第24話◇正式

 



「腹の虫が収まらぬ!」


 その後五人は木陰に移動し、昼食を摂ることにした。

 モカの広げた敷物の上に腰を下ろし、サンドイッチを頂く。


 妹は両手に一つずつサンドイッチを持つと、やけ食いとばかりにムシャムシャ食べる。


「胃の中で虫が蠢いて不快ということ? それ、控えめに言って惨事ではないかしら? 速やかに医師にかかった方がいいと思うのだけど」


 ラピスが妹の腹部を見下ろしながら、目許を歪めて言う。


「比喩ですよ! ヤマトの比喩! 超、怒っているということです!」


「あぁ、なるほど。猫が背を上げるみたいな意味なのね」


「いや、それがどういう意味かは分かりませんが」


「昔、見たことがあるわ。機嫌を損ねるとこう、背中を丸めつつ上げて、威嚇なのか鋭く鳴くのよね」


 ヤクモとモカは顔を見合わせて首を傾げる。

 ネコというのは、なにやら生き物であるらしい。


「わたしのこれは威嚇ではなく、理不尽に対する正当な怒りです! 普通、人と喋りたいってだけの理由で近くにいた美少女を拘束しますか!?」


「その点は問題ないわ」


「どこがっ!」


 妖しい薄笑みに自信を滲ませて、彼女は言う。


「わたし、普通じゃない自覚があるから」


「問題しかない!」


「何故? あなたは普通の人間はわたしのしたような行動に出るかと問うたのでしょう? しないでしょうね。でもわたしは普通ではないから、した。何か疑問が残る回答だったかしら?」


「疑問はありませんが確信は得ました。あなた、人付き合いが壊滅的に苦手でしょう」


「えぇ、極めて不得手と言えるでしょうね。昼食を共にする友人もいないくらいだもの」


「イルミナさんがいるじゃないですか」


 ヤクモが口を挟んだ。

 そういえば先程からイルミナの姿が見えない。


「話しかけてくれて嬉しいわ。わたしの髪も瞳も心も美しいと言ってくれたヤクモ」


「心について何も言ってないですけど」


「そうね。髪と瞳は確かに褒めてくれた。妹さんの前で改めて認めてくれてありがとう」


「…………」


 やられた。

 アサヒが頬を膨らませる。


「兄さんは優しいだけです! わたしの髪なんて雪みたいで世界一綺麗って言ってくれましたし!」


「失礼を承知で言わせてもらうけれど、それはあなたのお兄さんが優しいだけではないかしら?」


「うっ……!? そ、そんな……違いますよね? 兄さんはそんな嘘つかないですよね?」


 妹が絶望したような顔でこちらを見る。


「もちろん、あの時のことは今でも鮮明に思い出せるよ」


 本当のことだった。


 一瞬でドヤ顔になる妹。


「ほら、聞きました!? 兄さんにとって、わたしこそが永久に一番だという事実を!」


 情報が恣意的に改変されているのが分かったが、ヤクモは黙ってサンドイッチを口に入れる。


 チキンと赤くて酸っぱい野菜とシャキシャキする緑色の野菜が、ふわっとしつつ適度に湿ったパンに挟まれている。美味しい。


「あなたのお兄さんは嘘をつかない。だから、わたしを美しいといったこともまた真実よ」


「わたしは寛容ですからね、一位以外は譲りましょう」


「ありがとう。あなたの髪は世界で一番美しいのね。それで、わたしの髪が世界で二位で、瞳が同率二位。一位以外はくれるということだから、今後もあなたのお兄さんにわたしの魅力を伝えていこうと思うわ。たった一つの一位でどこまで渡り合えるか見ものね。だって、大半の人間は髪に恋するわけじゃあないもの」


