮に胸部を突き出てようが口から飛び出そうが、元の位置に戻してやる」


「とても頼もしいわね……」


「そうであろう?」


 冗談っぽく笑うアークトゥルス。


「それよりあーちゃん王、盗み聞きしてたんですか?」


 アークトゥルス王でもあーちゃんでもなく、あーちゃん王というのは妙な組み合わせだ。


「斬新な組み合わせだな? まぁよい。余は盗み聞きなどしておらん」


「では何故兄さんが察知できない程に気配と魔力を遮断して背後に近づいたんですか?」


 ヤクモの感知能力は経験によるところが大きい。魔力の綻びを見る技能もそうであるし、関知に関しては基本的に生物の敵意や殺意などの害意全般への反応に特化されている。


 それを考慮しても、アークトゥルスの隠形は見事だった。師にも匹敵するやもしれない。


「では何を?」


 妹の言葉に続いて、ヤクモも尋ねる。


「モルが余計なことを言わぬよう見守っていたのだ」


 言い訳にしても苦しい、と思ったのは一瞬のこと。

 モルガンの悲しげな表情が、アークトゥルスの言葉が嘘でなかったことを悟らせる。


 アークトゥルスが言うべきでないと判断した何かを、モルガンが兄妹に伝えるかもしれないという懸念があったのだろう。

 そしてモルガン自身、そのことに見当がつくらしい。


「杞憂に終わったようだがな。結果的に貴様ら兄妹の秘密を知ったことは詫びよう」


「兄さん次第です」


 アサヒは敢えて、その『余計なこと』については触れなかった。

 妹の配慮に、ヤクモも倣う。


「今の謝罪で充分です」


 アークトゥルスならば、念押しするまでもなく吹聴などしないだろう。


「だめです。私を疑ったばかりか二人の秘密を勝手に聞いたあーちゃんにはお仕置きが必要だと思うよ」


「ほう? モル、貴様が余をどう罰する?」


 出来るものならばやってみるがいいとばかりに、アークトゥルスは余裕の笑みを浮かべている。


 にっこりと、モルガンは言った。


「デザート抜き」


「待て」


 アークトゥルスが真剣な表情で手を前に出す。


「それだけは勘弁してくれ……行きも帰りもろくに甘味を口に入れていないのだ」


「そんなこと言ってもだめだよ。それに、あーちゃんのことだから《カナン》滞在中にいっぱい食べたでしょ」


「……嘘はついていない」


 確かに移動中の食事は栄養補給の側面が強く、食を楽しむような余裕は無かった。

 同時に、滞在中は観光していたとも言っていた。


 嘘はついていないが、全てを語ってもいないといったところだろう。


「あーちゃんの分はお詫びとして、二人にあげちゃいます」


 アークトゥルスは本気でショックを受けたようだ。


「罪に対して罰が重すぎるのではないか?」


「軽いくらいだよ」


「再審を請求する!」


「心を鬼にして、棄却でーす」


「悪魔め……」


 一瞬漂いかけた暗い空気は既に無い。

 駄々をこねる子供のようなアークトゥルスと、それを躾ける母親のようなモルガンの会話がしばらく続いた。


「王」


 二階へと続く階段から、ヴィヴィアンが降りてくる。


「おぉ、ヴィヴィアン。そうだ、貴様ならば余にデザートを分けてくれるだろう?」


「虫歯になられては大変ですから、お断りします」


「ちゃんと歯は磨く!」


「そのようなことよりも、窓の外から見えたのですが」


「そのようなこと!? 一大事なのだが!?」


「彼らが、帰還の報を聞いてやってきたようです」


「……分かった」


 アークトゥルスは子供のような振る舞いをやめ、入り口に向かう。


「ヤクモとアサヒは部屋に向かえ。あるいは先程の詫びとして、話を聞いていてもよいがな」 


 兄妹は顔を見合わせる。


 勘違いかもしれないが、アークトゥルスの言葉から『聞いていてほしい』という意図が感じ取れたのだ。


 妹も同じ思いらしく、頷いた。


 二人揃って、アークトゥルスに続く。



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