第214話◇姉妹




 風にはためいている。


 地面に突き立てられた二本の柱を、一本の縄が繋ぎ、その縄に濡れた衣類が干されていた。

 それが幾つも続き、風の向きに合わせて右や左に揺れていた。


「ふぅ」


 空になった籠を一度見下ろし、それから背を伸ばす女性がいた。片方の手は腰にあて、もう片方は額を拭っている。


 黄金の林檎から色をとったような、美しい金髪を編んでいる。


 前掛けエプロン越しにも分かる豊満な胸が、背を伸ばしたことで揺れた。


 妹に腕をつねられる。

 責めるように「今視線を奪われましたよね?」とこちらを見上げていた。


「帰ったぞ」


 湖畔の家屋に近づく中、アークトゥルスが女性に声を掛ける。


「あら、お帰りなさ――あーちゃん!?」


 女性が驚愕に目を見開く。


「うむ、洗濯ご苦労、モル――むぐっ」


 突風さながらだった。

 女性はすぐさま駆け出し、アークトゥルスを抱きしめたのだった。


 ぽろぽろと涙を流し、アークトゥルスに頬ずりする。


「無事でよかった~~。心配したんだから! あーちゃんはいつもいつもそうやって」


「ぐ、ぐるじっ……」


 ぺしぺしとアークトゥルスが女性の肩を叩く。

 顔が胸に埋まって息ができないようだ。


「あっ、ごめんなさい……!」


「毎度のことだが、貴様の抱擁ほど死を身近に感じることはないぞ」


 魔人や魔獣の群れと遭遇しても余裕の笑みを浮かべていたアークトゥルスが、苦しげに顔を赤くしている。


「うぅ……そんな風に言わなくても」


 しくしくと目許を押さえながら離れた女性は、次にヴィヴィアンに目を留めた。


「ヴィーちゃ――」


「結構です」


「結構です!?」


 抱きしめようと腕を広げたところで拒否され、傷ついたような顔をする女性。


「……あーちゃんって冗談じゃなくて、本当に愛称だったんですね」


 妹の言葉に、ヤクモも思い出す。


 ――『余のことはアークトゥルス様かあーちゃんとでも呼ぶがよい』。


 初めて逢った時、アークトゥルスはそう言っていた。

 あれは思いつきの戯れではなく、実際にそう呼ばれることがあったのだ。


「どうしていつも先に教えておいてくれないの?」


 子供みたいに頬を膨らませる女性に対し、アークトゥルスは冷静だ。


「余が帰ったと伝える為だけに人を走らせる必要はあるまい。無駄な手間だ」


 待っている誰かがいるなら、先んじて帰還の報を伝えるということも出来る筈だが、アークトゥルスはしなかった。住民が門に押し寄せたのはあくまで見張りが自発的にやったことで、それは此処まで届かなかったようだ。


「一秒でも早く知りたいという人の心を分かってほしいわ……!」


「人? 魔女でなく?」


「お姉ちゃん、大泣きするわよ?」


「悪かった、今のは余が悪かったから泣くな」


 中身が逆では? と思う光景だ。女性が涙し、童女が謝罪している。


「今日一緒に寝てくれたら許せるかも」


 ちらっと童女の顔を窺う女性。


「いや、それは」


「うぅ……しくしく……」


「分かった。分かったから泣き止んでくれ」


「あーちゃん……!」


 ぱぁっと顔を輝かせ、顔全体で笑う。


「……泣き落としですね」


 アサヒが少し呆れるように言う。


「アサヒもよくやるよね」


「お姉ちゃんはその道のプロだよ」


 兄と妹、立場は違えどアサヒの家族として同じ経験はしたことがある。


「ちょっと!? 二人共!? 妙なところで通じ合わないでください! わたしはそんなことしませんから」


「いやぁ、どうかな」


「此処にくるまでにツキヒが何度同じ手をくらったか……」


 アサヒは本気でショックを受けたようで、悲しげに俯いてしまう。


「ひ、ひどい……二人共わたしのことをそんな風に思ってたんですね……うぅ」


 しまった、とヤクモは思うが遅かった。


「……別に嫌いだとか言ってるわけじゃないし」


「じゃあツキヒはお姉ちゃんのことどう思ってるの?」


「そういうとこだよお姉ちゃん……」


 頼み事に限らず、普段は言えないようなことでもアサヒの悲しみが癒えるならばと、恥を押して口にしてしまう。


 ヤクモも経験があった。


「あらあーちゃん、そういえば後ろの方たちは? 見慣れない服装だけれど、お客様?」


 アークトゥルス組の帰りが余程嬉しかったのだろう、女性はようやくヤクモ達に気付いたようだ。


「あぁ、済まんが頼めるか? しばらく置くことにした」


「まぁ、そうなのね。もちろん歓迎よ!」


 女性は居住まいを正し、ヤクモ達に向かって一礼。


「申し遅れました、モルガンです。《アヴァロン》の……湖の、管理人? のようなものです」 


「管理者はモルを含めて九人だが、常駐しておるのはモルだけだ」


「他のみんなは忙しくって」


 洗濯物の量は、そういうことかと納得。一人分にしては多過ぎたのだ。

 ヤクモ達も名乗る。


「若い子ばかりね。あーちゃんがお客様を連れてくるのも珍しいし」


「面白そうだから連れてきただけだ」


「ふふ、なにそれ」


「あの、モルガンさんとアークトゥルスさんのご関係は?」


 ヤクモはつい尋ねた。


「あら、気になるかしら? やっぱり気になってしまうかしら? 話せば長いのだけど、私とあーちゃんの出逢いはそう――」


「医者と怪我人だ」


「簡潔にまとめないで!」


「医者? モルガンさんは医者なんですか?」


 失礼かもしれないが、そうは見えない。


「隠す必要もないから言うが、こやつは魔法使いなのだ。《偽紅鏡グリマー》を通さず魔法を扱える者。今の時代では珍しかろうよ」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る