「こ、この女……!」


 それもまた冗談なのだろうが、ある意味感心する。

 妹の屁理屈も辞さない弁舌に真っ向から渡り合えるとは。


「それで、スリムな体つきも綺麗だと言ってくれたヤクモ。さっきの話だけれど」


「言ってないですね」


「醜いかしら?」


「まさか」


「じゃあ極めて平凡かしら」


「いえ、そんなことは」


「ありがとう、つまりは美しいということね」


「やり方が卑怯ですよ!」


 妹の抗議を、ラピスは聞き流す。


「イルミナは《偽紅鏡グリマー)よ。パートナーは友人の枠には入らないわ」


「あぁ、なるほど」


 ヤクモだってアサヒを大切に思っているが、かといって友人だとは思ったことがない。


 昼食を一緒に食べる友人がいないという言葉は間違っていないのか。

 それにしても、言葉を巧みに操る人だ。同時に、時折違和感も抱かせるのだが。


「それにあの子は呼ばないと来てくれないのよ。ちゃんとした用事が無いと呼んでも現れないし」


「よ、呼ぶ……?」


「そうよ? 今だっていないでしょう」


 思い出す。

 ラピスと廊下で話していた時も、彼女が手を叩いた瞬間に現れたかのようだった。


「それじゃあ、普段は一人で食事を?」


「そうね。会長やトルマリンは忙しいし、わたしはほら、非常に絡みづらいでしょう」


「自覚があるなら直す努力をしては?」


 妹の苦言に、ラピスは首を傾げる。


「変わる必要性を感じないわ。わたしがわたしとして生きることで離れていくなら、その人とは関わるべきではないのでしょう。協調はある程度必要だけれど、ある程度を逸脱してなお求めるなら、それはもう協調ではなく矯正だわ。強制とも言えるかもしれないわね」


「もっともらしいことを言いますね……」


「『らしい』は余計だけれど、理解してくれてありがとう。世界で一番髪が美しいアサヒ」


「あ、あの……」


 モカが控えめに手を挙げた。


「意見があることを挙手で示すのは実にわかりやすくていいわね、モカ。でもこの場では不要よ。発言はあなたの自由で……あぁ、クリソプレーズの《偽紅鏡グリマー)だったのだものね。それでも大丈夫。この場の誰もあなたの自由を侵害しないわ」


「で、では……。その、アウェインさま」


「ラピスと呼んで」


「え、あ、はい。それでは、ラピスさま」


「なにかしら、この場で最も胸部の膨らみに富んだモカ」


 モカはさっと腕で胸を隠しながら、言う。


「ラピスさまは、食事を摂られないのですか?」


 見ると、彼女はまだ包みも開いていない。


「よくぞ気づいてくれたわね、モカ。わたしは内心このまま誰にも触れられることなく休憩時間が終了するものだと半ば諦めかけていたのよ。感謝の意を示すわ。ありがとう」


「……? いえ、ど、どういたしまして、です」


「というわけで、触れられたからには開けるわ」


 ラピスが包みを開く。弁当箱だ。ランチクロスに続き瑠璃色。 

 パカッと開ける。中に入っていたのは――折りたたまれた紙だった。


「まさか本当に自分と同じ色のランチクロスを使うと思った? わたしはそこまで自分が好きではないわ。あなたが綺麗だと言ってくれるまで、ずっと寒々しいものだと思っていたもの」


「……じゃあ、どうして」


 それに、紙の意味は。


「もちろん、話すきっかけ作りよ。わたしは面倒な人間だから、後輩に声を掛けるのにも理由が必要だったというわけ。あなた達が昼食の場所を悩むだろうことは想像がついたから、小道具の一つとして用意しておいたの」


「はぁ、それでその紙はなんなんです? ラブレターとか言ったら兄さんが読む前にわたしが斬り裂きますが」


「正式な任命書ね」


「任命書?」


「えぇ。一枚目が風紀委の職員として認めるもの。二枚目が第四十位として認めるもの。まさかとは思うけど、言葉の上だけで全てが完了するだなんて思っていなかったわよね?」


 …………ちょっと思っていた。


 ヤクモは世間知らずなのである。

 壁の外には任命書も契約書も無かった。


「風紀委の方は会長側に役員の選定権があるから楽だったのだけれど、普通は決闘にランクを賭けたりはしないものだから手こずったらしいわ。本来ならば学舎側が決めるものを、一度の勝負で受け渡し可能だなんて問題でしょう」


 確かに、それだと例えば八百長などでランクが操作出来てしまう。


「だから観戦者である会長とトルマリン、その《偽紅鏡グリマー)達の証言をまとめ、あなたの戦闘能力の高さをアピールし、戦いの結果と共に報告し嘆願したというわけ。ちなみにこの件にはクリソプレーズも協力したわよ。プライドの高い人間って、それを守る為なら約束も守るからその点は信用出来るわよね」


「それは……後で感謝の言葉を伝える必要がありますね」


「必要は無いわ。感謝は義務ではないもの」


「ですね。では感謝する権利を行使しようと思います」


「正確な表現ね」


「待ってください。じゃああなた、これを渡す為に兄さんに話しかけたんですか?」


「さっきも言った通りあの二人は忙しいから、渡しておいてくれと頼まれたのよ。わたしも協調性は持ち合わせているつもりだから引き受けたわ。嫌ではなかったし、興味もあったもの。もちろんヤクモ、あなたにね」


 二つに折られた紙を、彼女が差し出す。

 受け取る。


「おめでとう。これで正式に仲間ね」


「ありがとうございます」


「重ねておめでとう。これで正式に敵同士ね」


 風紀委で、同じ《班》。


 ランク保持者で、予選の参加者。


 仲間であり、敵でもある。


 薄笑みを湛える彼女に、ヤクモも微笑みかける。やや好戦的に。


「よろしくお願いします」

 

 

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